ストラトにフロイド・ローズ。

2022-11-30 21:22:50 | Weblog

ジミヘンのライヴ映像なんか見てて、いつも思ってしまうのは

この人、本当に「トレモロアーム」を使ったプレイが好きだなぁ、ということと、

この時代にもしも「フロイド・ローズ」が発明されていたら

ジミは迷いなくストラトに取り付けたであろうなぁ・・・、ということだ。

 

ジミほどアームを多用する人はいないと思う。

ヴァン・ヘイレンもそりゃよく使うけど、あくまでギミックな感じがする。

ジミの使い方はギミックではない。親の仇のように使いまくる。

そして当然のようにチューニングは狂う。

だから彼は時々サッと、ペグを触って音の狂いを直すのだ。

けっこうそれで直ってるのが本当に凄いけど、

さすがの天才も、演奏中に「完璧に」チューニングを直すのは無理だ。

誰だって無理だそんなの。

スーパーマンでもアインシュタインでも無理だ。

 

でも1980年代に登場した「フロイド・ローズ」は、

ジミみたいな無茶な使い方してもチューニングは狂わない。

ビミョーには狂う?場合もあるので後年、「ファインチューナー」

というものが新たに発明されてフロイドローズは完璧になった。

ビミョーな狂いも、ブリッジ側で調整できるのだ簡単に。

 

ジミ本人もきっと、この「チューニング問題」は悩ましかったであろう。

 

いつかこの先、タイムマシン的なものが発明されたとしたら

僕のしたいことは二つ。

1988年5月末の岩佐に「絶対テキ屋バイトの旅に出かけてはいけない」

と伝えることと、

ジミにファインチューナー付きのフロイド・ローズをプレゼントするのだ。

 

 

タイムマシン的なものなんて

夢のまた夢のまた夢のまた夢のまた夢の(以下永遠に続く)

なのだけれど。

 

 

そんなこと、百も承知なのだけれど。

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〇〇モデルのギター

2022-11-29 21:21:29 | Weblog

○○モデルのギターの中で、何がいちばん有名だろう?

フェンダーの、レースセンサーピックアップの

エリック・クラプトンモデルか?

ヴァン・ヘイレンの「ウルフギャング」か?

スティーヴ・ヴァイモデルの、アイバニーズか???

日本ではフェルナンデスの布袋モデルが有名か。

HIDEモデルも、よく見る。

 

ギターメーカーの人もしかし、せっかく○○モデルっていうのを

頑張って作ったのに、本人が使用してくれてない場合も多い気がする。

 

ESP制作の、CHARモデルのオリジナルギター、というのが存在するのだが

本人が使ってるのを見たことがない。

クラプトンは、使ってるのかな??わからない・・・。

クラプトンモデルの見た目は、フツーのストラトだから

よーっく見ないとピックアップがレースセンサーかどうか判別し辛い。

 

LOUDNESSの高崎晃は例の、ESPの派手な「ランダムスター」をずっと

使っていたのだがある時、自分でギターメーカーを立ち上げた。

KILLERという名前。自身がデザインしたらしいが「ランダムスターの劣化版」

みたいな姿のそのギターを使っている。

 

マイケル・シェンカーのあの白黒フライングVはとても有名なのだが、

今現在、彼が使っているのはギブソンではなく「ディーン」というメーカーの

、ヘッドが逆V型になってるヤツだ。白黒塗装はそのまま。

 

自分モデルのギターを作るかつくらないか、というのは

有名ギタリストにとってきっと、悩ましい問題であろう、と想像する。

 

キース・リチャーズ・モデルのテレキャスターは存在しない。

フェンダーはきっと、何度もオファーしてると思うけど。

 

ジミー・ペイジ・モデルのレスポールもないよね?

 

ジェフ・ベック・ストラトキャスターは、あった。

けっこう昔からあったな。本人使ってないけど。

 

ちょっと前に、浅井健一モデルのグレッチ、というのが出たのだけれど。

本人は、使ってない感じがする。

ステージに、サブギターとして置いてはある。

 

「自分モデル」のギター、なんてものを作るのを承諾してしまって、

現物を手にしてしまったら(たぶん、くれるのだと思うけど)、

自分で自由にギターを選んで使えなくなってしまう・・・・と思う。

義理堅い人なら尚更だ。

 

だからキースはずっと、作らないのだろうし、

ジョン・フルシアンテも作る予定はないと思う。

サーストン・ムーアにしても、作らないだろう。

 

ダイナソーJRの、J・マスシスは・・・あっさり作った。

フェンダー・ジャズマスター・J・マスシスモデル。

でもそれ、使ってるの見たことないし、あろうことか彼は

ギター雑誌のインタヴューで「最高のギターはSGジュニア」

とか発言している。フェンダーの人はきっと泣いている。

 

そうそう、今ではギブソン・エレクトリック・ギターの代名詞である

「レス・ポール」も、

レス・ポールさんのアーティスト・モデルなんだよね。

 

そういえば、カート・コバーンの奥さんでもある

「HOLE」の、コートニー・ラヴは、

彼女モデルのギターが存在して、それを彼女はよく使っていた。

しかし、あの人くらい破天荒なキャラなら、

”自分モデルのギター作ったがいいが、全然使わない”・・・っていうほうが

お似合いなんだがな。

 

しかし

 

もしカートが生きていたら、

彼がデザインした(らしい)、フェンダー「ジャグ・スタング」を

時々は使っただろうか???

 

 

 

 

 

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YMO関連とストラトキャスター。

2022-11-27 20:34:42 | Weblog

教授もユキヒロも闘病中のようで、

なかなかハラハラさせられる近年なのだが。

 

このところの僕は、YOUTUBEで昔のYMO関連の動画を見ることが多い。

初期のヨーロッパツアーから、わりに近年のものまで、興味は尽きない。

いつ頃のものなのかちょっとわからないのだけれど、

教授が音楽ワークショップみたいなのをやっていて、それもすごく面白い。

YMOの3人とピーターバラカンで、対談したりしている。

・・・・・・・・・・・・・・・面白過ぎる。

出演陣の老け具合から見て、そんなに以前の物ではないと思うのだが、

「昔(YMOの頃)は、クリックが必須で、絶対ジャストのリズムから

ズレてはいけなかったんだけど・・・・今思うのは

例えばリズムが「走る」のって、自然ですよね」と教授が言うと、

ユキヒロさんも細野さんも「うんうん」って頷くのだ。

何か・・・0コンマのリズムのズレにこだわっていた

あの人達がこんなこと言うんだ・・・と衝撃的で、とても良い。

細野さんも現在のレコーディングではクリックなど使っていないみたいだ。

僕(片山道郎)の意見を言わせてもらえれば・・・・・

昔からクリックなんか不自然で、大嫌いだったぜ。

 

そしてYMOは、その時代その時代で、サポートギタリストが替わる。

いちばん古くは大村憲治か。

このギターがまた、モノスゴイの一言である。

ジャズ的でもあるし、アヴァンギャルドでもあるギター。素晴らしい。

使用楽器はストラト、もしくは70年代に日本のメーカーが

独自で創り出したストラトの亜種。

要するに、グレコのGOⅡみたいなやつ。これがまた素晴らしい。

そのあとのギターは高野寛。これも小憎らしく、良い。ギターはストラト。

そして一番最近のサポートギターは、あの小山田圭吾だった。

何か悔しい気もするのだが、これもとても良い演奏をしている。

小山田君のYMOでの使用ギターは多分ジャズマスターとかだ。ムスタングもあったかな。

でもこの間見た動画で小山田君が弾いていたのはストラトで、

よく見たら何と、トレモロ・ユニットが交換されている。

あれはフロイド・ローズだ。ちゃんとネックのところのロックもついている。

 

ストラトにフロイド・ローズを搭載する、というのはすごくいいアイディアで、

僕も実は手持ちのG&L・SKYHAWKにフロイド・ローズ(ライセンスもの)を

取り付けている。SKYHAWKは言ってみれば「ストラト亜種」なので、

やってることは一緒だ。

 

この改造、すごくいいのに ほとんど誰も・・・やってないのだ。

(あ、もちろんヘヴィ・メタル畑の人々以外は、という意味ね。)

チューニング狂わなくて超・便利だし、すごい大胆な(ジミヘン的な)

アームの使い方とかできるのに、勿体ないなあ、と以前から思っていたのだが、

YMOバックの時の小山田君が使ってるのを見て、ちょっと嬉しかった。

 

しかしそれにしても、

YMOサポートのギタリストはストラト率が高い。

 

僕としてはすごく「わかる」気がする。

音が・・・・キツ過ぎないし、太いし、使いやすいし、軽くて丈夫だし、

そしてそして!

「シンクロナイズド・トレモロ・ユニット」が純正で搭載されているギターって、

考えたみたら世界中でストラトだけなのだ。

「フロイド・ローズ」も、考えようによっては「シンクロナイズド」の強化版だし。

 

 

 

・・・と思ってたらこないだラジオで

YMOのカヴァーで有名な「ファイアー・クラッカー」を

ギターで演奏してる曲が流れて、

「何だこれ?????」と驚愕していたらその演奏の主は

「クルアンビン」のものだった。すごい。素晴らしい。

そういえば「クルアンビン」のギターのあの人も

使用楽器はストラトキャスターだよ。

 

 

YMO関連とストラトは相性がいいのかも。

 

 

 

 

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「繋がり」について思う。

2022-11-23 18:55:53 | Weblog

先週の日曜日に放送された分の

インターFMのラジオ番組「バラカンビート」を

ラジコのタイムフリー機能で聞いていた。

その中でピーターさんが面白い話をしていて、

それは坂本龍一の「ビハインドザマスク」という曲を

マイケルジャクソンがカヴァーしたがっている、

という連絡がマイケルの事務所から「ヨロシタミュージック」に手紙で来て・・・・・

という話。

当時(1982年頃かな?)のピーターさんは

「ヨロシタミュージック」の社員だったのだ。

結局、「ビハインドザマスク」のカヴァーはその時製作中だった

マイケルジャクソンのアルバム(のちの「スリラー」)には

収録されなかったのだが後年、未発表モノとして発表された。

 

ピーターさんの口から「ヨロシタミュージック」という単語が

発音されるのは珍しくて、僕はそれだけで嬉しかった。

 

「ヨロシタミュージック」は、

僕等が「ばるぼら」というバンドでさんざんお世話になった

音楽事務所であるのだ。

ヨロシタから派生したのが「MIDI」というレコード会社である。

「ばるぼら」はMIDI CREATIVEから三枚、アルバムをリリースした。

 

僕は一度だけ、東京・青山の「ヨロシタミュージック」の事務所を

訪れたことがある。

 

今現在は移転して、同じ青山の違う所にあるのだが、

移転前の小ぢんまりとした自社ビルに、

「ばるぼら」の契約のためにメンバー全員で行ったのだ・・・懐かしい。

 

ピーターさんが働いていたのも、あの建物だったはず。

 

とてもいいところだった。

僕等が訪れたのは1996年だった。

その時代にはもちろん、ピーターさんはヨロシタの社員ではないのだけれど、

何だか親近感がわく。

 

ピーター・バラカンのラジオ番組「ウィークエンドサンシャイン」を

教えてくれたのは、あの どいけん で、

何だか世界はいろんなところでいろんな風に「繋がってる」のだ。

そして僕と「ヨロシタ」を繋いでくれたのは

あの「マッドギャング」の碇健太郎さん(とS村さん)だったし、

碇さんと出会えたのは

佐治たちと「ランブルフィッシュ」をやっていた、その流れの中なのだ。

 

考えてみたらピーターバラカンの愛好する音楽って

YMOとは全然違う領域のものばかりだ。

人間臭い、というか・・・・とてもアナログなものを彼は好む。

 

でもピーターさんはヨロシタで大蔵さんを通じてYMOと出会う。

そして一緒に仕事をする中で、

彼らととても親しくなって行ったのだと思う。

そして彼ら・・というかテクノみたいな音楽に対する見方も

変わったであろうな、と推測する。

 

2022年の今、様々な出来事を通り過ぎて、

そのうえでピーターさんのラジオを聞くのは、とても楽しい。

 

そして何よりも、

僕等の 音楽をめぐる物語 はまだ終わってはいないのだ。

 

生きてるあいだは、すべてのことが「リアルタイム」であるから。

 

 

 

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現代の暮らし。

2022-11-16 20:27:45 | Weblog

 我々の暮らしが今みたいな感じになったのはいつ頃なのだろう?

と、ふと考えた。

ケータイ電話を僕が持ち始めたのは確か1997年。

あれはリカオさんが死んだ年だった。

 

ケータイなんかなくても不自由はない、と思うのだが、それはいいとして、

家電話、というのは僕が物心ついたころからあった。ダイヤルの、黒電話である。

もしも家電話がなかったらそれはとてもとても不便であろう。 

あ、そういえば水洗トイレというものは全国に普及してなかったと思う。

僕が子供の頃の話ね。

新宿は水洗だったけど、引っ越し先の福山はそうではなかった。

でも汲み取り式のトイレって、排泄物を肥料に変えるし、

とても合理的と思うんだがね。そりゃちょっと臭かったけどさ、

あれくらいの臭さが日常にあっても良い。

我々は脱臭・脱菌 され過ぎていると感じているのは僕だけではあるまい。

 

それで・・・ウオッシュレットってのが普及したのはここ20年くらいか?

今や高速道路のパーキングの公衆トイレにもついている。

素晴らしい・・・けどちょっと「やり過ぎ」な感もある。

 

クルマは、あと30年したら電気自動車がメインになっているだろうか?

俺はそれ、無理だと思うんだがね。

そうそう、昔はトラックの荷台が、「幌」をかぶったものばかりだった。

布製の、「幌」。

今みたいな金属製の「ハコ車」、

電動で開閉する「ウィング車」なんて、一台もなかった。

これは隔世の感がある。

あとあれだ、スクーターってものが、ほとんどなかった。

「カブ」だった。スーパーカブ。

50CCなら、ヘルメットも要らなかった。

今みたいなスタイルのスクーターが登場、大流行りしたのは

1980年代半ばくらいからだった。

あと何だろうな、煙草に関しては、ひどかった。

何処でも吸えたし、吸ってない大人のほうが珍しかった。

新幹線の車内でも吸えたし、飛行機の機内でも吸えた。

人ごみの中でも平気で煙草吸ってる奴がいた。

そういえば、

今でこそ、ギターを弾いてる人って多いけど、昔は全然いなかったな。

ライヴハウスも、全然少なかったし。

あ、そうだ、パソコンも全然、一般的じゃなかったな。

インターネットもなかったし、そうだ、

買い物を「アマゾンでポチる」ようになったのも大変化だよな。

あれって、ここ10年くらいの文化かな???20年?

あとそうだ、「回転ずし」なんてものは昔は、なかった。

そのかわり(というか何と言うか)、

「小僧寿し」という持ち帰り専門の安価な寿司屋チェーンがあった。

あまりご馳走ではなかった。

僕が初めて「回転ずし」を見たのは高校を卒業してすぐ、

難波の道頓堀だった。「近未来SF」みたいな感じがしたんだぜマジで。

今みたいなファミリー向けの回転ずしじゃないからさ。

薄暗くて本当に、ちょっと 映画「ブレードランナー」みたいだった。

 

18歳の僕は高校を卒業して大阪に出てきて、

まだアメ村で働き出す前で、

世間はいわゆるバブル景気直前の活気ある感じで、

何か知らないけど阪神タイガースが優勝したりして、

わちゃわちゃしてガサガサして目まぐるしくて、

僕は全然お金もなくて少しだけ孤独で、少し悲しかった1985年頃。

 

昔が良かった、とは僕は全然思わない。

でもあの、道頓堀の地下二階の薄暗い、狭い、回転ずし屋だけは良かったな。

鉄骨とかパイプ剥き出しの内装、BGMもなし。

僕はたまに行っては、小食なドブネズミのように

一皿か二皿だけ食べて、逃げるように帰ったのだ。

 

 

 

 

 

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「バーコード」の萌芽。

2022-11-11 15:35:14 | Weblog

葉梨、という名前の法務大臣が失言で更迭されるそうだ。

問題となったのは彼の、

死刑執行というものを軽く見ている・・としか思えない発言で、

更迭は当然だし、

死刑制度というものの是非についてきちんと考えるべきである。

 

それはともかく、というか

今回の話の本題は

葉梨というひとの喋る動画や静止画を見て、

「死刑制度の是非」とは関係ないことが引っ掛かったので聞いて欲しい。

 

それは何か、というと   彼の髪型。

一見、どうってことないのだがよく見ると頭頂部が薄くなってる。

それを、後ろと横の髪の毛を頭頂部に持ってきて、

上手いこと隠している・・いや、カヴァーしている。

全然、変ではない。

だがこれ、もしこのまま頭頂部が順調にハゲていかれたときには

この髪型もさらに隠すべき領域が広くなって、しまいには

「バーコード」という髪型が完成するのではないだろうか?

我々がこの動画で見ているものは、世にも貴重な

「バーコード」以前の、その萌芽ともいうべき髪型なのだ、

と僕は思う。

そして、そうか、この状態から始まるのか・・・と

深く納得することになる。

いや、他人事みたいにこんなこと書いて茶化してはいるが、

このことは、シリアスな「我が事」である。

僕だって、いずれ「禿げる」かもしれない。

かもしれないっていうか、禿げるだろう。

でもいいのだ。

そしてもっと太って「ハゲデブ」になるのだ。

そいすれば」「老け専」「ハゲ専」の人達に愛してもらえるかもしれない。

バーコード髪型にするのもよし、

スキンヘッドにするもよし。

我々には無限の未来が待っているのだ。

 

そして、ついでに言うが岸田政権は全員クビで、辞任してもらって、

もう自民党も解散したらいいのだ。

私利私欲と自分の利権の事ばかり考えながら国会で昼寝する傲慢オヤジ達。

あ、そうだ、この話の始めの話題は「死刑制度」だったからさ、

国会で会議中に昼寝したら最高刑「死刑」の罰則作ったらいいんじゃないかな。

 

他人の死刑執行のハンコ気軽に押して、「地味な仕事」とか

そんなこと言ってられなくなるぜ。

 

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バイクの操作系について

2022-11-05 20:45:25 | Weblog

近所に、いい感じのバイク屋がある・・・ってのは

ちょっと前に言ったよね?

大きな店ではないのだけど、店主は

ストーンズのCDをかけながら整備・修理してるし、

待合ベンチのわきにはギブソンSGがさりげなく置いてある。

扱ってるバイクは、何とスクーターがほとんどない。

いわゆる「昔ながらのオートバイ」ばかりなのだ、

このビッグスクーター全盛のご時世に。

素晴らしい。

別にビッグスクーターが悪いわけじゃないけどね、好みの問題。 

 

ちょっと前に、

自分のバイクのオイル交換でそこを訪れた時、

ヤマハのSRとかV-MAXとか、カワサキのW-1とかエストレヤとか、

ハーレーダビッドソンとか、

ホンダのCBとか、

そういうバイクに混じって一台だけ、

めちゃくちゃ古そうなバイクが停めてあった。ほとんど骨董品。

トライアンフのエンブレムが付いている。

オーラみたいなのがそのバイクから出ているような感じ。

よく見たらナンバープレートがちゃんとついている。動くんだな?

尋ねてみたら、店主が最近、ついに「手に入れてしまった」バイクなのだそうだ。

1968年のオールド・トライアンフ。

こつこつと あちこちを修理ながら、恐る恐る、という感じで乗っているのだそうだ。

何しろ、「エンジンのあらゆる隙間からオイルが漏れてくるw」、

というツワモノ。

これは・・・そうとうな修理のスキルがないと維持・管理するのは無理だ。

 

それでね、タイトルの「操作系」の話。

これは英車(イギリス車)なので何と、ブレーキペダルが左にあって、

クラッチペダルが右にあるんだって!!!!!!!!!!!!

日本車とは逆なのだ。

バイクに乗る人しかわからないかもしれないが、これは・・・・・・

難易度が高い。

これに慣れるのは、ほとんど「無理」だ。

この店主の人も、「慣れるの無理っす」と言っていた。

これは、ギターをいきなり「左利き用のを弾け」、と渡されるのに近い。

そんなこと出来るのはジミヘンだけである

(ジミヘンは右用でも左用でも弾けた・・・・・らしいのだ)。

バイクのブレーキは右、というのが

もう宿命的に我々にはインプットされているのだ。

それこそ無意識に、減速したければ右のペダルを踏む。

こういう、基本的な操作系はホントに、お願いだから統一して欲しいものである。

いや、「多様性」は大事だ、もちろん。

「みんな違って、みんないい」という詩を書いたのは 金子みすず だ。

多様性がなければ我々は窒息して死ぬだろう。

しかし、クルマやバイクがメーカーごとに、そして国ごとに、

操作方法がまちまち、というのは一種の地獄だ。

ギターだって、レギュラーチューニングは 

低い方からE,A,D,G,B,Eと決まっている。

 

しかーし!

今気づいた。

バイクの世界において、根本・・・というか「オリジナル」は、

あちら(英国)であろう恐らく、というか間違いなく。

じゃあ、こちらに文句を言う筋合いはないのだ。

そうか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうなのか。

英国の人たちは昔からこんな

左ペダルがブレーキ、右がクラッチ

というバイクに乗っていたのだね。

チェ・ゲバラも「モーターサイクル・ダイアリーズ」で、

こんなバイクに乗っていたが、あれもそうだったのね。

シド・ヴィシャスも何かの映像でトライアンフに乗ってるけど、

あれも左ブレーキなのだ。

 

 

 

世界は広く、そして複雑である。

僕はちょっと、イチから考え直してみる必要があるかもしれない。

 

 

 

 

 

写真はそのバイクの、エンブレム。

 

 

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父の命日に。

2022-11-03 18:06:42 | Weblog

気付いたら無意識のうちに11月に突入していた。

 

しかも今日、11月3日は、父の命日であったはずだ。

あれは西暦で言えば何年だったのか?

2005年だったかな。

佐治くんが逝ってしまう2年くらい前だった。

父の死も(当然かもしれないが)僕にとっては衝撃だった。

(衝撃は簡単に人の記憶を飛ばす。)

永く患って後の死・・・・ではあったのだが、

それは

とてもとても大きな出来事であった。

その感触を忘れたくなくて、忘れない為にどうしたらいいのかな?

って考えて、そうだ!って思いついて、歌(主に歌詞)を作ったくらいだ。

その歌詞にあとでじっくり曲をつけて完成させて、

それは「カナリア」というタイトルで、今でも

バンドで、ライヴで演る曲なのです。

なぜ「カナリア」かというと、

真っ直ぐに「死」(に関するあれこれ)を扱った歌だから。

ちょっと自分でも痛々しくて毎回は出来ないんだけど。

(あ、その歌知ってる・・・っていう人も何人かいるよね。)

あれは 悲しい、というよりも衝撃・・・だった。

父ともっと話がしたかったな、と思う時が、今でもある。

僕は遺伝的に先天的に(としか思えない)、母によく似ているのだが、

父にも、似ているところが多々あるなあ、と後あとから思った。

父は孤児だったらしい。

本人はそのことについて、一切語らなかったが。

育ててもらった千葉の家は遠い親戚筋だったそうだから、

完全な孤児ではなかったのかもしれないけど、

物心つく前に両親とも失くしてたら「孤児」だよな。

何しろ自分の誕生日さえ知らなかったのだ彼は。

両親の顔も知らないみたいだし。

母と結婚して、子供も生まれ、

新宿の戸山ハイツで、親子だけで暮らしてた頃がもしかしたら

彼にとっては一番幸せだったのかも・・・とか後になって思った。

だって世間は空前の高度成長の好景気でさ。

仕事もいくらでもあったし、ずいぶん稼いだんだぜ、みたいなことを

一度だけ聞いたことがある。

ま、でも

おとーさんはさ、東京でおかーさんに出会った時に一目惚れしちまって、

そういうひとと添い遂げた・・・っていうか

臨終のときにおかーさんが枕元で見守ってたんだから、

良かったよね。

今くらいの季節って、すごくいい。

おとーさんさ、もしかしたら誕生日もこの近辺だったかもしれないじゃん。

透明な感じ、夜が底なしに深い感じ。

そういえば おとーさん、異常に歌が上手かったよね。

あの時、中二の僕に エレキギター買ってくれて本当にありがとね。

あのときも心から感謝したし、今でも感謝してるんだよ。

 

2022年、11月3日。

現世ではロクなことが起きていないです。

侵略戦争は問答無用で続行中、政治の腐敗は目を覆うほど。

消費税増税を検討、とか言い出してるんだよ おとーさん。

ひどいでしょ?

でも僕は何とか生き延びてます。

コロナにも罹らなかった。

いつか誰もが死んでさ、原子の塵に戻る日が来るんだけど

それはそれでいいしさ、

ちょっとその日が待ち遠しいような気さえします。

 

というわけで

秋の良き日に、調子に乗っていろいろ書き過ぎました。

またいつかお会いしましょう。

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