昭和レトロな運送会社(出発編)

2016-01-31 10:33:45 | Weblog



職業安定所、略して 「職安」。

現在ではハローワークとか言うらしいが、そんなチャラい和製英語より、

「職安」 という響きの方が好きだ。

昔、憧がれていたライブハウス「LOFT」は、新宿の”職安通り”にあった。

旧LOFTの話だから、今は移転して、新宿の違うところに在る。

十数年前「ばるぼら」で「LOFT」に出演したとき、何かの話のついでに(今は亡き)父親に、、

「今度、新宿の”職安通り”にあるライヴハウスに出るんだよ」と言ったら

「懐かしいな、若かった頃俺もそのへんでよく、仕事したりしたよ」と話してくれた。

そのことは俺にとっても感慨深く、”職安通り”に着いた時は、懐かしささえ感じた。

・・・・・・生まれ故郷である、戸山ハイツから近かった、ってこともあるんだけどね。


さて、時間は流れて21世紀になり、俺は紆余曲折あってまた(何度目か?)求職することになり、

七転び八起きの末、「職安」で仕事を見つけた。これがまた「昭和」な感じの、レトロな運送会社で。


まずは、

面接に行った。都市部の、わりに賑わってる地区に、大きな駐車場。舗装は、されていない。

入り口の看板に大きく「福笑運送」(筆者注・・仮名)と毛筆体で書いてある。

京都市内の、ビジネス街のビルが林立してる土地柄なのだが、そこだけ平地で、大型トラックが数台停めてある。

同じ敷地内の大通り沿いには別の和風な名前の、これまたレトロな定食屋が。

ふうん・・・・と思いながら敷地内の自転車置き場にバイクを停めていると、

定食屋から出てきた白髪白髭のご老人に怒鳴られる。「なにしとるんじゃそこで!」

ひぃ・・・・と思いつつ「「運送屋さんのほうに面接で来ました~」と言うと。

「何だと?・・・・・・・ほんなら、入れ」と。

この人は社長さんだった(運送会社も定食屋も同じ経営だった)。

職安からこの時間に面接行きます、と連絡行ってるはずなんだから、怒鳴らないでよね(笑)。

さて、社長さんに連れられて定食屋裏の運送事務所に行くと、

そこは壁に毛筆で「根性」と書かれた額縁があり、ソファがあり、チワワがいた。昭和だ。

社員は十数人のようで、社長の息子さんが専務をされているようだ。社長の奥さんも、定食屋にいるみたい。

家族経営って、ほんわかしていいよね。

運送事務所の事務員もいるのだが、昼時に行ったらエプロンをつけて、定食屋で働いていた(笑)。

従業員(運転手)には、定食屋の弁当を持たせてくれることもあるそうだ。

さてさて、

とても感じの良い人達だったので、俺はそこで働かせてもらうことになった。

乗るのは、積載量13トン800、思いっきりフルサイズの大型トラック、ウイング車である。

振込み銀行を聞かれないな・・・と思っていたら給料は「手渡し」で頂けるみたいだし(珍しいよね?)、

制服・・・というか作業着はどうするのかな?と思っていたら

社長が着ていた「福笑運送」ネーム入りのジャンパーをくれて、「わしのじゃけど、やる」とのこと。

どこまで昭和なんだ(笑)。

あそこの敷地内だけ昭和で時が止まってるかのようだ。まるで高倉健が働いていそうな、運送会社。

雰囲気は昭和だが、トラックはちゃんとエアサス、GPSタコグラフ装備で、ちゃんとしてる。

でもトラックのオイル交換は自分でやるらしい。・・・・・昭和だ。

土日に休みが多いのが嬉しい。ココロおぎなくライヴ出来る、というものだ。

運送事務所も定食屋も、建物は風格ある・・・というか古いんだが、

新しい建物より断然、俺はそういうのが好きなのだ。俺のバイク停めてても、似合うし。


・・・・・・・・・・・・・・さてさて、今後、どうなりますやら。

「昭和レトロ運送会社での、片山道郎奮闘記」。

また落ち着いて、面白いことあったら書くよ。







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地球は遠い将来・・・・(予言)。

2016-01-28 19:11:12 | Weblog


予言である。


「地球」という我々の惑星は遠い将来、「輪」を持つに至るだろう。


「リング」と言い換えてもいい。あの、土星の「輪」みたいなヤツ。

ただし、地球に出来る(であろう)「輪」は、人工物である、当然ながら。




話は、「宇宙エレベーター」から始まる。

「宇宙エレベーター」って知ってる?

1960年代にアーサー・C・クラークが発想したもので、

文字通りの「エレベーター」を、遥か上空・・・成層圏を超えるほどの高さのものを建設すれば、

人間や、物資が、

地球の重力圏をたやすく、ほとんど何の危険もなく突破して

宇宙へ簡単に、安価に行ける、という壮大なもの。

もしも・・・・これが実現すれば大げさなロケットなど不必要になる。

現状での「大気圏突破」というのは本当に大変、かつ危険なのだ。

スペースシャトル「チャレンジャー」も、打ち上げ直後に、大気圏内で爆発したはずだ。


で、この「宇宙エレベーター」、決してSF的な夢想ではない。

去年だか、一昨年だったか、日本の某大手建設会社が、

これの建設計画と建設費を何かに発表していた。建設に着手こそしないが、

予算さえあれば、実際に建設は可能だそうだ。

(やろうとすれば)本当に出来るんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


この「宇宙エレベーター」の恩恵は計り知れないはずだ。




さてそこからもう一歩、飛躍して考えてみる。


その宇宙エレベーター、アーサー・Cクラークが言ってることなのだが、

建設地は赤道直下だ。実際的な理由は、忘れたけど。

そして、一本ではなく、何本も建設する。全部、赤道直下に。


例えて言えば・・・ゆで卵の側面に爪楊枝を突き立てていって、横にぐるっと一周させる。

ゆで卵が地球、爪楊枝が宇宙エレベーター。


その爪楊枝の棒の先にあたる部分に、「宇宙ステーション」を建設する。

そして、それをつなげていくと・・・・・・見事、「人工の輪」の出来上がりだ。


すごく大雑把だが、伝わっただろうか?

この「輪状」の宇宙ステーションは無重力下での各種実験や、

もちろん宇宙探査に出掛ける探査船のための「宇宙港」になるし、

天体観測や、放送、通信などの電波関係に実際に実用的だし、そうだ、太陽光発電も完璧。

実際に各国一致団結さえすれば、建設は可能であろうし、

それどころか「建設するべきではないか」とさえ、思えてくる。


万が一の事故での地球上への落下・・・などを考えれば、建設材料は「木材」が良いのではないか(と、俺は思う)。

耐久性を考慮しても「木材」は、1000年以上持つぞ。奈良の法隆寺を見よ。

そして、もし、そうなった場合、

何と木製の「輪」だ。エコで素敵だなぁ。




夢想的な話のようで、そうでもないところが素敵・・・だと、思わないか?





写真は、遠い未来の地球・・・ではなく、言わずと知れた「オーブ」だ。

ある人から頂いた、俺の「宝物」のひとつである。


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世情・2 (少し改変しました。)

2016-01-27 21:50:29 | Weblog



俺だって毎日、メルヘンチックでロマンチックな夢ばかり語っているわけではない。

現実的な事だって思索しながら日々生きている。・・・・・少々、的外れなこともあるが。


昨日の日記に付記しておきたいのだが、

「石油エネルギーに代替するものが必要」と言ったって勿論、原子力はノー・グッドだ。

あれが「クリーンなエネルギー」なんてのは大嘘だった。(登場時は、本当にそんなこと言ってたんだぜ。)

エネルギーと引き換えに、何千年も消えない毒物を大量に作り出す。

廃棄物が、どうしたって手に負えないのだから、

我々人類は、原子力というテクノロジーを完全に凍結すべきではないだろうか。


・・・・・・・・・俺が言いたかったのは、石油がまだ出るからと言って、

風力発電や、太陽光発電などの自然を利用した発電機関の開発から手を抜くべきではない、ということだ。

特に、太陽のエネルギー。

我々、地球上の生物はすべて、「太陽エネルギーの産物」と言ってもいいくらいのものだ。

ちょっと極端に聞こえるかもしれないけど、本当に。

古代エジプトの宗教は「太陽神信仰」だったそうだが、さもありなん、というか、

太陽を「神」と崇める心理は、大局的に観て、そう間違っていない・・・ような気もする。

「ような気もする」という程度の話だが。


さて、話は変わって、また現実的な話を。


今後、「自転車」に保険の加入が義務付けられるそうだ。事故が多いから、それは必要なことだ、と思う。

しかし、このまま行くと・・・・

遠くない将来、自転車搭乗時にも、ヘルメットの着用が義務付けられるだろう、確実に。

まあ、現在既に、子供達は通学時に不細工なヘルメットかぶらされてるけど。

一般のオトナも、オッチャンもオバチャンも、必ず着用。ノーヘルだと罰金・・・ってことになるだろう。

今のオートバイみたいに。

そして、その後は必然的に四輪車・・・・つまり、普通のクルマに乗る時もヘルメット着用が必須となる。

バスやタクシーに乗る時も勿論。電車に乗る時も。

そして最終的には、歩行者も。

家から出る時には全ての人が、ヘルメットと身体を守るプロテクター(「スター・ウォーズ」の帝国軍兵士みたいなやつ)

を装着せねば外出できない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

というような事態にまで行き着くだろう。

歩いててちょっと転んだら、プロテクターのエアバッグが開いてしまうのかも知れない。

マヌケだ。


それが どれくらい先の事かは、わからない。すぐに そうなっちまうかもしれない。

これは「予言」だ。

「暗い予言」だが。

世の中、どんどん・・・・・・・・・・・・・・・・・・面倒臭くなって行く。

「しょうがない」気もするが。「しょうがなくない」気もする。






単純に「世界がどんどん悪くなっていく」とは俺は、思わないのだけれど。





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世情

2016-01-26 21:47:55 | Weblog

つくづく思うのだが、

大型トラックというヤツは本当にガソリンをよく喰う。(ディーゼルだから軽油だが。)

「湯水のように」とはよく言ったものだが、

「お湯」や「水」なら使っても蒸発したりして地に還り天に還り、

また「水」として復活するのだけれど

ガソリンを消費すれば「排気ガス」になるだけの話だ。

「湯水」とはそれこそ、天と地ほどの違いがある。

そういえば・・・俺達がコドモだった頃に「石油ショック」があって、

地球上のガソリンはあと30年でなくなる、という話が

「科学的な真実」として出回った。・・・・・出回ったよね?俺、ちゃんと覚えてるぜ。

アレが確か1970年代のことだったから、本当なら地球上のガソリンは

もう「ない」はずなのだが。

あれが「陰謀」でなかったのなら、

単純に、その後に「油田」がいくつもいくつも、発見されたのだろう。そうであってほしい。

アメリカの「シェールガス」だってそうだ。あれって要は「油田」だろ。

最近では、”石油は地球の地下に、「ほぼ無尽蔵にある」”などと主張している人(科学者だと思う)もいるらしい。

「ほぼ無尽蔵」ってね、アータ、無責任な。

でももし、それが本当なら

「ハイブリッドカー」とか「電気自動車」とか「水素燃料自動車」とか要らないんじゃないの?

って(世論が)なるような気がして怖い。

今、ガソリンの価格、最近ちょっと下がってるよね。

どういう世界情勢が背景にあるのかはもちろん、全然わからないんだけど。

俺としては、

二酸化炭素排出による「地球温暖化」という大問題が解決出来ない限り、

これ以上の「石油依存」は危険だと思う。(ああ、優等生的発言。)

・・・・とか言いながら大型トラックなんかに乗ってガソリンを消費している自分が居て、

矛盾しているのは百も承知なのだが、やはり

「思考停止」してしまうよりは、考えた方がいいだろう。

うーん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


ところで俺、冒頭で

「湯水」って言ったけど、

英語には「お湯」にあたる単語って、ないよね?

・・・・・・「WATER」が「HOT WATER」になるだけで。

そう考えると、

「お湯」というのもひとつの「概念」なのだ。





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他者を認識する、ということ。

2016-01-24 10:23:17 | Weblog


何の成り行きだか忘れてしまったが、

去年秋くらいから、小さなエビを飼っている。

何の変哲もないただのエビだが、透き通ってとても綺麗に見えるときもある。

そのエビと、タニシが一匹。

先日 ふ、と思いついてエビをもう一匹ショップで見つけて購入し、

我が家の小さな小さな水槽に投入してみた。

エビは長いこと一人きりで、「孤高」のように見えたので、

どう反応するか?がとても興味深かった。

でも大体において、「他者」を認識するのか?とさえ思っていたのだが、

「もう一匹」を投入した結果、意外と仲良くしているように見える。

いつも近くに居るし、じゃれあっているように見えることもあるのだ。

やはり、同種は認識するよね。大きさも同じくらいだし。

子供は子供を意識するし、ヤンキーはヤンキー同士でケンカする。犬は犬同士吠えあう。

生物は「同種」に、とても敏感だ。

だがしかしこの場合、タニシはどうなのか。

彼には「目」がないし、エビの存在自体、認識しているのかどうかわからない。

「視覚」以外の感覚でちゃんと認識しているような気はするのだが、

こういうのって結局は本人に「聞いて」みなければわからない。

タニシも、エビも、人語を解さないし、タニシにいたっては「聴力」すら有するのかどうかわからない。

そうなると我々の間の「意思の疎通」は絶望的である。

そう考えると「言語」というのは凄い。改めて思ってしまう。

だが「言語」でのコミュニケートも勿論、完全ではない。

アナタの言ったことを私は100%、信じて受け取ることは出来ない・・・という事も多々ある。

「ウラ」があるかもしれないし、

「皮肉」かもしれないし、

「儀礼的に言ってるだけ」なのかもしれないし、

「上手く言葉に出来ていない」のかもしれない。

「誰かに強制的に言わされている」のかもしれないし、

「自分が優位に立つために計算して言ってる」のかもしれない。

他人を理解するのは本当に難しいし、

我々だって「他者」をきちんと「認識」できているのかどうか、怪しいものである。

そう、赤裸々に、正直に言うけど

僕は、君が何を考えてるのか わからない。

それは、とても寂しいような気もするけど当然だし、

それでも、というか だからこそ  君は・・・・・興味深いし魅力的であるのだ。

そう言う僕は、タニシの気持ちさえ理解できない。

だけど、君に伝わって欲しい、という「思い」を抱く。

そんな風にして文章を綴ったり、歌を書いたりする。

「世界」は、色々なことが難しかったり、逆にあっけないくらい簡単だったり。

僕は小さな水槽を覗き込むたびに

「他者認識」の難しさを思い、君の事を思う。

今日は寒いよね。

雪なんか降らなきゃいいんだけど。





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2月7日のHARD RAINについて

2016-01-21 22:09:33 | Weblog


七転八倒七転び八起きでピーキーにリリカルにロックする我々、


ROCA’66の、今年になってはじめてのライヴ。


2月7日 日曜日に


大阪 梅田 にある、ライヴハウス「HARD RAIN」にて決行。


ギターにもと「ワームス」の赤井を迎えてから二回目のライヴ。


この日の(我々以外の)「HARD RAIN」の出演バンドが決定したので


アップする。





出演バンド



RADIO ACTION


the Lifetools


カミナリボルト


野伏


そして我々、ROCA’66’(順不同)。





・・・ちなみに、野伏(ノブセリ)には、ベーシストとして、


昔、俺のやってた「MITT’S」でベースを弾いてくれてた 高山が加入している。


高山は、「シニカル・クランプ」のベース・ヴォーカルだった人物だ。









いちばん大事な物事を、いちばん大事にするために我々は生きている。


そして そのために、詩を書き、音楽に乗せて、「歌」にする。


それを「音楽家」の友達を集めたロックバンドで、アレンジに拘泥し、


挙句の果てにライヴハウスで大きな音で鳴らす。


あれからどれだけ年月が経ったのだとしても、我々は生きているのだし


生きている限り、音は鳴らしてゆく所存。



万難を排して、


梅田「HARD RAIN」で我々は邂逅すべきである。



とか言ってって力んでも・・・・・・・・・・・・・・



まだちょっと先かぁ?


ま、いいや、




予定明けといてくれよ。
















写真はFUKUTA YUKI嬢撮影の、前回のライヴ。

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少女マンガ用語

2016-01-19 15:50:49 | Weblog

昨日、自分で使って思ったのだが、

オトコが、それも大の大人が・・・・・

「乙女ちっく」などという言葉を使うのは、おかしい・・・と言うか見苦しい。

俺だって、文面では使うが

発語する、となったら躊躇する。

「少女マンガ専門用語」という気がするからだ。しかも1970年代の「りぼん」。

絵まで頭に浮かぶ(←好きなくせに)。


「胸キュン」という言葉も同様だ。

昔、「YMO」にそんなヒット曲があって、あれは聴くたびに

いたたまれない気持ちにさせられた。

そういう「違和感」を狙ったもの・・・・と取れなくもないのだが、

俺は苦手だ。

過去に、その曲のタイトル以外で、その言葉を発語したことはない。・・・・ないはずだ。

そのような気持ちに、陥ったことはあるのに(あるのか?)・・・・。

そういう時オトコはやはり、憂歌団のかすれ声を念頭に「胸が痛い」と言うべきなのであろう

(あまりシリアスに言うと、救急車を呼ばれる)。

残念ながら「キュン」のキュートさはない。


「微妙」という言葉も、現代より以前は、デリケートな言葉で、俺は好きだった。

今だって、文章に書く時はいいのだけれど、

いざ、発語する、となるとどうしても

「ビミョー・・・・・・・」になってしまって、そうなるとそれは

大の大人の発言ではない、というようなことになってしまった。

思春期の女の子っぽいよね?「ビミョー・・・・・・・」って。しかも意味は「否定」だし。

少し腹立たしい。

その言葉を、オトコが発語している姿は恐らく

「少し」でなく腹立たしい風景であろうと想像される。


「素敵」も、オトコが使うと可笑しい言葉・・・・・とされているらしい。ある本にそう書いてあった。

だが俺は使う。この言葉、好きなのだ。

気をつけていることは、発語したこの言葉が「カタカナ」に聞こえないように・・・・することだ。

「ステキ」となると、もう駄目だ。「よ」をつけて「ステキよぉ~」となると、

オネエの「ステロタイプ語」となる。

一語一語、区切って発語するのも危うい。

「ス・テ・キ」となるからだ。ハートマークなど飛ばしたくなるではないか。


しかし思うにそんな風に

「ジェンダーの境界線」というのは言語文化的に、考現学的に、はっきりと線引きされているのだ。

そういうのって、興味深いし、いろいろと飽きなくていいよね。


だからこそ、たまにオネエ言葉を使ったりすると新鮮で、付きまとう「違和感」が(自分では)楽しい。

年がら年中それやってるとただの「オネエキャラ」と化してしまう。

(使って「違和感」のあるうちが華だ。俺にはもうない?いやいや、そんなことはない。)

気、気をつけなければ。・・・オネエが嫌い、ってこともないのだが。


でもやっぱ、女の子って自由で羨ましいな。

オトコって不自由だ。

そんな気がする。










しかし、今日は強烈に寒いね。

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無題

2016-01-18 22:28:43 | Weblog

そう言やあ・・よぉ。


最近、仕事で行ったとこで・・・・何処だったかな?明石か、姫路だと思うけど、


通りがかった国道沿いに


「風の詩」っていうラブホがあって、ぶっ飛んだよ。


いや、単に苦笑したって言うか。


やっぱアレって「カゼノウタ」って読むんだろうな?




「ひぃっ!やめてよね」って、ついオカマ化しちまったよ俺、瞬時に。仕事中なのに。




あ、言っとくけど俺よぉ、


日記ではよく女言葉で書いてるけど、日常では滅多に「オカマ化」しねえんだよ。


マジだって。



スカートだって履かねえし、少女マンガも、今では読まねえ。


フリフリのブラウスだって持ってねえっての。


チャイナドレスは持ってるけどよ。


ココロは「硬派」だっての。



1993年までやってたバンドに「風の歌」って名前付けたのはアレだよ、


天才・トルーマン・カポーティからの引用なんだよ。


ハードで、虚無的で、クールでデカダンなんだっつうの。


「風の詩」みたいな80年代ファンシーグッズ路線と一緒にされちゃあ、立つ瀬がねえ。



でもまあ、いいや。


そんなの誰も気にしや、しねえ。


それに、今は「ROCA’66」ってバンドやってるんだ。


来月には、今年初のライヴやるぜ。


梅田 ハードレイン。


2016年、2月7日 日曜日。


「ROCA’66」が、どういうバンドか、って?


えーっと、簡単に言うと・・・ハードに、ピーキーにロックする反面、リリカルでフォーキーで内省的なんだ。



でも、自分で言っといてアレだけど、「リリカル」って概念自体、


ちょっと乙女ちっく(←死語)だ・・・・・よな。


うーん。


まあ、大目に見てくれよ。





それよりよぉ・・・



そのうち「ROCA’66」っていう名前のラブホが建ったりしねえだろうな?







そういうの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




ぜひやめて欲しいわよ(暗転)。




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言葉。

2016-01-13 23:03:59 | Weblog

R.I.Pと略すのも含めて・・・・・・・・

「お悔やみの言葉」として、

”レスト・イン・ピース”というのは悪くないと思う。


(故人の、)平和の中での休息を望む・・・・・という意味だよね?直訳的に言うと。

安らかに眠って下さい・・・という風にも、受け取れる。

故人が、深い眠りの中に在るのだ、という錯覚は、心安らぐものでもある。

即物的だし、「思想」が入り込んでないところが素晴らしい。




「気を落とされないように」というのも、優しくて良い。「気遣い」が感じられる。

「気」というのもひとつの「思想」か?・・・・・・・違うな、ひとつの「概念」では、あるけれど。



「冥福」・・・・というのは、ちょっと違う気もするんだが。それはさておき。





紋切り型の、よくあるフレーズなのかも知れないけど

そういうのが心に響いて「救われる」ことだってある。



「言葉」自体、もともと在るものの「組み合わせ」なのだから、

どんな言葉でも「紋切り型」と言われれば「紋切り型」だ。




「心」さえ、こもっていれば、それでいいのかも知れないけど。





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レスト・イン・ピース・・・・デヴィッド・ボウイ

2016-01-11 20:20:05 | Weblog


デヴィッド・ボウイの死のニュースは私に、

ヤフー・ニュースのヘッダーを通して伝えられた。


・・・・・・・・そんなはずではなかった。

だが、どんな風に「それ」を知ればよかった・・と言うのか。

私にはわからない。


ただ、それは痛かった。

あのひとが本当に特別な存在・・・とは言え、

会ったこともない、それもスーパースター中のスーパースターの「死」なのに、

心の深いところで「痛み」を感じた。

言葉遊びのつもりではないけれど・・・・・・・・私は、彼の死を「悼む」。(語源は同一であろう。)



新譜であり、遺作になった「ブラックスター」関連のPVをさっき、見た。

間違うかたなき「去ってゆくもの」からの、メッセージ。

このPVから伝わってくるのは、「死への恐れ」と、その「神聖さ」と「穢れ」だ。

少なくとも私は、そう取った。


このPVがボウイの意向に沿うものなら彼は、この時点では

「死」を受け入れていないように見受けられる。

・・・・・・・・・「当然」と言えば「当然」だ。

私だって、死ぬときには「自身の死」を最後まで、「受け入れる」ことは出来ないだろう。


だがこんな、

こんなタイミング(自身の「死」を確実に予期したタイミング)で

PVを製作することの出来る人が他に居るだろうか?

かつて居ただろうか?(カートの事はまた、別の話だ。)

しかも「それ」を、世界中の人間が(俺も・・・・)興味しんしんで観ることは、明らかだ。

そういう意味で、

これは、空前絶後のPVである・・ような気がする。




彼は、あまりにも超越的で美しかったね。




本当に!・・・全ては移ろい行くのだ。










でも、つい思ってしまうのは

8年ちょっと前に

ボウイと同じく癌で死んだ「彼」が

(死ぬ直前に)PVをもし、作っていたとしたらそれはすごく

ハッピーなものだったんじゃないかな・・・・・・・・・・・なんてね。








「もし」は、ない・・・・・・から、わからないんだけど。




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