自由意志なんてものは幻想(・・・かもしれない)

2017-08-31 21:07:45 | Weblog

世間ではいろいろとキナ臭い事件やミサイル騒動や、

目を覆いたくなるような交通事故が起こっていますが、君は元気ですか?

今朝の陽光は少しだけ翳りを帯びていて、

我々の愛する季節は間近だよ、と誰かが何処かで囁いた・・・・ような気がしたよ。

今日は2017年の8月31日。

本当は、少しは詩的で柔らかなロマンのある話をしたいのだけれど、

どうしても今日言っておきたいことがあって。詩的な話じゃないんだけど・・・・・・・

今日が(小学生達にとっては)夏休み最後の日で、

ラジオの「夏休みコドモ科学電話相談」も、今年は今日が最後だったから。

またその話か?って思う?・・・思うよな。

でもすごいのが出たんだ、今日の放送で聞いたんじゃないんだけど、凄かったから聞いておくれよ。

聞いたのは・・・今週の火曜日だったかな。

「夏休みコドモ科学電話相談」。下らない質問も多いが、運転しながら、我慢して聞いていた。

さて、コドモからの質問は「頭で考えただけで何故、手とかが動くんですか?」みたいな、

素朴と言えば素朴、深いと言えば深い疑問。

回答者はシノハラ・・・とかいう人で、何処かの大学の教授だったかな。

脳科学の専門家みたいな感じの人。

コドモの質問への答えは、脳から神経に「動け」という信号、一種の電気信号みたいなのが伝わって、

筋肉が動きを始めるんだよ、みたいなコトを言っていた。

それはいいんだけど、その後に、「聞かれてないんだけど、どうしても言いたいから言いますね」

と前置きを言ってから、凄い事を語りだした。

その手の実験があったそうなのだ。

被験者に多分、器具とかつけて「動け」と思ってもらってから筋肉にその信号が伝わる時間を計った、

みたいな。・・・そんな実験。

単純に核心だけ言うけど、

被験者が「動け」と思う0.3秒前に、「動け」という信号が脳から(?)出ていて、

筋肉はその信号で既に動きを始めている・・・・という結果が出たのだそうだ。

被験者は後で、自分で考えて動いた、と思い込んでいる、と。

つまり・・・・・動こう、と思う前に身体は動いてる、ってこと。

それで脳科学者の間でもすごい論争になったらしいのだ、そのことで。

「人間の意志っていうものの根本」が問題になった、というようなことを言ってた。

これ、どういう意味かわかりますか?

多分、放送を聞いていたほとんどの人が理解しなかっただろうと思うのだけれど、

俺はピンと来た。

要するに「人間の自由意志」なんてないんじゃないか?ということなのだ。

究極の運命論。

「行動が思想を決定する、逆は不可」ってことだ。

世界で起こる事象のすべては決められていて、我々に自由意志は無い、と。

最先端の脳科学が、まるでオカルトに接近しているかのようだが、

これは現実なのだ、事実なのだ。まあ、その実験が正確で、正しければ・・ってことだけど。

宗教者なら「神がすべてを決定しているのです」と言って、それでオシマイに出来る話だろうけど、

俺は単純にカミサマの存在は肯定できないので、そう簡単にはいかない。

・・・・・・・・でも、これ、すごい話だと思うだろ?

俺はラジオ聞きながら、寒気がした。

俺の大好きな、カート・ヴォネガットの一番有名な小説「スローターハウス5」に出てくる

宇宙人はまったく、このようなものの考え方をする。

宇宙は始まりから終わりまで全てがもう決定している。

「自由意志なんてものは幻想だ」と彼等(宇宙人)は言う。

・・・・・・果たして、本当にそうなのだろうか?


俺は自分の意思で今この文章を打っているのではなく、

0.3秒前に誰か(神?みたいな誰か)が俺の身体に「打て」と信号を出しているのだろうか?


その可能性があるのか?現実的に、科学的に?



そう考えるとゾッとするだろ?


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奇蹟的な幸運の積み重ねの発露

2017-08-30 22:03:27 | Weblog



問題ない


心配ない


全然平気



大丈夫



余裕でセーフ


どーにでもなる



どーにでもできる


全然駄目じゃない


上手くいってる


はるかにマシ


へっちゃら


何も失くしてない


ヘマなんかしていない



何一つ気にすることはない


のんびり行ける


何かあっても笑い飛ばせばいい


不安なんてない


安心してていい


その気になれば何でも出来る


そして いつだって「その気」になれる


何もかもがこの手の中にあるし、


いつだって自由なのだ我々は。



自由自在に生きよう、


大笑いしながら行こう。



この先は、悪いことなんて起こらない。









人生は奇蹟的な幸運の積み重ねの発露なんだぜ。








・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・まじで。



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タフネス

2017-08-27 17:43:11 | Weblog

僕はタフにならなきゃいけない。

この「世界」なんて所は みんながみんなそれぞれに、

好き勝手に好き勝手な事を言い散らしながら生きているのだから。

他人に否定されたりすることもある。

でも、否定されても気にしないに限る。

僕自身はまぁ、極力・・他人を否定するまい、と思いながら暮らしてるのだけど。

やたらと他人を否定したがる人、というのはどこにでも居る。

自分が正しい、と思い込んでいる人。

でも多かれ少なかれ、誰もがそうだから

衝突とか軋轢たかっていうのは人生において避けられるものではない。

せめて・・・自分だけが正しいのだ、みたいな狭い考えに陥らないようにしたい。

そして他者からの否定を風のように受け流すためにはやはり、

タフにならないといけないのだ。

ふう。

でも「ベンキョーになること」って、あったほうが良かったりするよね。

そういうのって、有益だし。

何事からも「学ぶ」姿勢と心構えが必要なのかもしれない。

何か言ってる事がお堅いけど。

でもコケたって恥かいたって、その時なりの「立ち上がり方」を学べる、と思えば

無駄ではない。

困難ってひとくちに言っても、千差万別で、本当に色々なタイプの困難が

世界には存在するけど、そのひとつひとつを乗り越えていかなきゃならないんなら

それなりの対処法を知っていてもソンはない。

そのようにしていつの日にか

「ヨユーのある人」になれたらいいな、と思う。

何と言っても「ヨユー」が素晴らしい。

(飽くまで「精神的なヨユー」だ。金銭の事じゃない。)

「ヨユー」が無いと笑えないし、

自分以外の人のことを考えることも出来ない。

アートも「ヨユー」を持ってないときっと、

良いものは創れない・・・・・気がする。

「ヨユー」を持つためにも僕は、「タフ」を目指すのだ。

いい歳してなに言ってんだか・・・・と思わなくもないけど、

何を始めるにしたって、遅くなんかない。

もう遅いよな、と思っちまったらアウトだ。

まだまだ人生は、始まったばかりだ・・・・・ってのは言い過ぎかもしれないけど、

まだまだ序盤戦だ、

くらいのことは言ってもいいと思う。






もうすぐ九月だね。

華やかな九月、待ち遠しい。
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土星じゃなくて木星だった。

2017-08-25 21:50:28 | Weblog

コーコーヤキューもやっと終わり、ラジオの「コドモ電話科学相談」が戻ってきた。

嬉しい。

この番組は毎年、8月31日がラストなのでそろそろ、佳境に入ってきた感がある。

「佳境」、というのはつまり、面白い質問が出て来だしたのだ。

これ本当にコドモが考えた質問か?

親が裏で操ってるんじゃないか?などと少し疑うのだが、

まあ、面白いから良し、とする。


今日の面白かった質問。


まず・・・・・「植物の種は、生きているのですか?」だって。

確かに、「種」ってビミョーだよな。

専門家のセンセイの答えは、「あれは生きているのだけれど、生命活動一時停止状態してます」だそうだ。

なるほど。

動物や昆虫にとっての「冬眠」に近いニュアンスがあるのかな?と、僕は思いマシタ。

植物の生命形態って、考え出すと面白い。


次。


「秒の単位は60までなのに、コンマ一秒の単位は10までなのは何故ですか?」だと。

そうか、そうだな。9秒09とか言うもんな。

よくそんなこと気付いたな。

この質問に答えた回答者はとても嬉しそうに、円周360度の由来なども語っていた。

円周360度の由来はやはり、一年365日・・・だそうだ。要は、太陽に対する地球の動きなんだけど。

まあ、そうとしか考えられない、という話だと思うが。

さて何故コンマ一秒は10進法なのか?については、

「ややこしくなるからそうしたんだよ」とあっさりスルーしていた。

スルーしてどうする。でも、そうとしか言いようがないか。


ははは、素晴らしく面白い。

でも上記二つ、「コドモの質問」っぽくないよね。大人びている。


今日の番組の最後に天文学の人が

「みなさん、今日の夕方は月と土星が並んで見えますよ、楽しみにしていてくださいね」

と言った気がしていたのだが、聞き間違い・・というか僕の思い違いで、

土星じゃなくて、木星だった。(でも月末、30日には土星も、月と並んで見えるはず。)

今日の月、見た人いますか?

三日月・・くらいの、わりと細めの月の、ちょっと離れて左に輝いていた星。

あれは、木星なんだって。

「惑星」の動きって複雑で、我々天文のシロートには

どれが木星だか土星だか、わかりにくい。(金星だけは、すぐわかるけど。)

でもあんなふうに並ぶと、そして今日みたいにアナウンスされると、わかりやすい。


「恒星」と「惑星」って、地上から見てるぶんには同じようにみえるんだけど、

光の成分が全然違うはず。

「惑星」の光は月と同じで、太陽光の反射に過ぎない。

「恒星」は、それぞれが燃えて(核融合して)、それぞれの光を放っている。

でもそれよりも何よりも、「距離」が桁違いに違う。

「惑星」からの光(太陽光の反射)は、ほんの何時間前か、遠いものでも何十・・いや、何百時間か前のものだけど

「恒星」からの光は、何年、下手したら、何万年前のもの・・・・なのだ。


そんな風に思って見上げると

星空も、面白いデス。






土星と木星、間違えててゴメン。
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逆転、そして逆回転。

2017-08-24 22:05:08 | Weblog


君が使ったのは「逆転の魔法」だった。


天と地は逆に

10年は一瞬に

聖は卑に

闇は光に

劣は優に

哀しみは喜びに

光速は静止し

苦薬はスィートキャンディに

石ころはシルバーに

虫けらは羽化し

絶望は希望に


それぞれ

変化し果ててしまった。


その

あっけなさといったら

もう何と言うか

言葉を失いそうになるくらいで、


ああでも

「言葉」がなかったらこの世界、

いろんなものが始めっから存在しなかっただろうな・・・・・・などと思った。


愛も


哲学も


幸福も


懊悩も


なかっただろう、と。












でも「逆転」って、


俺の大・大・大好きな


(テープの)「逆回転」(←アナログ・レコーディングの隠し技)と


通ずるとこ、あるよな。




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NO OUT

2017-08-23 21:47:29 | Weblog

ふと思ったんだが。


「ノーアウト」ってなかなか、いい言葉だと思わない?


「ノー」も「アウト」も否定の言葉なのだけれど


否定が二つ並んで二重否定で、肯定の言葉になった。



使用法は


「まだまだノーアウトだぜ俺」


とか



「ノーアウトだからいくらでも余裕あるぜ」


とか。





そうだ、


空振りしてもいいし、


バント失敗してもいい。


すっ転んでもオッケイだし、


間違えても全然大丈夫。


道に迷ったって


ダブルプレイ喰らったっていいんだぜ、


何しろ、まだ「ノーアウト」なんだから。



ははは。







しかし、昨日の高校ヤキュー(今日の決勝戦ではない)、



9回裏



3点差



ノーアウト満塁



ここでホームランが出れば逆転サヨナラ勝ち



天高の奇跡的な大逆転劇が見られるか?



と思ったのだが(ラジオでトラックで聞いてたのだけどさ)、



アッ!という間にツーアウト満塁になってしまって



気が付けばフルカウント


3ボール2ストライクに追い込まれ


最後の最後は



空振り三振で試合終了。




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ちょっと虚脱したぜ。




人生っていろいろある。





ありすぎる。







しかし


ヤキューのこと書いたなんて、このブログ史上初なんじゃないかな。







天高は、俺が通ってた高校なのですよ。



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時間がない 2

2017-08-22 21:36:02 | Weblog

昨日、時間が足りなくて(とほほ・・・・)書きたくて書けなかったこと。


僕の好きなM上という作家の人が何かで言っていたことなのだけれど、

「お金で買える最上のものは(自分の)時間」だって。


確かに。


僕なんかビンボーヒマなしで、日々暮らしていくためのお金を得るために

朝早くから夜遅くまでひぃひぃ言いながら働いている。

ご同様のお仲間も世の中にはたくさんおられる事と思う。


もしも

生活するためのお金が、たっぷりあった・・としたら、

日々の時間は、自分の創造のために使えるだろう。

しかしなぁ。

自由な時間がたっっぷりあったらなかなか、創造には向かわないのが人の常。

夏休みのコドモの原理である。

まさかパチンコ打ちに行ったりはしないだろうけど、

膨大な自由時間のすべてを「寝て過ごす」という事になりかねない、僕の場合。

眠るの大好きなんだよ。

・・・だから、今ぐらいがちょうどいいのかもしれない。


さて。


本当に「時間がない」と痛感するのは、

病気で余命宣告を受けた人・・・・・・と、

平均寿命を大きく超えて暮らしておられる高齢者の方々・・・・・だろう、と推測する。

そうなっちゃうと、本当に本当に、時間がない。

でも、だからと言って何をするべきなのか?

病気の方々は、その病気を克服するために全力を尽くす以外に、やれることは少ないかもしれない。

おトシを召された方でも、やっぱり、(残された時間に)何をするべきか?というのは、

わからないかもしれない。

僕は今のところ阿呆のように健康で(風邪も引きやしねえ)、余命宣告は・・・されていないのだけれど、

そんな風に、余命宣告されたみたいに、

「明日死んでも悔いはねぇ」ってな感じで、いっぱいいっぱいで・・・ではない、

精一杯、生きて行きたいデス。


死んでも悔いはねぇとか言っといてアレなんだけど、

我々の基本的な使命は、

「生き延びること」なのではないか?と、最近の僕は思い始めている。

昨日、「アート」だ何だ、と言ったが、

基本的にはやはり、「生き延びること」優先である。「生物」だからね。

他にも

「生を実感すること」とかさ、

陳腐に聞こえるかもしれないけど「愛すること」とかさ。

そーゆーのが大事なんじゃないか、と思っている。


人生ってムツカシイ。

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時間がない

2017-08-21 21:57:40 | Weblog

僕等にはもう、「時間がない」のだろうか?

子供時代なら時間は有り余るほどあった。「暇つぶし」をしてたくらいだ。

青年、っていうかオトナになってからも、

まだまだ時間はあった・・・ような気がする。

今だって

時間なんか作ろうと思えばいくらでも出来るはずだ、その気になれば。

・・・・・・・・・その気になりさえ、すれば。

だけど、「その気」はあっても、時間を作るのは簡単ではない。

今のオレは何だ?老青年か。それはそれでいいが。

でも「自分の時間」って一体、何だろう?

好きなことをしていい時間、

束縛されない時間。

でも我々は喰うために好き好んで束縛を受ける。

行動的束縛、

時間的束縛。

野生動物だって考えてみれば「喰うために」、

食物を探している時間の、どれだけ長いことか。

もしかして彼等(野生動物)は、彼らの持てる時間のほとんどを、

「捕食」のために費やしているかもしれない・・・っていうか、そうだろう。

「喰うこと」が生物にとって、どれだけ大事なことか。

でも野生動物が例えば「あー!俺たちって喰うことに縛られてるよな」と思ってるか?

といえば、恐らく、思ってないであろう。

アレはアレで、好きでやってるのだ。

自由がない、とか自分の時間がない、などと考えるのは人間だけだ。

何故か?

人間は、喰うことが全て・・・ではないからだ。

人はパンのみにて生くるにあらず・・・・だったかな?

喰うこと、生き延びること、子孫を増やすこと、といった

「本能的」と言っていい物事以外に「生きる意味」を見いだしてしまったのが

人間だけ、だから・・・・・なのかもしれない。

それは何か?

「アート」だ。


ロックンロールを含む音楽全般や

ファッションも

絵画も

文学も

いっそスポーツも、

そして、発明を含め「モノつくり」することすべて、

「アート」の、一形態である(私見だが)。

だから「時間がない」のだ、オレタチは。


「喰うため」のことだけに、時間を使ってしまうワケにはいかない。

ああ、でも

喰わなければ生き延びていけない。

生き延びなければ「アート」に関わることも出来ない。



矛盾だ、不条理だ。



そんなこと言ってる間にも時計は進むばかりで、

間違っても

戻ったりはしないのだ。


・・・・・・・・・・・・(タメイキ)。













とか何とか言ってないで、

明日も早いから、もう寝なきゃ。
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イミねえー!っての。

2017-08-19 15:07:47 | Weblog

あのよー、オレいっつも思ってんだけどよぉ、

気ィ抜いて生きたってつまんねーよな、ぜってー(←絶対)。

わけわかんねぇー!ってくらいややこしい「世界」ってヤツによぉ、

本気の本気で、

おりゃーっ!ってさ、あの、真剣白羽取り・・・・みてえにさ、

いや、そんな気持ちで人生に向かうって話よ。他人に斬りかかろうってんじゃないぜ。

でも切れるか切れないか、紙一重くらいのトコでよぉ、

そんな風に生きなきゃ、つまんねぇってさ。

そりゃ勝手だぜ?うつらうつらと、半分眠りながら生きんのもよ。

マニュアル通りに生きんのもよ。

でもそんなの、イミねえーっての。思わねぇ?

解かんだろオレの言ってること?(YOU KNOW WHAT I MEAN?)

あー、でもそんなヤツラばっかりじゃねえの?知らねーけどさ、

マンインデンシャに乗ってカチクみてえに運ばれて、

そんでまたバカみてえに傲慢な政府に・・・てか政党に、投票したりするんだろ?

ちょっとは考えろ・・・ってんだよな。

面倒くせえけど、最低「人権」ってヤツを取り上げられたら俺もアンタも、

ホントに「家畜」だぜ。

トサツされて、ヒリョーにされちまうんだぜ。

それもホントにサイテーなんだけど、その上、、

ふっと気が付いたら戦争できるようになってて、

「君達は戦場に行きなさい(私は行かないが)」ってな感じで命令されちまうんだ、合法的に。

平和を声高に唱えるのって、安静で平和なときは簡単なんだ

(いや、「簡単」とか簡単に言っちゃイケネーけどさ)、

キナ臭くなって来たときこそ、大きな声で

「平和」だの

「反戦」だのって

堂々と表明すりゃいい、って言うか、するしかねえじゃねえか、ってオレは思うぜ。


・・・・・・・・・・・・・冗談抜きでよ。









P.S.

人権軽視する方向に行くような憲法改正なんてホントに言語道断だぜ。

そんなので騙してオレタチを、どーしよーってんだろね?
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面白い、ということについて。

2017-08-17 21:31:03 | Weblog

「オマエおもろい(面白い)やんけ」

と俺に言ってきたのは、ほぼ初対面の日の岩佐だった。

俺達は高校にまだ、入ったばかりだった。だから・・・15歳か?

そのことは、以前にも書いた事あるのだけれど。

しかし、いかつい風貌の背も高い、髪の毛はパンチパーマ(後で知ったのだが天パだった)の

長ランの学生服着たオトコ(いわゆる「強面のヤンキー」ですね。)にイキナリそんなこと言われても

・・・・・・・ちょっと怖かったけど嬉しかった。

だって、そんなこと、それ以前に、面と向かって言われた事なかったからさ。

でもそんなこと面と向かって言うヤツも・・そんなにいないと思うぞ、この世の中。

岩佐ってそういう人だった。

ギャグも山ほど言うのだけれど、言いたいことはスパッと、照れもせず言うような。

それで、そこから関西での俺の音楽活動が始まるようなものなのだけれど、

そんな風に、

誰かに「面白い」と思ってもらえるのって、誰にとってみても、

最高にラッキーな出来事だよね。

そして俺はもちろん、岩佐のことを「面白い」と思った。怖いけど面白い。

そして岩佐が俺を佐治の家に連れて行って、そこからランブルフィッシュの前身バンドが始まる。

佐治がまた、強烈に面白かった。

・・・今更だが言うが、この場合の「面白い」は、ファニー・・ではなく、インタレスティング、

つまり「興味深い」という意味だ。

まあ、佐治にしても岩佐にしても、ファニーな面も多く持ち合わせていたのだけれど。

でも本当に・・・・・誰かのことを「面白い」って思えるのって大事だ。

そんな風に思える人と、もしくは自分のことをそんな風に思ってくれる人と関わることは、

人生の醍醐味・・・・と言っても大げさでないくらいに、楽しくて刺激的で、嬉しいことだ。

俺はあれから、何人も何人もの「面白い」人と出会った。

人間って本当に、あきれるほど千差万別で複雑で、不可解で魅力的。

この歳になってからでも、まだ「面白い人」が出現する。

「センスが合う人」って、意外に多く居るんだ・・・と思うと、

世界全体が愛おしくなる。




・・・・・・・・・・・・・あのね。

あらたまって言うみたいに聞こえると思うけど、

君は、本当に面白いぜ。

やることなすこと、それに、言うこと全て。

君の「面白さ」が解かるのは別に、俺だけじゃない・・・・・・・・・・・・・・・・とは思うんだけど、

俺が一番、理解してるような気がする、

君の「面白さ」については。



本当だぜ。














しかし、ふと気付けば

岩佐も佐治も

もう

とっくにこの世に居ない・・・・・・のだなあ。
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