星を見る

2010-04-30 18:22:10 | Weblog



最近、夕方によく星を眺めているのだが。

京都も・・・ほとんど星は見えない。

大阪よりわずかにまし、といったところか。


宵の明星、つまり金星はさすがによく見える。


古代とか中世とかの頃は、人々は

”宵の明星”と””明けの明星”を

別の星だと思っていたいたらしい。

さもありなん。


地球は一年かけて、太陽の周りを回る。

ってことは去年の今日と、

まったく同じ位置に地球は、いるってことで。

つまり惑星を除いた全天の星の位置は、

去年の今日とまったく同じなのだ。


一日に約1度づつ、ずれていく。


昔の人はしかし、そんなのをよく発見したよね。


地動説ってのは本当にすごいな、と。


だってそんなのを、星の動きを長年、記録して、

その動き方から想像したんだぜ。

(もちろんそれしか方法は、ない。)

つくづく驚異だ・・と思ってしまうのだが。


小学生の時に、

何かの本格的なキャンプで

どこかの県の、相当な山奥で何日か過ごしたことがあるのだが。


あの時の圧倒的な星空は、

大人になっても忘れられない。


本当に凄い星空だったんだぜ。







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人類火星人説

2010-04-30 10:48:58 | Weblog


人間の「体内時計」では一日って

25時間なのだそうだ(←本当)。

地球において一日は24時間なのだが、

でも実は火星の一日って何と、

ほぼ25時間なのだ(これも本当)。


我々って、もしかしたら火星人だったのかも知れない。


タバスコソースの生産し過ぎで、

まっ赤っ赤で住めなくなった火星を捨てて・・・

お隣のチキューを

テラフォーミング(惑星改造)したのだ。


きっとそうだ。

だからチキューにとって人間は異質で。


考えてみれば人間の行いって、

不自然なことばかりだ。

「あらゆる生物の中で人間だけがやること」って、

挙げればきりがない。

笑うこと、話すこと、書くこと、ものを作ること、

火を扱うこと、服を着ること、組織的な戦争をすること、

石油を掘り出して・・・・空さえ飛ぶようになったこと。

そしてとどまることのない環境破壊。



大体、「宇宙」という概念を持っているのは人間だけだろう。

瀬戸内海の浅瀬に住むアサリが

「宇宙」を知っているとは思えない。

(とか言って、知っているような気もするが・・・・)


はるか昔の火星では我々はきっと、

服なんか着ていなかったのだ、多分。

だってその方が自然だし。

現在の我々が服を脱ぐのは ほとんど、

お風呂に入る時だけだ。・・・変なの。

つくづく、人間と 他の動物って

かけ離れすぎている。


「近い」と言われている、猿でさえ・・・・


猿があと一万年したら言葉を話し出すと思う?


俺には思えない。

我々はとても、特殊な種族なのだ、

良きにしろ、悪しきにしろ。


何しろ、火星から来たんだからね。



それにしても、一日が25時間だったら!

とても素敵だ。


何が?って・・・・

1時間多く寝れるじゃないデスか。(暗転)



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二十数年

2010-04-27 18:25:17 | Weblog



ROCAの次のライヴは大阪。


俺のエレキギター・ヴォーカルと

しんちゃんの爆裂ドラムに

あきらくんのスーパー・ベース。


考えてみたらこの20年ちょっとの歳月を、

ほとんど同じような事(ライヴ!ですね)をやりながら

過ごしてきたのかも。

いくつものバンドを作ったり壊したりしたけど。


でもまあ、それだけのことをする価値のあった

二十数年だと、俺は思っている。


歌いたいことはまだまだあるし、

爆裂ドラムを聴いて欲しい。

もちろん、ベースも。

ベースという楽器の素晴らしさも再認識したからね。



5/9(日)梅田ハードレイン

ROCA/39average/がらんどう/trio/コーヒー&シガレッツ
18:30 / 19:00  ¥1800 / ¥2300


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チェロ

2010-04-26 08:25:11 | Weblog




昨日の夢の中で友達は俺に、

こういう意味のことを言ったのだ。

「俺が動けなくなったら

その(チェロの)箱に入れて、

一緒に連れてってくれ」と。




何と言うか・・・・

暗示的で、深層心理的だろ?




ところで俺が3年前に、

その友達の実のお兄さんから頂いたギターは

見れば見るほど

不思議で奇妙で味わい深く、

きっと夢に出てきたチェロの原型は

このギターなのだ、間違いなく。






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喪失感と既視感

2010-04-25 20:48:07 | Weblog


本日の完璧な

ドレッシングの味付けは

タータン・チェックのフレア・ミニ


夜と昼との境目の

プラシーボ効果の現れと

まるで眠り薬みたいな媚薬


キラキラと光り輝く

野心で一杯の心を持て余し気味のエイプリル


やる気ならいつも

ヴァニティ・ボックスの中で行方不明


パンダの目をして泣きはらすフライディ

まるで狂気のようなメロディ

誰にも会いたくないエヴリデイ





昨日見た夢の中で僕は

友達とまた旅に出ていて、

何故か

巨大で奇妙なチェロの入ったハード・ケースを

後生大事に持ち歩いている。


友達が「あること」を僕に言う。

それを聞いて

僕は泣く。






喪失感と既視感。




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表裏

2010-04-24 21:05:05 | Weblog


僕はとても幸福である。

だけど同時に、とても不幸でもある。


時々、過小評価されたりする。

そうかと思うと、過大評価されることもある。

どっちでもいいけど、

その中間というものがないのだ。


そして僕は、恐ろしく恵まれてもいる。

だけど

得たもののほとんどは手放さざるを得なかった。


僕は愛され、蔑まれ、

簡単に見過ごされて、

それでも人込みの中で発見されて。


そしていつか、君の記憶からも

あっさり消えてしまう。


何がいけなかったのだろうか?

そして一体、

何が功を奏したのだろうか?






京都に来てからというもの、

「幸せ」の分量が増えたのと同時に、

「ムカつく」ことも増えた気がする。



まあいい。

結局、どうしたって俺は、

「どこかに加わる」というような気は毛頭、ないのだし。

いっしょにバンドをやれる、

有能でかっこいい友達がいればそれでいいのだ。


そしてそんな人はちゃんといてくれてるから大丈夫。



クソみたいな奴等のことは

放っておけばいいのだ。




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煙草についてのモノローグ

2010-04-22 11:00:49 | Weblog




それにしても、

どうして俺は煙草を止めないんだろう?

もともとそんなに好きじゃないはずだし、

体質に合ってない・・とさえ思うのに。


調子に乗って吸い過ぎたら

次の日、まず間違いなく調子悪いのに。

大事な友達が肺癌で死んでしまったのに。

「百害あって一理なし」なのに。


そもそも、何で煙草なんか吸い始めたのか。


・・・やっぱりかっこよく思えたんだろうな。

高校生の頃だ。

俺は別に「不良」に憧れてなんかいなかったのだが。

自分なりに、背伸びをしようとしてたんだろう。



くわえ煙草でギターを弾く、

キース・リチャードがかっこよかった。

ストラトのヘッドに煙草をはさんで焦げ焦げにしてしまってた

エリック・クラプトンも当時はかっこよかった。


しかし、キースやクラプトンって、今でも

煙草吸ってるかな?・・・・・・・もう止めてるかもね。


昔の人は「煙草は身体にいい」って信じてたみたいだ。

はっきりと「身体に悪い」と判明したのは、

いつ頃のことなのだろうか。

まだ最近なのではないだろうか・・戦後すぐとか。


”毒物を嬉々として多くの人々が吸っていて、

毒だとわかっているのに止められない”というのは

けっこうクレイジーな状況かもしれない。

別に、煙草が”陶酔”をもたらすわけではないのだし。


思うんだけど、

これって、どれくらいの確率のロシアン・ルーレットなのだろう?


俺はセルジュ・ゲーンズブールの言ったように

「ゆるやかな自殺」をしているのだろうか。





煙草・・・・・・・・・・・・・・。






付記


だけど昨夜俺は、

通り過ぎてゆく真夜中の貨物列車を背に

クルマのライトに一瞬だけ照らされた、

気怠げに煙草を吹かす全然知らない女の姿を目にした時に

何故俺が煙草を止められないか、

その訳がわかったような気がした。


その匂いと仕草には、圧倒的に”何か”があるのだ。

物語的な”何か”が。

夜の裏側を覗いたような”何か”。

「人生は甘くない」というようなニュアンスに近い

”何か”が。




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遠い昔のポップ・アイコン

2010-04-21 07:40:51 | Weblog



マリリン・モンローの遺品に

スコット・フィッツジェラルドの

”「グレート・ギャツビィ」の初版本”があって、

それがサザビーか何かで競売に出された、という話があったのだが、

なかなか興味深い。

マリリン・モンローは本好きだったのかな。

そういえば彼女は、トルーマン・カポーティとも親交があったはずだし。


俺がマリリン・モンローの存在を知った時には

彼女はとうに故人だった。

俺にとっては

遠い昔のポップ・アイコンである。

ジェームス・ディーンもそうだ。

若くして悲劇的な最後を迎えたポップ・スター。


でもよく考えてみたら、たかだか15か、20くらい上の世代は

彼らの現役時代を知っているはずだ。


彼らのことを、

現役のポップ・スターとして知るか、はじめから故人として知るか、

その両者の間にはものすごく違いがあるのではなかろうか。


ジミ・ヘンドリックスもジャニス・ジョップリンも、

俺が知った時には既に故人だった。

でも3,4年くらいは、同時代を生きていたはずなののだ。


ジョン・レノンは・・彼が死ぬ前から俺は、

その存在を知ってはいたと思う。多分、ギリギリだが。

「ビートルズの人が殺されたんだ」とは思った。


カート・コバーンとは俺は同い年だ。

インタヴューをよく読んでたし、ラジオでしょっちゅう

「スメルズ・ライク・ティーンエイジ・スピリット」が流れていた。

彼の死は恐ろしくリアル・タイムで知った。ラジオの速報で聞いたのだ。


中島らもに関しては、

俺はかなり初期からのファンだと言ってもいいはずだ。

だって雑誌「宝島」の”啓蒙かまぼこ新聞”のけっこう初めの方から

注目していたのだ。

でもらもさんが死んだのは何だか、実感がわかない。

AMラジオをつけたら例の”牛しゃべり”が聞けそうな気がするくらいだ。


若い世代はカートにしても、らもさんにしても、

「伝説の故人」として出会う人が多いだろう。

遠い昔のポップ・アイコンとして。

それは一体、どんな感じがするのだろうか。


マリリン・モンローやジェームス・ディーンの例とは逆の意味で


俺にはきっと永遠にわからないのだ。



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「やりたい放題」

2010-04-19 08:31:22 | Weblog


「やりたい放題」というのは

おととしに俺の妹が クルマで

某県某市の駅前大通の黄信号でUターンして

パトカーに捕まった(Uターン禁止だった)際に

警官に言われた台詞である。

「アンタねぇ・・・あんな”やりたい放題”やったらそら捕まるで(笑)」

ということだそうだ。



思うのだけれど、

自己表現における我々

(非・メジャー・・・というか草ミュージシャンですね)

の立場は

「やりたい放題やっていいよ」と言われているようなものである。

しょうむないメディアの自己規制(放送禁止用語)

の問題もないし。「売れなければいけない」というような

プレッシャーも我々には、ない。

それはスバラシイことだ。

でももちろん

その分、自己の力量がまっすぐに問われるのだが。


自分を制限するのは、自分だけだ。

技術の限界、体力の限界、

見た目の限界、そして考えるだに恐ろしい

想像力の限界。


しかしまぁ、そんなこと考えてても何にもならない。

今、考えることは

”やりたい放題”やる、そのやり方だ。

無限の選択肢の中から、たった一つの道を探す。


俺を導くのは、「必然の女神」である。

その「必然の女神」との出会いは偶然だった。

・・・もう何が何だか、わけわからないデッスね。



ところで。


焼肉とかでよく、「食べ放題」ってあるけど、

あれは良くない(きっぱり)。

何だか野放図だし、、”ありがたみ”がないし。


満腹は俺にとって一種の不幸だ。

「・・あともうちょっと欲しかったよな」

っていうのがいいのだ。
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抽象的

2010-04-18 06:44:29 | Weblog

例の本の三冊目が出たので

発売日の朝に買いに行って

ちょっと圧倒されながら読んでいた。

昨晩に読了。

もうしばらくしたら感想を書くと思う。


でもそれのおかげで


うまくいくべきことが外的要因でうまくいかなくて

ちょとしょげてた自分が

やっと元気になった気がする。


ネガティヴもそうなんだけど、

ポジティヴも伝染する。


小説はいなぁ。

何がいいって、

抽象的なところがいちばんいいよ。




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