ROCA

2010-07-27 08:36:14 | Weblog


昨日は久しぶりに

昔、佐治とやってた「ランブルフィッシュ」の

自主制作で出したアナログレコードを聴いてみた。

20年以上前の音源なのだけれど、

当時の感じとかリアルに思い出した。


当時は佐治の横で、彼の歌とともに

ギターをとにかく、研ぎ澄ました音で

殺気をこめて鳴らすことに夢中だった。


今は

その頃のそんな思いとか

すごく楽しかったこととか

無念の思いとかもろもろの感情を

自分の中の茫洋とした海からすくい出して

言葉とメロディに託して

歌う、ということをしている。


充実感は、あの頃と同じくらい・・・・・いや、もっとある。


何もかもが自分の意のままになるわけではない。

そんな世界の中で

ただひとつ、輝かすことが出来るもの。


燦然と輝く、「ROCK」。

俺はあの頃と、何一つ変わっていない。


・・・いいことだと思いたい。

っていうか、いいことだ・・ということにしといてくれ。



明日。

2010年7月28日。

京都・御池の大好きなライヴハウス

「夜想」に、ROCA 登場。


上手くなんかないし、洗練されているわけでもないが、

「今、ここ」にしかありえない・・・というような

気持ちを表現したい。




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点滅信号の寓意

2010-07-22 10:21:45 | Weblog




「点滅信号のブルー」と言ってはみたものの、

点滅信号の色は常に、黄色か赤だよな。

・・・青で点滅してたらそれはきっと故障だ。


しかし点滅信号は以前からとてもとても好きなのだ。


一番初めに意識したのはいつだったのかな。


小学校3年くらいの時に、家の横が突然大きな道路になって、

部屋の窓から毎日、すぐ横の信号機が眺められるようになった。

たぶん原点はあれである。

真夜中が訪れましたよ・・というサインみたいだった。


真夜中にその道路を眺めながら、

「この道はどこまで続いているのだろう?」とよく考えた。

あの懐かしい新宿まで続いているのだろうか?と。

あとから考えるとそんなもの、つながっていたに決まってるのだ。

国道2号線をまっすぐ東へ行けば、東京だ。


もちろんだけど、東京に着く前に大阪を通る。


まあいいや、それで


高校生になって、清治と学生寮を抜け出した真夜中に

補導された時も点滅信号の下だった。


一人暮らしをするようになって

佐治と二人で心斎橋や難波を飲み歩くようになった頃も

頭の上に、いつも点滅信号があった。


「ブラック・レイン」の頃の難波。

「ブレード・ランナー」の難波。

サイバー・パンクそのもの、みたいな街で

俺達がいつも行っていたのはブルース・バーだった。



黄の点滅信号の寓意はこうだ、

「行ってみてもいいけど、せいぜい気をつけるんだな」


赤点滅の寓意は、

「あんまりおすすめ出来ないけど・・・

どうしても行くって言うんなら止めはしないぜ」




そんなの、「行く」に決まってるだろ。






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仮題「点滅信号のブルー」

2010-07-21 16:21:41 | Weblog



仮題「点滅信号のブルー」



詞・曲・片山道郎




昨日を思い出して

途方に暮れてしまう

届くあてのない

言葉を探していた


小さな箱に詰め込んだ

こまごました過去のカケラ

切れた鎖

錆びた指輪

レコードの破片

小さな浜辺の石

チビた消しゴム

取って置きの鍵


夕暮れが近付いて来て

ただ風に吹かれていた

ふと思い出したように

心を閉ざしていた

地下鉄

エンドマーク

粉々になったヴィヴラート

何一つ定かではない

どこからか夢のように


何の変哲もない

一日の終わり

プラスのネジ

マイナスのドライバー

忘れかけた約束

高速道路の下

夏の終わり

点滅信号のブルー


点滅信号のブルー










ロカの次のライヴは一週間後、

京都・御池

「夜想」にて。

塚本くんのバンド、「ノーホエア」のレコ発。

「がらんどう」と、「フレイクス・バーン・グループ」も一緒だ。

絶対来てね。


7/28(水)

『NOWHERE“メモリーバザール”TOUR 2010』

OPEN 18:30 / START 19:00

前売 \2500 当日 \2800 (共に+1drink \500)

「ロカ」見に来ました!って言うてもらったら少し・・・・

いいかもデス(笑)。








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引用

2010-07-21 10:02:41 | Weblog


ロッキング・オン誌

1993年12月号

「ポルノ・フォー・パイロス インタヴューより」

発言者:ペリー・ファレル


「俺の中には悪魔が棲んでいる!

哀しみなんてまるで雲のようなものだ。

希望なんて祈りとどう違う!?

幸福なんて一瞬しか続かない。

哀しみ(サッドネス)!!

そんなもの雲のように通り過ぎていくだけ」



引用終わり


・・・とても素敵だ。

この発言は、インタヴューでの物なのか、

ライヴでのMCだったのか、

それとも歌詞の一部なのか・・・全然わからないのだけれど。


1993年の世界は

ただ混沌として

何もかもが不透明なヴェールをかぶっていた。


少なくとも俺の目には

そんな風に見えていたのだ。

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魔の記念日

2010-07-20 11:12:10 | Weblog


1969年7月20日

グリニッチ標準時午後8時18分、

アポロ11号の月着陸船が

人類史上初めて月面に降り立った。


それから24年後の

1993年7月20日詳細時間不明

片山道郎の乗ったYAMAHAビラーゴ250CCが

大阪・長堀通りで転倒。バイクは大破、

運転者は意識不明の重体に。


・・・・・・というような事が

本当にあったのでございマス。





今日は家でおとなしくしておかなくちゃだわよ。

マジで。




しかし

「アポロは月に行っていない」

などという都市伝説がまことしやかに囁かれている世の中。

俺も「事故の記憶」というのは一切、ないので

(脳震盪のせいだ、と医者は言っていた)


それもこれも

本当は「なかった」のではないか・・・・などと

主張してみたくなる

真夏の日記なのであった。



少なくとも

「片山はあのとき頭を打ってアホになった」

というのは真実ではない。





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ユーモラス

2010-07-14 08:54:28 | Weblog



ここは全自動洗濯機の中みたいな世界、

どうがんばっても

渦に巻かれるだけなのだった。


俺は平和なのが好きなんだけど・・・

でもイザコザも好きなのかもね。


イガイガした栗みたいなイザコザ。

ピリピリした静電気みたいなフリクション(軋轢)。


冗談なんて、それこそ冗談じゃないぜ。


俺は・・・ユーモラスなのが好きだな。

あとユニークなのとか。


しかしオーツキケンジがどうしても

「のほほん」に憧れてしまうみたいに、


俺も「ユーモラス」にはなれないと思う。


きっと誰しも、

自分には手の届かないものに憧れてしまうのだ。



何かの本で読んだ話を思い出す。

ある昆虫学者の少年時代の回想。

蝶好きの彼は、

冬を越えて春には蝶になる「サナギ」を

いくつも集めて箱に入れ、地下室に置いたまま

忘れてしまう。

春が過ぎ、夏が過ぎ、秋が過ぎ・・・

一年後にようやく思い出した彼が地下室で見たものは

真っ暗闇のなかで孵化して、

そのままの姿で完全に乾燥してしまった蝶たちの

恐ろしく美しい姿だった。


真っ暗闇の中の美。


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そうであればいいと思う

2010-07-10 20:48:23 | Weblog




我々の何と「一瞬」の中で生きていることか。



俺達は同じ曲を一緒に演奏するから、

お互いの音を”聴いて”はいけないのだ。

”聴いて”反応すると、どうしてもほんの少し遅れるから。


我々の「聴く」のは”すでに放たれた音”で、

頭の中は常に次の音のことを考えている。


放たれた音は回収がきかないので、

どうがんばったってすべての音楽は

鉄砲玉でしかないのだ。

片道切符って言ってもいいけど。


そんな風にして放たれた音、音、音。


それらは空気の中で拡散して、

いつか宇宙の彼方へ消えてしまった。


浜辺で波に洗われたガラスびんのかけらみたいに

いろんな物事が純化していけばいいのにな、と思う。


一歩踏み出した時からわかってはいたんだけど、

俺達の道は、けっこう困難だ。

でもだからこそ・・・ってこともある。

どちらにしてもそれは、得難い体験ではあったし、

いろんなことがそこから始まって、

まだ続いていこうとしてる。


ただそれだけのこと・・とも言えるし、

そんな大それたこと・・とも言える。


ひとつひとつ乗り越えていくしかないのだ。


今までだってずっとそうして来たし、

これからだってそうだ。


いくつになったって先のことなんて見えやしないけど、

少なくとも、そんなに悪くはない。


悪くなっていくことばかりではないのだ。








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「東京タワー」

2010-07-06 11:15:08 | Weblog


リリー・フランキーの

「東京タワー  オカンとボクと、時々、オトン」

を読んだ。

どストレートでまっすぐ過ぎて、

こーゆーのは反則だよな・・・・と思いながら

でもやっぱりアリだな、と思いなおした。


ここまで密接な母子の愛情を

さらけ出しているのはすごい。

俺だったら照れてしまう。

うらやましいような気もするし、

そうでないような気もする。


ところでリリー・フランキー氏の「オカン」、

「ママンキー」さんも癌で亡くなっている。


俺のおばあちゃんも、お父さんも、

土井健のお父さんも、碇さんも、

佐治も癌で亡くなった。


ちょと前の新聞に載っていた記事で、

”「何人かの医師に、ご自分が病気で死ぬとしたら

何の病気がいいですか?」という問いかけをしたら

多くの医師が「癌」を選ぶ、と答えた”

ということが書いてあってちょっと驚いた。


理由は、「進行がゆっくりなので本人も家族も

別れの心構えが出来るし、痛みを抑えれば

苦しむ期間も短い」・・・ということだった。


なるほどなぁ・・と思ったのだが、どうだろうか。


「癌」はもはや、”病気”という概念を超えている・・・

かもしれない。


でも 多くはないけれど、

治療で「完治」してその後、

長く生きられたひともいるんだよな。


それを考えるとやはり、

「克服すべき”病気”」なのか。

むむむ・・・。


ところでリリー氏の、「東京タワー」。

どんな悲しい形でも、

「愛情」というものに触れると

とても暖かな気持ちになれるから、


愛はあー、いぃーなぁー

と思った。


ダジャレだが真実だ。



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サンドキャッスル

2010-07-06 08:58:11 | Weblog


お城は砂で出来ていた

世界は砂漠だったから

風化するのは記憶だけ

風の中には何もない

迷子ばかりの交差点

間違いだらけの道路地図


選挙演説は性質の悪い騒音

誰も選ぶ気になれるわけがない

学校の成績が良かった奴なんて

信用出来るわけないだろ?



じりじりと沈む蟻地獄世界

静けさや沈黙さえ得がたい世界

ものごとの負の側面

煮ても焼いても喰えない世界


灰色の光

色さえ喪失した世界

テープエコー的逆回転世界

腐敗と退廃が全てを掌握した世界

磨耗する歯車





そのお城は砂で出来ていたから

波が少しずつ淡々と

削って崩していくだけだった


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「ブレードランナー」について思う

2010-07-05 16:42:37 | Weblog



SF映画の名作「ブレードランナー」を観たのは

多分、もう20年以上前だっただろう。

佐治と一緒に、ビデオで観たんだったと思う。


そのずっと後に原作者のP・K・ディックのファンになったので、

ふと、今の俺の目で「ブレード・ランナー」を観たら

どう見えるのだろう?と思い、

DVDを借りてきて再見した。

「ディレクターズ・カット・完全版」である。


・・・・・・こんな話だっけ?

原作である(はずの)

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」

とだいぶ違う・・ってか全然違う。

しかしアンドロイド(レプリカント)達が何とまぁ

・・・「パンク」だこと。

”「サイバーパンク」の代表作”とかって言われてるし。

2019年のロスアンゼルスはほとんど大阪か上海だ。

アメリカはアジア人や漢字文化に完全に侵食されていて、

レプリカントたちは妙にパンキッシュで、全員白人なのだ。

思うんだが「パンク」ってすごく白人的だ。

日本人にはどうやっても似合わないような気がする。

「パンク」って、アジア的なものから

いちばん遠いものである・・ような気がする。


「マッドマックス」もそうだったのだけれど、

近未来の不良”ってパンクのイメージだったのだ。

「北斗の拳」の悪役とか(笑)。

それはロックの一大ムーブメントであった

あの「パンク」とは関係ないように見える。

その「パンク・ロック」も、

イギリスにも、アメリカにも、一瞬しか存在しなかった。


残っているのはスタイルだけだ。


21世紀の今も、低脳な不良たちは「パンク」なんかではなく

「ヤンキー」スタイルのままだ。


俺たちも、土着的なアジア人のまま。

でもそれは悪いことではないと、

今は思うのだ。




映画は小説とは別物だったけど、

それはそれでよかった。

ディックはこれを見て、どう思っただろうか。

公開前に亡くなってるみたいだから、

きっと・・完成版は見てないんだろうなぁ、


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