2011-12-29 13:35:10 | Weblog




「小さな終わり」と、「小さな始まり」。

そういうのって、そんなに悪いものではないかも知れない。


一週の始まりと終わり、

季節の始まりと終わり、

一年の始まりと終わり、

「幼年期の終わり」(笑)、

青春の終わり(!)

壮年期の終わり、

人生の終わり。


小さく区切って考えないと、わからなくなるもんね。


それにしても思うのは、

世の中って、「回ること」の何と多い事か。

車輪は回る、時計は回る、

モーターは回る、地球は回る、

太陽の周りを惑星は回る。

すべての恒星は北極星を中心に回る(ように見える)。

遺伝子だってスパイラルだもんね。

銀河系だって上から見ると(・・・・・上?)

渦巻き型なんだそうだ。


「円」って何だろう?「球」って何だろう?


一日に約一度ずつ角度が動いて、あさってで大体、

365日目。

これで一回転、ってわけだ。


昔ほど神聖な気持ちにはなれないが、とにかく、

来年はいいことが、沢山起こるように願おう。



今年はひどかったからね。





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大阪へ

2011-12-28 14:06:51 | Weblog

昔、、大阪・千日前で「フォア・ローゼズ」という

ブルース・バーをやってた白井さんに会いに行った。

昔のランブルのチラシが出てきたらしいのだ、

佐治のかいた漫画も。

白井さんは、今は日本橋で「ら」という店をやっている。

地下鉄日本橋の駅に降りたのはずいぶん久しぶりだった。

時々、バイトさせてもらってた古本屋に寄ってみた。

店長が代わっていて、知らないおっちゃんが座っていた。

15年くらい前か?「ばるぼら」をやってたとき、

よくここから歩いてスタジオまで通ってたのだ。

スタジオ「ルーモア」まで。

懐かしい街だ。

白井さんも昔より随分痩せたけど、

中身は全然変わってない。

「ら」で飲んで、白井さんと話をすると、

本当に、昔に戻ったみたいな気持ちになる。

昔が全部よかった、とは限らないんだけどね、もちろん。

それにしても・・・

あの頃の常連はもう、何人も亡くなっている。

何しろあれから、20年以上経つのだ。

チラシの写真の佐治と俺は、やっぱ若い。

何と俺、黒いレスポールを弾いている。むむむ・・・。

1988年のチラシだ。


「ら」で、バー「上海」が年内で店を閉めるらしい、と聞いた。

「上海」には、

そんなにしょっちゅう通ったわけではないのだけれど、

大阪のお気に入りの場所のひとつだった。

寂しい。

帰りに「上海」に寄った。


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夏を思い出す

2011-12-27 14:04:08 | Weblog



うらぶれた街の、ありふれた雑貨屋で目に留まった、

ありきたり・・と言えばそれまでの

安っぽいオブジェ。

しかし。

作ったのがセンスのいいひとだったのだ、きっと。

一発で気持ちが、「真夏の海辺」に持っていかれた。

真冬に思い出す「真夏」はまるで、

困難に立ち向かう中で想像する「幸福」のようだ。

しかし、「真冬」も悪くない。

このパキッとした空気は、夏には得られなかったものだ。

・・・・思うのだけれど、

俺の中ではいろんな物事が少しずつ、

シンプルになっていってます。

いいことなのか、その逆なのか、

簡単には判別がつかないのだけれど。

すごく「静か」な感じがしているのは、確かだ。

「幸福」とはただ単に、

「日だまりの中にいること」なのではないか、

などと考えたりとか

するのです。



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「考え事」の、途中経過。

2011-12-26 23:21:24 | Weblog



子供の頃、年末の、今くらいから大晦日まで、

何だか意味もなく「神聖」な感じがしていた。


魔法のような時間、密度の濃い日々。

31日が近付くと、時間がもったいないような感じ。

31日の12時になって、「除夜の鐘」が鳴り出すと

とたんに、魔法は終わるのだった。


中学生ぐらいまで毎年、そんな「感じ」を味わっていた。

あれは何だったんだろう?と思う。

「一年の終わり」というのを妙に、厳粛に受け止めていたフシがある。

「始まり」は、どうでもよかったみたいだ(笑)。


むむむ・・深層心理的にちょっと、

思い当たるフシもある。

と言うのは、

俺は、

万事において、「終わり」が好き・・・というか、妙に気になるのだ。


「終末願望」と言うと言いすぎなのだが、そんな傾向を俺は、

確かに持っている。

「始まり」と「終わり」は、似ているようで、

でもやっぱり、全然違う。


「終わったらもう始まらない終わり」だってある。


「終わりは始まり」なんて簡単に言って欲しくないのだ。


こういうのはきっと、「観念的」の対極の、

「唯物論的」な感じ方だと思うのだがどうだろう?


すべての物事は円環を描いている・・のだとしても、

「エントロピーの増大」ということを考えれば、

それは「負の螺旋スパイラル」でしかない。



・・と、ここまで言っておいて、


それでもやっぱり、宇宙の中で、我々「生物」だけがきっと、

「終わり」から「始まり」を創造出来る、という

特権を持っている。


「生きる」ことは、

「エントロピーの増大」に対抗すること・・・なのだ。

それでしかないだろう。


ありていに言えば、”何かを創造する”、

世界の新しい「意味」を、見い出す。





・・・・・・来年は、俺も頑張ろう。


実はただ、それだけのことだったり

するのだけれど。




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言葉。

2011-12-24 19:50:07 | Weblog

メリクリ!あけおめ!


っていう物言いは、定着しなかったのだろうか。

・・・何となく、誰も言ってない気がする。

新らしい言葉、というか言葉の移り変わりというのは、

考現学的に・・なんてもったいぶらなくても面白いよね。

十年位前、チョベリバ~!とか言ってた女友達がいたなぁ

(そうです、アナタのことですw)。


俺が小学生くらいの時に、中学生だった兄貴がちょとグレて(笑)、

何かにつけて「ムカつく」ってよく言ってたのが、

当時はやけに新鮮に聞こえた。

これは定着した、と見ていいだろうと思う。

俺は普通に言うよ。

「胸がムカムカするほど腹が立つ」感じが、よく出てるし。

でも注意深く観察すると、俺たちより十歳くらい上のオトナは

「ムカつく」って言葉、使ってない。

きっと、気恥ずかしいのだ。


「めっちゃ」っていうのも昔は新鮮な言葉だった気がするが、

これはオッサン達でも使ってるかも。

「滅茶苦茶」が略されただけ・・・だからかな。


「ウザい」ってのもちょっと若者言葉っぽいのだが、

この言葉は何故か気に入ってるので俺は使う。

「うざったい」っていう、懐かしい関東弁がベースになってるからか。

「ああ・・・・ウザっ」とかって言うと気分が出てよろしい。


「がっつり」っていう言葉は、俺には気恥ずかしくて使えない。

「がつがつ喰う」っていうニュアンスが出てて、

悪くないのだがいかんせん、

テレビっぽいのだ(テレビ見ないから知らないんだけどさ)。


「キモい」っていう言葉は、感じが悪すぎる。

言ってる奴こそ、気持ち悪いのだ。

「それ、オマエ自身のことだぜ」って言いたくなる。


「バリ」っていう若者言葉もあるよね。

「バリかっこええ」とか「バリ渋い」とか。

あれは・・・悪ぶってるのかも知れないが、

悲しくなるほど頭悪そうに聞こえる言葉だと思う。

グレるのはかまわないが、「アタマの悪い不良」ってのも

イカさないぜ。

(「イカす」ってのは古いか。)

しかし、不良の諸君には、「勧善懲悪」をモットーにして欲しい。

矛盾してるかもしれないけど、

昔は、そういう不良だって、いたのだ。

岩佐なんか、そのものだったぜ。


「爆睡」っていうのを、佐治がよく言ってたなぁ。

いい言葉だ(笑)。爆発するように眠る。

今、使ってる人を見かけないけどね。


サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」

の野崎訳、「ライ麦畑でつかまえて」の中で、

フィービーの学校の壁に「オマンコシヨウ」と言う言葉が彫ってあって、

ホールデンが激怒しながら消すのだけれど、

その言葉は原語では、「FUCK YOU」なのだ。

「FUCK YOU」って、訳すの不可能だよね。

村上春樹訳では単に「ファック・ユー」になってる。

野崎訳の時代では、「オマンコシヨウ」と訳して正解だったと思う。

ただの強烈なののしり言葉・・ってだけでなくきっと、

性的なニュアンスも含まれているだろうと推察されるからだ。

ホールデン自身は、「ファック・ユー」って言葉は

使ってないんじゃなかったかな。

「ガッデム」とか、何回も言ってるみたいなんだけど。

「ゴッド!」とか。

「ゴッド」って言っちゃいけないらしいんだよ。

「みだりに神の名を口にすべからず」か何かで。

「ジーザス」も、だから駄目なんだって。

「クライスト!」とかも。


子供の頃、クリスマスカードを書いたりしていて、

「クリスマス」、っていう英語のつづりって、

「キリスト」のつづりと似てるなぁ・・と薄ぼんやりと思っていたのだが・・・

大馬鹿デスな。

「ジーザス・クライスト」と「イエス・キリスト」が、同じだなんてね。

そんなの、わかるわけねぇだろ。

英語圏の子供が聞いたら大笑いするんじゃなかろうか。

大体において信仰心すら、カケラもないんだから、

そんなの、知ったことじゃねぇって思うんだけど。


でもとりあえず言ってみよう、


メリクリ、あけおめ。


再来年もよろしく。









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無題

2011-12-24 17:16:50 | Weblog


俺は雑多な書物を喰って生きる山羊みたいなもので、

色は、と言えば黒くなりきれない。

極寒の廃墟の街の断崖絶壁の頂上の穴ぐらに潜み、

まどろみつつ最近はひきこもりがちだ。

いつだって「歌」は天からまるで雨みたいに降ってくるし、

だからって俺が出掛けない理由には、なりはしないのだ。

虚構の世界の空気を吸って生きているんだけど、

目覚めている時はまるで、夢を見ている気分だ。

今となっては多くを望む気もないし、

何をどう考えたところで時間が巻き戻るわけではない。

そうできるぜ、って言われたとしてもそんなの、

まっぴらごめんだ。

だって夢はまだ続いているんだし、

俺はとにかく何ひとつ、否定する気なんかないんだよ。

ちょっとずつだけど俺だって考えたんだ、

そのことの意味ってやつをね。

うん、でもまだ保留だ、

一生保留・・ってことになっちまうかもしれない。

でも思うんだけど、

「答え」を見つけた気になった時ほど、ヤバいんだぜ。

そのあとで出来ることと言ったら、

それを否定するか、もしくはそいつにしがみつくか・・・

しか、ないんだから。

さて、何だかんだ言っても・・・恐らくは今日あたり、

例の「冬至」なんだよな。

今日を境に、世界は逆回転を始める。

偶然だけど、

友達の義父の葬式が、今日だったかもしれない。

そういうのってきっと、

関係あるんだぜ。



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「偉い」?

2011-12-21 08:01:32 | Weblog




俺が子供の頃に

「偉い」ひと、と言ったら

ガンジーとか・・・・シュバイツアー博士とか

そういう、”社会に道徳的な貢献をしたひと”だった。


その後、きっちりと就職したわけでもなく大人になり、

フリーターからなし崩し的に社会に出てみたら、そこでの

「偉いひと」は単に、”ある会社の中で、企業利益と自己保身に奔走して

社会的地位を得たひと”か、もしくは

”一流大学を出て官庁に勤めて出世したひと”

のことだった。


俺の見てきた中では、

そういう”社会的に偉い”ひとって、

人間的には全然「偉く」ないことのほうが多い。

「偉そうに」するのは上手い。馬鹿みたいにしか見えないが。


大体、「自己保身で頭が一杯で、そればっかり上手いひと」なんてのが

「偉い」わけないだろ?


”社会的地位がどん底・・ってくらい低いから、

「偉い」のは俺だ”と言いたいわけではない。

誰も「偉く」なんかないのだ。


唯一・・・・自分の暮らしさえ放っておいて、

「災害救援隊」みたいなものを組んで、

重機さえ持ち込んで、被災地に頻繁に出掛けては

汗を流している、そんな人たちのことこそ、

「偉い」と言うべきだろう。


ところで、俺には子供がいないから(欲しくもない)、

いまひとつよくわからないかも・・なのだけれど、

「我が身可愛さ」というのと

「我が子可愛さ」というのは、ほぼ同義のようだ。


自己保身派が「世襲」を好むのは、

そういうことでしかないのよね。

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世襲

2011-12-20 08:22:13 | Weblog





お隣の(そのまた隣の)国の

「総書記長」死去のニュースが駆け巡った2011年12月19日。


俺は夕べはずっと、悪夢にうなされていた。

悪夢って・・・ほら、よくあるやつ。

ホラー映画みたいな感じで、ずっと追いかけられるような。

俺は日本の「怪談」のほうが怖いと思ってるのだけど、

夕べのは洋風な「ホラー」だったな。

その夢の中で、

シド・ヴィシャスが真っ白な粉になっているのを見た。

・・・・シドは「明日のジョー」か?

形見分けで本物の(!)「シド・ベルト」をもらった。

シド・ベルト・・・・懐かしい。


悪夢の訳は、疲れているのと、

近隣の巨大な権力者の訃報でちょと不安に陥ってるから・・

なんだろうけど、

しかしこれからどうなるのか。



「動く」としたら何が、どんな風に「動く」のか。




しかし、「社会主義」だよね?

そこで「世襲」は、どんな理屈(理想?)から来るのだろう?

純粋に不思議。


「世襲」って漢字もしかし、物騒な字だ。

発語感も、「セシウム」と似てる・・・・。








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バッテリーあがり

2011-12-17 13:35:28 | Weblog



この惑星は最近、気温の低下が著しくて(大げさだなぁ)、

俺のクルマはたまらず、バッテリーが「あがって」しまった。

バッテリーが上の方に行ってしまった・・・・のではなく、

「蓄電池」としての機能を果たさなくなったのだ。

(そんなこと言わなくてもわかりきってマスね。)


それでさっき新しいバッテリーを買ってきて取り付けたのだけれど、

ボンネットを開けてエンジン部をのぞくたびに、

「クルマってすげえなぁ・・・・」と感心してしまう。

バッテリーを換える、とか、オイルを交換する、とか

ウォッシャー液を足す、とかそれくらいは出来るのだが、

それ以外のエンジン部ってさっぱりわかりゃしねえ。

あ、何か回ってる・・みたいな阿呆な感想しか出ない。

しかし大体みんな、そんなもんなんではなかろうか?


大体において俺は、

「クルマ好き」なタイプではないので、そんなにいろいろと

クルマをいじったような経験は無いのだ。


でもそういえば、

クルマの部品屋で働いてたことがあったんだった。

そのときは、

自分でタイヤ交換をしたり、オイル交換をしたりした。


「ばるぼら」でのツアー中に機材車が大雪に見舞われ、

メンバーみんなで雪の中、

タイヤチェーンをひぃひぃ言いながら着けたりしたこともあった。


阪神高速湾岸線で2トントラック運転中の真夜中に、

ガス欠してしまったこともあったな・・・・・

ディーゼル車だったので、

ガソリン持ってきてもらって入れて解決・・・ってわけにいかず、

(ディーゼル車ってそういうものらしいのデスよ)

レッカー車に引かれて行きながら、とても

こっ恥ずかしい思いをしたものだった。

バイクならガス欠しても自分で押していけばいいんだけど、

2トントラック押しても動かないんだもんな。


誰だったか友達が、クルマで「押しがけ」

(クルマを人力で押して、その推力で無理矢理

エンジンをかける、という荒業。バッテリー上がりのときに

バイクでは、よくやる。)

をした、っていう話があったな・・・・誰だっけ?

チマキさんだったかな。


今回、クルマのバッテリーが上がった・・・と判明したとき

とっさに・・・・バイクのバッテリーとつないで

エンジンかけたらいいかも?と思い、

バイクとクルマがブースターケーブルで

つながって一体化している図が、

頭にほんわか・・と浮かんでけっこう幸せな気分になったのだが、

結局は新品のバッテリーに換えたので、

その「幸せな図」は実現しなかった。残念。

でもいつかやってみよう。

わくわく。


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たわごと

2011-12-15 21:59:27 | Weblog


しかしアレだよな、同じメンバーでバンドを

長く続けるのってホントに難しいよね。

激烈に性格悪い奴なんかにゃ、ぜぇええったい無理。

俺は・・・・自分はそんなんじゃない、と思ってるけど、

自分のことって、自分じゃ、わからないからね。


エゴ、エゴ、エゴのぶつかりあい・・・てのをさ、

やらなきゃバンドなんかやる意味ないかもだし。

ツアーとかでなっがいこと一緒に過ごさなきゃならないし。

仲悪くならないほうが不思議だ。


一昨日、怒髪天の彼ら見てて思ったのは、

やっぱ、下らないこととか言い合ってても、

根底にお互いに対する「リスペクト」みたいなのが

ちゃんとあるんだ・・・ってことだったよ。


俺は今までバンドやってきた数多くのメンバー達のこと、

ひとりのこらず、

冗談抜きで「親戚」みたいに感じる。

(先方がどう思っているかは、わからない。)

特にその中でも気の合った奴のことは

「兄弟」みたいに感じる。

いや・・そんなに簡単なものじゃないけどさ、

でもそんな風に簡単に「兄弟分」になっても、

いいんじゃないかな。


「友達」という関係性だってさ、

お互いの「リスペクト」がなくちゃ、

長続きなんか、しないんだぜ。


そうじゃないんだったら、そんなの、

「時間の無駄」だ。

「お互いを高めあっていく関係」・・なんて、

きれいごとみたいだけどさ、

でもやっぱ、そういうのが理想かもしれないよね。


「自分が自分であることの必然性」を、

最初に決めちまうのはやっぱり、「親」なんだけど、

俺なんかやっぱり、それよりも

出会えた大事な友達との関係の中で

「それ」を作っていった、という面の方が多い。

もちろん「親」がちゃんといてくれて、

面倒見てくれたおかげで俺は「俺」として存在出来ているんだけど。


それでも俺は、

俺の大事な部分を育ててくれたのは

友達なんじゃないかな・・・と思う。


増子が昨日くれたメールで、

俺のことを「兄弟みたいなもんだ」と言った。


うん、そうだ、俺もそう感じていたんだよ。


いいじゃないか、みんなで

「擬似拡大家族」になったらいいじゃないか。


・・・「酔っ払いのたわごと」みたいだけどさ。



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