今朝の土砂降り雨について、その他もろもろ。

2024-03-26 21:37:02 | Weblog

今朝は土砂降り雨だったよマイフレンド。

ひどい雨に降られてずぶ濡れになるとついつい、 

「ひとがこの世界で生きていくのって本当に大変だよな」とか思ってしまう。

いや、雨降りでなくても毎日そんなこと思ってるのだが最近とみに、痛感する。

人生はもう、超えねばならない試練の連続である。

さかのぼって小学生の頃、「この先・・・中学校へ行かねばならなくて そのあと・・・

高校ってところにも行くのか俺?」と思っただけで気が遠くなりそうだった。

僕はもう、試練なんてまっぴらごめんだった。九九を覚えるのも、まっぴらごめんだった。

(九九ぐらい覚えろよな。)

ああ、でも今では中学も高校も遠い過去だ。

今では、今の試練がある。

全世界に60億の人間がいるそうだが、そうすると60億の

「大変さ」があるのだ。「大変さ」っていうか・・・「困難」というか。

しかし人生は「困難」だけではなく、

天上的な「喜び」っていうのもけっこう、あったりする。

どっちが多いのか?って考えたら「困難」のほうが多い気がする、

特に今朝みたいな土砂降り雨の日は。

まあいい。

止まない雨はないし、誰の台詞だったか忘れたけど

「どんな人生にも雨の日はある」のだ。

そうだ、ミック・ジャガーの上にだって雨は降るし、”紀州のドンファン”の上にだって降る。

そして、その「雨」を、どう捉えるか?という問題もある。

この雨は遠くの海から蒸留されて、「真水」として我々のもとに戻って来たのだ、という考え方もある。

我々の身体を構成する物質の多くは「水」だ。

「水」というのは「この地球上でもっともありふれた物質(のひとつ)」なのだ。

だがしかし、雨に濡れたままだと簡単に風邪をひくし、

雨の日は視界がだいぶ悪くなる。ものが見えにくいのだ。

人間は「視覚」に、かなりのパーセンテージで頼り切って生きている動物である。

今朝も、あちこちの高速道路で交通事故渋滞が起こっていた。

路面がぬれていると、スリップもしやすいのだ。

雨の日にコケたバイクを過去何台見かけたことか。

そういう、マイナスの要素で雨の日は憂鬱になるし、

「日曜日と雨の日には誰の心も憂鬱になる」と歌ったのはカーペンターズだ。

カレン・カーペンターは拒食症で亡くなった、と報道された世界初の有名人だった。

近年のエイミー・ワインハウスの死因も実は拒食症(摂食障害)だったそうだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・話がそれた。

えーっと、今朝の雨は、久しぶりにひどかった。

実のところ、言いたかったのはそれだけなのかもしれない。

明日は晴れるらしいぜ。

ちょっと嬉しいよな。

 

ところで今日は満月だったのかな?

 

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小さな灯油ポリタンク、そして石油ファンヒーター。

2024-03-24 18:19:34 | Weblog

寒いのもあともう少しであろう今日この頃。

毎年この季節に灯油を買い過ぎてしまって、一年(半年?)眠らせてしまい、

次の冬に使用して石油ファンヒーターを何台か駄目にしている。馬鹿だ。

いかんいかんと思っていたのだが今年、

トラック乗りの同僚が職場で5リットル・ポリタンクを持っていた。

少量ずつ買えば余らせずに済むし、何よりこのデザイン。

チョロQみたいで、とても可愛らしいではないか。アタマはないが、2頭身みたいな。

それで早速買って来て、さっきこの冬最後であろう「灯油買い」にバイクで行ってきた。

写真の、バイクヘルメットと比較するとこの灯油ポリタンクの大きさがわかると思う。小さい。

昔はこんなもの、なかった。意味もなく部屋に飾っておきたい衝動に駆られる。

灯油の臭いには飽きるから、それはやらないが。

ところで世間の人達は冬、どんな暖房器具を使ってしのいでいるのだろう。

僕は石油ファンヒーターを使う。これがいちばんいい。

これも、僕が子供の頃はなかった。新宿の団地で何を使っていたかはもう、

全然覚えていないけど福山の実家では石油ストーブだったな。

石油ファンヒーターではない、昔ながらの、上にヤカンとか置ける奴。

よかったのだけれど、点火が簡単ではなかった。いちいちマッチを使わなければならない。

そういうのって今思うと、すごく前時代的だな。

マッチなんて見たこともない、という若い人も多くいるだろう。

その前は・・・・「火鉢」とか、「練炭」を使っていた記憶も、かすかにある。

昭和感満載。これこそリアル「前時代」だ。祖母が換気にすごく気を使っていた。

そのころの我々の家は隙間風がすごかったのだけど、それでも。

その後 僕は、19歳になった頃、大阪で初めて一人暮らしを始めた。

初めのひと冬は暖房器具なしで耐えた。

センスの悪い電気ストーブなどを部屋に入れたくなかったのだ。

気に入ったものだけで部屋を埋め尽くしたかった。

極寒の夜は寒くて眠れず、ワンルームの流し台のガス台でお湯を沸かしてしのいだ。

そのうち、アンティークの安い、古い、電気ストーブを骨董屋で買うつもりだったが、

今思うと、そういうのは安全面で問題あったかもしれない。

2年目に観念して、いちばん安物の電気ストーブを買った。アンティークではない。

とにかく安かったのだ。安いだけに安っぽかったので、色だけ自分でペンキで塗りかえた。

でも電気ストーブって・・・あまり暖かくないのよね。火事が怖いし。

一人暮らしを始めて5年くらい経ったころ、父が見かねて、

実家で使っていた石油ファンヒーターを持ってきてくれた。

僕はこの時、生まれて初めて石油ファンヒーターと出会うのだが、新鮮な感動があった。

暖かい。そして、3時間で自動でスイッチが切れるのだ。揺れても消える。火事の心配がない。

石油ストーブ独特の臭いも、暖かで好きだった。

これがあれば冬も怖くないと思った。

その実家では今現在は石油ストーブも石油ファンヒーターもご法度なのだ。

「ご法度」というのは・・・・ここでは、「使ってはいけない」と言う意味。

もともとは「違法」という意味の古語だと思うが。

小さい子供がいて、危険だったから、という理由だったと思うのだが、

家族全員、各部屋で、エアコンの暖房を使っているみたいだ(大家族なのです)。

むむむ。僕は石油ファンヒーターが好きなのだ。

大体において、暖房代もエアコンの方が高いはずだ。

灯油もしかし、驚くほど値上がりした。

近年は18リットルで2千円を超えた。

しかし、この石油ファンヒーターって後年見たら一体、どういう位置付けになっているだろう?

100年後の人達からみたら、どんなものに見えるだろうか?

20世紀後半の1980年代から21世紀初頭に使われた、暖房器具の一種、みたいな。

原油の枯渇によって22世紀には完全に過去の遺物と化した・・・とか。

この時代はまだ、ガソリン自動車が主流であった。驚いたことに、

トラックのほとんどはディーゼル機関であった。

なんてね。

 

 

 

付記

書いた当初はこの日の日記のタイトルは

「小さな灯油缶と石油ファンヒーター」だった。

でもアップした後ふと自分で、・・・・・金属製の物以外は「缶」って呼ばないよな・・・

と思い直し、「石油ポリタンクと石油ファンヒーター」に訂正した。

しかし「石油缶」で検索したらポリエチレン製の「石油ポリタンク」が

大量に表示されたから、もしかして現代は「石油缶」で通じるのかもしれない。

でもやはり、言葉本来の意味は大事にせねば、ということで訂正している。

しかし、「石油缶」という言葉は愛らしくて味があるが、

「石油ポリタンク」だと味も素っ気もない気がしてしまう。 

最近は、缶ジュースも減ったよね。ペットボトルばかりで。

でもそういえば「缶ビール」はペットボトル化していない。

何か理由があるのかもしれない、強度とか。

どちらにせよ僕はビールは缶も瓶も苦手で、基本的に「生ビール」しか飲めないからあんまり

関係ないんだけど。

 

 

 

 

 

 

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本日の混乱

2024-03-21 21:12:23 | Weblog

不安に煽られてジタバタしなくていいのかもしれないんだよね今って。

しなくていいっていうか、してもしょうがないっていうか。

物事って、動くときゃ動くし、

どこかの誰か若い女の子の歌手がヒット曲の歌詞で言ってたみたいに

「駄目になるときゃなるでしょ」ってな感じで。

 

偶然に思えてもそれって後で考えたら必然だったりする。

とにかく

僕が今までやってきたこと全て、なにひとつ間違いではなかったのだ。

っていうかそもそも、正誤も、善悪すらないから。

 

本当に・・・・シューティングゲームみたいに

(あ、僕はゲームは一切やらないんだけどさ、比喩としてはちょうどいいんだ)、

目の前に現れたインベーダー(古い?)を瞬時に、反射的に撃ち落として兎にも角にも

前に進んで行く。

 

もし、立ち止まったとしても時間って奴が律儀なベルトコンベアみたいに

止まらずに、一秒につきぴったり一秒だけ前に進んでいるから、

僕が選んで立ち止まったことすら「止まった」ことにならないこの世界。

 

 思うんだけど例え死んだとしても時間って止まらない気がする。

死んだことないから実際のところはわからないんだけどね。

いつか死んだら、いろんなことがわかるのかな。

それともその逆かな。

 

それはともかく

 

今のこのうねりは、は ゆるやかな、大きな「流れ」なのだ。

エーゴで言うなら「FLOW」だ、多分。

ケルアックも何かで言っていた、「GO WITH  THE  FLOW 」と。

この言葉は「流れとともに行け」と訳される。

 

僕は流れる水の中で足掻くけど、水棲動物であることをやめられない。

 

もしかしたら僕は「ヤゴ」かもしれなくて、

もしそうだったとしても、羽が生えてくる日はまだ遠い。

 

それどころか、下手したら「ヤゴ」ですら、ないかもしれない。

ボウフラ????そうだったとしても羽化できるならそれでもいい。

 

もし羽根も目もない「ミミズ」だったとしても僕は恐らく、

幸せだと思う。

 

ああでもやっぱ、「貝」がいいな。

貝殻を持って生まれてくるなんて・・・・想像しただけでも素敵すぎる。

二枚貝でも巻貝でもどっちでもいい。

もしもアレなら、「ヤドカリ」でもかまわない。

「カタツムリ」?でもいいけど、

ナメクジはちょっとゴメンだな。

手持ちの「貝殻」がないのだから。

 

 

 

あああ何の話だったっけ?

 

 

 

 

 

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何か大事なものを 句点も読点もなしに

2024-03-18 21:36:05 | Weblog

飢えて乾いた僕たちは

太古のマンモスが閉じ込められた氷をがりがりと齧り

何処へもたどり着かない道の上で

トリッキーな「死」を演ずるがごとくに詩を朗読する

リズミックであろうとすればするほど深みにハマり

ストイックになど一生なれはしない

ミイラ獲りが獲るミイラはまるで自分自身のような顔をしているのだ

放っておけば時間てやつは図に乗って

どこまでもどこまでも増殖していきやがる

悪名高いあのエントロピーって奴を引き連れて

そして星はもうとっくに大爆発を起こして消え失せた

後に残ったのはブラックホールだったがそれは

光さえ吸い込むので誰にも見えなくて

ただその吸引力だけが存在意義のようにそこにあって

自己主張するのだ

僕はもう

悲しいのか悲しくないのか、そんなことさえわからない

ただひとつ直感的に思うのは何にせよ

「慣れて」はいけない ということだけだ

人は何にでも慣れていく

でもそんな風に生きたくはないのだ僕は

羽化したばかりの蜻蛉みたいに

産まれ落ちた瞬間に地面に立つ馬の赤子のように

バンドを組んで初めてみんなで出した初めての一音のような

死ぬ一瞬前の最後の呼吸のような

超新星爆発を起こす星の最後の輝きみたいに

タイトロープの上をバイクで走り抜けるみたいに

そんな危うい感じで

ひとつ間違えたら全部ポシャるみたいな

ああでもポシっても次があるさ

七転八倒七転び八起き空前絶後

この期に及んで俺が何をしたかったか?って率直に言うとさ

ただの「オートマティック・ライティング」なんだ日本語で言うと「自動書記」だな

それ以上でもそれ以下でもないんだ

でもこれやるとさ

深層心理の海から何かちょっとでも大事なものがすくえるような気がして

やってみる価値はまあ、なくもないんじゃないかな

でも結局今回のは一行目だったな      つまり

僕等はきっと飢えて乾いているのだ ただ

それだけのことなのだ

 

 

 

 

 

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ケルアックのお墓。

2024-03-12 21:18:58 | Weblog

今日はジャック・ケルアックの誕生日なのだそうだ。

どこかのFMラジオで、DJがそう言っていた。

1922年に生まれ、1967年に亡くなった、ビートの、伝説的詩人で、小説家。

崇拝する人は多い。僕もその一人である。

 

そのケルアックの話の後、どんな曲をかけるかな?と思いながら聴いてたのだが、

かかったのはブルース・スプリングスティーンの「サンダー・ロード」だった。

アルバム「明日なき暴走」の中の名曲。素晴らしく良かった。

でもスプリングスティーンって、ビートニクとの因縁が何かあったかな?

いまいち思いつかないのだけれど、スプリングスティーンといえばディラン直系なので、

ケルアックの影響下に、ない・・・・はずはないのだ。

長髪でない髪型もそうだし、きっと小説「オン・ザ・ロード」を読みまくったクチだろう。

でも、どうせならディランをかけても良かった。

ボブ・ディランは1970年代のローリング・サンダー・レヴューのツアーの途中で

ケルアックの墓に立ち寄っている。しかも、アレン・ギンズバーグと共に。

ディランというひとは意外と真面目、というか義理堅い人なのかもしれない。

僕なら誰のお墓に行くだろう?

 

 

 

・・・・・・・・・・・僕が行くのはやっぱ、奈良のお墓だな。それでいいのだと思う。

 

 

 

 

ケルアックの「オン・ザ・ロード」という小説は、普通の紙ではなく、

ロール・ペーパーに書かれた。・・書く、というか、タイプライターで打たれたのだ。

何故ロールペーパーか?というと、紙を取り換えるときにリズムが乱れるのを

ケルアックが嫌ったから・・・・であるらしい。

だから生原稿はまるで「巻物」みたいだったらしい。この話は有名である。

で、今日のラジオDJが言っていたのだが、

その巻物のような生原稿を再現して「書籍」として発売されたことがあるらしい。

多分アメリカの出版社なのだろう。だってそれ、訳された日本語でそんな本作っても

無意味だもんね。

すごいなあ。そんなの、全然知らなかったよ。

いつか、どこかの古書店で、それの現物を見たいなあ。

買う?・・・・のはちょっと高価そうだし、原文の、英文で読破する自信はない。

それに、その巻物みたいなヤツ、すごく持ちにくくて読みにくそうだ。

だから僕としては、とりあえず現物をこの目で見られたらシアワセである。

無理かもしれないけど。

佐野元春はもしかして、出た時に買って、持ってるかもしれないね。

原文の本、といえば

ガルシア・マルケスの本はスペイン語で書かれてるそうだけど、

それも一度、見てみたいなあ。絶対読めないけどさ。

でも僕はとりあえず、村上春樹の初期長編作品を「原語」である日本語で読めることに感謝しよう。

・・・・・・・・・・・でもそうだ、そういえば「風の歌を聴け」は確か、

いちばん初めは英文タイプライターを使って、英語で書かれたんだった。

春樹さんはそれを自分で翻訳して、作品化したらしいのだ。

だから、少なくともその作品においては「原語」は英語ってことになる?・・・かな?

 

ややこしいことこの上ない。

 

 

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哀悼、そして思うこと。

2024-03-11 20:29:35 | Weblog

2011年3月11日の地震の時、僕は大阪・茨木市にいて、

大阪も少しだが・・・それなりに、ゆったりと揺れたので

多くの人が言っているみたいに、僕も

「自分が平衡感覚を喪失して、倒れ込んでいる途中なのだ」という錯覚に

一瞬だけ、陥った。

しかしまさか東北があそこまで壊滅的になっているとは思いもしなかった。

地震と、津波で亡くなった方々に最大限の哀悼の意を捧げます。

 

僕は今、足(膝)を悪くしていて・・・・とか言って、今月中に治すつもりなのだが、

マトモに歩けない。走ることも出来ない。

この状態で海辺で、津波があったとしたら僕はきっと逃げ遅れる。

高台までたどり着けないであろう。

あの地震以前に、津波が「怖い」と思ったことはなかった。実態を知らなかったから。

あの映像の数々を見た後では心底、怖いと思っている。

津波で死にたくはない。

地震の、家屋倒壊で死ぬのも出来れば、嫌だ。

火事で死ぬのも、悲劇的だ。

交通事故で死ぬのも、やっぱり避けたい。

誰かに、通り魔的に殺されるのも、まっぴらごめんだ。

 

どういう死に方ならいいのか?

病気?

むむむ、それも出来れば、避けたい。

定期的な健康診断でさえ僕にはモノスゴイ苦痛なのだから、

例えば検査入院だとしても耐えられない気がする。

血管に針を刺す、なんてそれだけでゾッとする。

ケミカルなクスリも大嫌いだ。

どんな風に死ぬのが幸せなのか?

自殺?いや・・・・それはやっぱ、哀しい。

それがたとえ練炭使用で、眠るように死ねたとしてもやはり、哀しい。

思うに・・・・・生きようとして、足掻いて足掻いて、力尽きてパタッ。

あれ?俺死んだの?

そういうのがいいんじゃないかな。

 

あああしかし変な話になってしまった。

 

そうだ、ひとつだけロマンティックな死に方があったよ。

伝説的なブルーズ・マンである、ロバート・ジョンソンの死に方なんだが、

彼は人妻と恋愛していて、それに感づいて嫉妬に燃えた旦那が

ロバート・ジョンソンを「毒殺」したのだ、というのが定説なんだよ。

それ以前にも・・・ロバート・ジョンソンは十字路で真夜中に悪魔と取引して、

魂を売り渡す代わりに誰よりも上手くギターが弾けるようになった、

という伝説もある。

 

 

 

 

何から何までロマンティックだ。

 

 

 

 

 

 

僕もそんな風に生きたいデッス(まだ当面、死にたくはない)。

 

 

 

 

 

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R.I.P鳥山明

2024-03-10 09:01:44 | Weblog

漫画が好きだった。

もう、子供の頃なんてそればっかり・・・・だった気がする。

手塚治の「ブラックジャック」とか。

江口寿史の「すすめ!パイレーツ」とかも大好きだったし永井豪も好きだったな「デビルマン」とか。

山上たつひこの「がきデカ」で大笑いしてたし。

妹が「りぼん」を良く買っていたので少女漫画も密かに読んでいて、陸奥A子がいちばん良かった。

大島弓子の「綿の国星」は後に知って、衝撃を受けた。

大友克洋の「童夢」もすごかったし、

後年だが、松本大洋の「鉄コン筋クリート」にも多大な影響を受けた。

でもいちばん好きだったのは鴨川つばめの「マカロニほうれん荘」だった。

コドモ道郎は勉強も出来なくて、運動も苦手で、人付き合いも苦手で、

でも絵だけは上手くて、

だから一人で絵ばかり描いていた。

漫画家になりたいな、と薄ぼんやりと思ったりもした。

漫画を、描いてみたことも何度かある。

しかし、絵は描けても「話」を創作する才能はなかった。

本も、浴びるほど読んでいたのに。

だからいつも、2~3ページ描いて行き詰まり、終わった。

僕が確か中学一年生の時に少年ジャンプで鳥山明がデヴューした。

「Dr・スランプ」が始まる以前、読み切りの漫画が2作品くらいあったのを覚えている。

すごかった。

絵の上手さが尋常でないし、何より「お洒落」だった。

一切、泥臭くないのだ。洗練された絵、題材。

学校で、絵の好きだった友達数人と「すごい」と盛り上がった。

当然だが、今のようなメジャーな存在ではない。ジャンプ自体はメジャーだったが、

今現在よりもだいぶ地味だったはず。

そして「Dr・スランプ」が始まって、とてもとても好きになった。

TVアニメとしての「Dr・スランプ」には始めっから興味がなかった。

絵が劣化しているし・・・・・、それでは何の意味もないのだ。

そしていつしか「Dr・スランプ」も終わり、

「ドラゴンボール」がジャンプで始まったのも見た。

どうしても気になってしまうので、読んでいた。

その頃の僕はもうコドモではなくて、

デザイン専門学校に行ったりして、絵で生きて行こうとぼんやりと思ってはいた。

でも

中学校の時に弾き始めたギターのおかげで、交友関係を含めたいろんなことが活性化してきて、

自分にできることが絵だけではないかもしれない・・と思い始めてもいた。

高校を卒業してすぐに、いっしょにバンドをやっていたヴォーカルの

佐治くんが漫画でメジャー誌にデヴューした。

彼も、子供の頃から絵を描いたり、漫画を描いたりしていたのだ。

出会った頃の彼はいわゆる「ヤンキー」タイプの不良だったので、

後でそれを知って、随分驚いたものだった。仲間じゃん・・・って思った。

佐治くんは漫画家デヴーしたものの、同時期にバンドが忙しくなりすぎて、

漫画連載の方はあまり長く続けなかった。

勿体ないが・・・どちらかを取らねばならなかったのだ。

僕もデザイン学校を中退して、バイトしながらバンドをやる、という生活になった。

さて、そんなこともあり僕には漫画というものの存在が身近で、

どうしても鳥山明の現在が気になってしまい、

「ドラゴンボール」はリアルタイムで喫茶店とかでずっと読んでいた。

「フリーザ」編がシリアスすぎて面白くなかったが、「セルゲーム」編でまた

面白くなった。鳥山明が、もう連載を辞めたがってるのはもはや、誰もが知っていた。

ヤケクソみたいな「魔人ブウ」編が脱力的に面白くて、好きだった。

これも、テレビアニメ版には一切、興味を持たなかった。

漫画、というのはひとつの芸術形態なのだ。アニメは、同タイトルの別物だ。

漫画は、お洒落で、かっこよくて、粋で、素晴らしいものだ。

今でも僕はそう思っているけど、

「ドラゴンボール」が終わってからもう、ジャンプを買ったり、、

喫茶店で読んだりすることも無くなった。

今では漫画も一切、読まない生活をしている。

でも

鳥山明のジャンプ誌上でのデヴューを覚えているのは自分としては、誇りだ。

彼の功績は大きい。

歴史に「もし」はない・・・のだが、

もし彼がジャンプではなくチャンピオンか何かの他誌でデヴューしていたら、

こんな風な存在ではなく、もっと趣味的な作家になってたような気がするし、

本人もその方が幸せだったのではないか?とついつい思ってしまう。

ああ、でもなあ。

鴨川つばめ も、江口寿史も、どうもノイローゼ気味になってしまったみたいだし、

漫画家は不幸せな職業なのかもしれない。

 

今度こそゆっくりお休みください。

 

 

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バイクの話。

2024-03-05 20:51:49 | Weblog

今日は一日、雨だった。

びちゃびちゃびちゃびちゃと、いつまでも降りやがって。

粘着質な感じさえ、した・・・よな、今日の雨は。

バイク乗りで雨降りが好きな人はあまり、いない。

僕のバイクはたかだか125CCだが、この排気量って微妙に、悪くないのだ。

バイク!って感じがする。そう・・・でも50CCでも

ミッションであればバイクの醍醐味は味わえる。

50歩譲って、

例えスクーターでもバイクは面白い。クルマより100倍自由なのだ、降りて押せば歩行者だし。

自転車も素敵なのだが、やはりモーターバイク独特の面白さ、というのは

あるのだ。

 

僕はランブルフィッシュの頃はヴィラーゴ250に乗っていた。

でもあれは例の大事故で廃車になっちまって・・・・・・・・。

その後、縁あって、今のバイク(CD125)を、当時働いていた大阪のクルマの部品屋で、

退職金がわりにもらえることになって。

その思い出もあって、大事にしている。もう25年くらい、これに乗っている。

まず

ハンドルはぐぐぐっと低位置に下げた。これをするだけでこのバイク、全然違って見えるのです。

ミラーはもちろん換えて、ウィンカーも交換した。

シートはアンコ抜きして、本革のものに張り替えた。

タイヤは何度も換えたし、チェーンも何度か交換した。マフラーも劣化したから換えている。

ガソリンタンクでさえ、二度も換えてるのだ、錆びて、ガソリン漏れが生じたから。

もうちょっと大きのに乗ってもイイかな?とか時々思うのだが、

高速道路を走行できない以外は、125CCで事足りるのだ。

二人乗りできるし。

荷台に100Wのギターアンプ(フェンダーツインと同じ大きさ・重さ)

を乗せて天王寺から十三まで走ったこともある。ちょっと怖かったが。

でもごくたまに、高速に乗って、遠出をしたくなる時もある。

奈良くらいまでならバイクで行くこともある。

でもほとんどの場合日常の「足」であって、

ここ十年くらいは通勤で、毎日乗っている。

雨が降ったら雨合羽を着て、乗る。

台風でも、乗る。雪でも・・・大降りでなければ、乗る。

こないだの大雪の時は・・・・・さすがに乗るのを諦めた。事故だけはもう、したくないのだ。

怒髪天のドラムの坂さんは、北海道に居た時はSRに乗っていたそうだ。

でも、「どんなバイク好きでも、北海道では冬は誰もバイク乗らないよ」と言っていた。

すごいなあ。

 

で、先のことをたまに考える。

僕はもう、あと何年かしたら還暦、という歳になってしまった。

このバイクはあと、どれくらい走ってくれるのだろう?

もし僕が死ぬ前にこのバイクが駄目になったら僕は、

次のバイクを探して、買うだろうか?????買うとしたら何?

懐かしのヴィラーゴ250の中古を最近、馴染みのバイク屋で見かけた。

やはり素敵なフォルムだった。今見ても心惹かれる。

しかしあれ、発電機が弱いんだよね。俺も苦労した覚えがある。

最終的には発電機、交換したもの。

HONDAの50CCアメリカン「JAZZ」とかに乗ったりしてね?

いやしかし、50CCは法定速度30キロしか出せないから絶対無理だ。二人乗り無理だし。

SR400・・・はかっこいいけど、車検があるのはちょっと駄目。

カブ?カブの125CC?

ちょっとスタイリッシュじゃないんだよねあれ。ハンターカブにしても。

 

実はカワサキのTR250というのがいちばんかっこいい・・・・と最近は思っている。

エストレアとエンジンは同じらしい。エストレアも、もちろん素敵なのだが、

TRはアメリカンでもない、クラシックでもない。オールド・ヨーロピアン風でもない。

カフェ・レーサー風でもない。

スクランブラーっていうのかな。オフロードにも通じるスタイル。

 

 

 

でも本当は、今乗ってるヤツが長生きしてくれたら、それがいちばんいい。

「オマエ100まで、わしゃ99まで」みたいな。

 

99歳まで乗るのか俺???????????

 

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雨の降る音についての考察

2024-03-01 20:24:51 | Weblog

今日の朝、僕は京都北部にいた。

最近は「海の京都」などと喧伝しているあたり。

京都府の、日本海側だ。京丹後とか、舞鶴とか、あのへん。

とてもいいところで、僕は大好きなのだが

北部は天気が変わりやすい。

腫れていたのに突然曇りだして、しまいには雨が降り出した。

トラックのフロントガラスに大粒の雨が、「びちゃっ、びちゃっ」と音を立てて降り注ぐ。

今日の雨は何だか下品な、そんな音だった。

これがもう少し寒い日だと、雨が霙(みぞれ)に変わるので、

音も変化する。「さくっさくっ」みたいな音。

雹(ひょう)だと「カツッ、カツッ」という硬質な音になる。

硬質な音だと、カタカナの方が合う。

僕は、しとしとと降る雨が好きだな。

本当に「しとしと」という音がする・・・・・気がする。

土砂降りだと本当に「ドシャドシャ」という音がするよね。

強い雨の音で別ヴァージョンは、「ザーザー」というのがある。

「ザーザー降り」という言葉は、関西弁なのだろうか?

・・・・・・・そうなのかもしれない。

 

弱い雨なら、

「さらさら」と降った雨のことを覚えている。

あれは1998年に、ばるぼら でSXSWに出るために訪れた

アメリカの、テキサス州オースティン。

テキサスで雨が降るなんてすごく珍しいらしいんだけど、

本当に微妙な、降ってるか降ってないかの瀬戸際の細かい雨。

さらさら、さらさら・・・と短時間だけ、降った。

霧雨?ともまた違う、独特な降り方だった。

 

 

さて、

もう今日から三月だから、もうこの後は降らないかもだけど・・・雪の話

(いや、イルカの「なごり雪」は3月か4月の雪だぜ)。

あの、

雨が雪になったら何と、音が消えるよね。

雪は無音で降る。

そして白いから、何だか無条件にHOLY(神聖)な感じがしてしまう。

雪がもし、黒かったり赤かったりしたら また全然違う感じがすると思う。

何故雪は白いのか?

わからない。

あ、今は雨の話だった。

しかも色じゃなくて音の話だ。

 

昔・・・1980年代前半頃に

京都で作られた(のだと思う)、

「都に雨の降るごとく」というコンピレーション・アルバムがあった。

その中に、

ローザ・ルクセンブルグの「おしり」という大名曲が入っていたのだ。

歌詞の内容は男同士の恋愛(悲恋)のようだった。

とてもとても素敵だった。

 

 

1980年代に古都に降る雨は、どんな音だったのか?

今日の京都北部の雨は「びちゃっ、びちゃっ」っていう下品な音だったよ。

まるでローザの「おしり」のようなw。

 

 

 

 

 

あ、そうだ話は少し違うんだけど今日、ラジオで誰かが言ってたんだけど、

紫式部は満月の夜に、石山寺で「源氏物語」の着想を得た・・・・・

・・・・・・・・・・・・・んだって。

 

 

ひえええ。

石山寺って、わりに近くじゃん。

滋賀の、大津市にある。いつもトラックでそのへんを通っているのだ。

今ちょっとだけ石山寺のHPを見たら「紫式部ゆかりの花の寺」と書いてあった。

そんなこと全然知らなかった。

出来るものなら・・・・・・・・・・紫式部に会ってみたいなぁ。

源氏物語の舞台だった宇治なんてここから、自転車だって行ける距離だぜ。

 

 

 

普段意識しないけど京都(とその近辺)ってやっぱ、

すごい歴史が積み重なったところなのね。

・・・・・・・・・・・・・・「歴史の佃煮」みたいな。

 

 

 

あ、石山寺は京都から外れるかもだけどさ。

 

 

 

 

草々。

 

 

 

 

 

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