最大限。

2019-06-30 19:47:32 | Weblog

今、自分に出来ることを最大限、「やる」のだ。

それしかない。


この瞬間、目に映るものごとを一つずつ片付けていく。

「思いついたこと」を現実にしていく。


即効性なんてなくてもいい。

目に映る成果なんて ずっと後になってから気付くのだ。

後悔だって、するんなら後ですりゃいいのだ。


今までもずっと、そうだった。


とにかく、「やる」こと。

やらなければ何も起こりはしない。

自分自身だって、変われはしない。


やったことで、他人から辛口批評されたりするだろう。

こき下ろされることあるだろうし、

鼻にもかけてもらえないかもしれない。

無視・・・っていうか、黙殺されてしまうかもしれない。


でも反対に

(誰かに)気付いてもらえるかもしれない。


もしくは、(誰かが)僕のことを思い出してくれるかもしれない。


だから、やるのだ。


やれるとこまで、やるのだ。



そしていつか、全部終わった時に

「やり切ったぜ」と言えるくらいに。


まだ、出来るから。

今はまだ、「やり切って」は、いないから。



そういうつもりで


たった4曲入りだがCDを作ってみた。

今出来る最大限のこと。


もっといっぱい、録りたい曲はある。

でも取れる時間と、スタジオとかの関係でこれが精一杯だった。


俺達にはまだ、明日はある。ボニー&クライドじゃないんだから。


この先ももっと、録音作業も続行したい。


でも

とりあえず出来たこのCDがこの夏に向けての


小さな起爆剤になればいいな、と思う。



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昨日の話の続き・・・・・「親切心」は「愛」である。

2019-06-27 20:34:14 | Weblog

考えてみたら、僕(片山道郎)が「歌う」バンドで怒髪天と対バン出来るのは、

史上初・・・・なのだ。

知らない人は知らないのだが(当たり前だ)、

僕はずっと、「ギタリスト」だったのだ、ランブルフィッシュでも、ばるぼら でも。

ちなみに、今はヴォーカル/ギターだ。いや、ギター/ヴォーカルか?

でも「ギタリスト」時代から、自作の楽曲はつくっていた。

ギターだけ弾くのと、歌うのと、そんなに違ったこと・・ではないと僕は思っている。

だから、今自分が演ってることは自分としては自然だ。


でも、バンドブーム(の余波)があったりして、「昔」のほうが何かと華やかだった気がするのは、いた仕方がない。


だから、今や全国的な人気バンドである怒髪天が今回みたいに我々を呼んでくれるのは、

とてもとてもありがたいことなのだ。

だって、俺達を呼んでも、彼らに何のメリットも無いんだからね。


彼らが今回、俺達を呼んでくれたのは、ひとえに「愛」の成せるワザだ、と、僕は勝手に思っている。


この場合の「愛」は、「友愛」だ。

「友愛」なんて言葉は美しすぎてちょっと引かれてしまうかもしれない。

でも、それなのだ。

「親切心」って言い換えてもいいかもしれないけど、「親切心」は、「愛」なのだ。


僕はもちろん彼ら(怒髪天)のことを30年も前から愛しているし、

彼らだけじゃなく、

自分のバンドのメンバーも、過去のバンドのメンバーたちも、魅力的な対バンたちも、

ライヴで、見に来てくれた「お客さん」として出会った数多くの人たちも、

ライヴハウスの人たちも、レコード会社の人たちも、ロック・バーの人たちも・・・・・・・・・

そういう人たちを心から愛している、と自分では思う。


自分が愛することによってその誰かに「いいこと」があればいいな、と思うのだが

なかなか、そうはいかない。

逆に僕のほうが「いいこと」を受け取る場合のほうが、圧倒的に多い。


今回も、そうだ。


だから、とてもとてもありがたく、この「いいこと」を、受け取るつもりだ。

これは「晴れ舞台」なのだ。


期待に応えることこそが「恩返し」であろう、と僕は思う。


「愛」に、応えるのだ。














写真は、本文とはあまり関係ないが、懐かしの「クリームソーダ」の、タグ。


TOO FAST TO LIVE    TOO  YOUNG TO DIE


昔は思わなかったのだが・・・・今読むと、この言葉は、「痛い」。

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最後のファンダンゴライヴが近づいてきた。

2019-06-26 21:13:44 | Weblog


あああ。ライヴの日が近づいてきて緊張してきた。


怒髪天と一緒にライヴが演れる。

でも、十三ファンダンゴ、あの場所にあるファンダンゴでライヴ演れるのは最後になる。

・・・・・・・・・・・嬉しいのと寂しいのがごっちゃになってしまう。


1988年にランブルフィッシュで初出演してから、ファンダンゴには、何度も何度も出演させてもらった。

まじで数え切れないくらい。

ランブルフィッシュはワンマンでのライヴも何度も演った。

ファンダンゴでのライヴをCDにして発売したりもした。


そしてランブル解散後にボケロウとキヨシとマーボーと僕と4人で結成した、ばるぼら。


ばるぼら の結成後初ライヴは1994年のファンダンゴ・ワンマンだった。

お客さん200人以上来てくれてたんだぜ、あの日は。

その後も、ばるぼら でも何度もワンマンをやらせてもらった。


「根城」みたいなハコだったのだ、十三ファンダンゴは。

あそこで、いろんな、いろんな、いろんなことがあった。

泣いたり笑ったり怒ったり酔っ払ったり恋したりした。・・・ずっこけたりもしたな。



ランブルフィッシュ時代に、ファンダンゴで怒髪天とも何度も対バンした。

今回、最後のファンダンゴ出演において、ROCAを、怒髪天が呼んでくれたのも、

偶然に友達になれた我々の「縁」みたいなのを感じる。


増子兄ィ、トモヤス、坂さん、シミー、ありがっとね。





怒髪天

祝・バンド結成35周年

大怒髪展2019  ”雑エンターテインメント”


ツアー ”極楽元年(予想)四都巡啓”




大阪篇、

7月10日(水)  十三 FANDANGO





出演は 怒髪天と、ニートビーツ、ほろほろ鳥 そして我々 ROCA’66

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4曲入りCD完成。

2019-06-25 21:09:48 | Weblog

ROCA’66の音源が、やっと出来た。


たった4曲しか入ってないけど、


それなりに試行錯誤したりした結果なので、自分としては充実感がある。


ジャケットの絵はTシャツと同じ、僕が描いた黒猫。


4曲入りなのでこういうのは一般的には「マキシ・シングル」とか呼ぶのかもしれない。


でも、まあ、「ミニ・ミニ・アルバム」みたいな。そういう感じで。


タイトルは、ない。「黄盤」・・・とでも呼ぶか。「黄猫」でもいいや。


収録曲は


①真昼の夜


②逢魔



③SISTER



④追憶の発破’64



4曲とも、作詞・作曲は片山道郎。編曲はROCA’66。



次のライヴ、2019年7月10日のファンダンゴから発売開始の予定。


それ以降、ライヴ会場で手売りします。


価格は500円。




渾身の作・・・・・なので、ぜひ聴いて欲しいデス。


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大人になったら何になる

2019-06-19 20:14:24 | Weblog

大人になったら「漫画家」になろう、と思っていた時期が確かに、あった。

子供の頃のことである。

単に、引きこもりがちの子供だったので家の中で本を読んだり漫画を読んだり、

延々と絵を描いていたり・・・してたので、絵を描くのだけは上手かったからだ。

でも、ストーリーを考えるのは苦手だった。今でもだが。

ストーリーが考えられなければ漫画はかけない。

それでその後、高校卒業時には、そうだ、「デザイナー」とかいう奴になればいいじゃん、

それだったらストーリー要らないし、と思いつき(安易だ)、

(ベンキョーは徹底的に苦手だったから大学に行くなんて思いつきもしなかった)

親に頼んで大阪のデザイナー専門学校に入学させてもらった。アリガットゴザイマッス!

初めの一年くらいは、まじめにデザインの勉強をした。けっこう本気で、デザイナーになるつもりだった。

ヌ、ヌードデッサンの授業とかもあったんだぜ。アレは良かった。

しかし、デザインの世界はその時期、パソコンの登場で劇的変化している真っ最中だったのだ。

今思えば、ってことだ。当時は全然、そんなことわからない。

だから、デザイン学校であの時習った手仕事的な技術(レタリングとか、からす口の使い方とか)は現代においてはもう、

骨董品みたいなもので、誰も使ってないし今の学校ではそんなこと、教えてさえいないはずだ。

何もかもがコンピューターに飲み込まれてしまった。

それはともかく、

デザイン学校に行きながらも、高校で結成したバンドは続けていた。

そう、ランブルフィッシュである。でもこの頃の活動は割合、低調だったように思う。

でも「転機」が訪れる。夏休みに・・・・・

ヴォーカルの佐治と二人で行った、免許合宿である。場所は長野の小渕沢だった。

そこで、いろいろあって、僕は「バンドマン」になる、という一大決心をした。

何でもいいからとにかく昼間の仕事をしながら、バンドをやる。デザイン学校なんか行ってる場合じゃねえ。

そして、メインは仕事ではなく、バンド。でも別に、メジャーデビューが目標だったわけではない。

とにかく、本気でバンドをやる、という姿勢こそが大事だった。

そのために、それのために様々なことを「棒に振る」決心をしたのだ、あの夏に。


それで、その後はその時の決心通りに行動した。


仕事は、転々とした。ライヴで休みが取りにくかったりしたら、あっさり辞めたりしたから。

アメリカ村で古着屋の店員をしたり、

50CCバイクで画材の配達をしたり、

軽トラで配送もした。靴工場で働いたりしたし、

時計を売る仕事は、結構長くやった。

大型ダンプにも乗ったし。


そんな風に働きながら、バンドはずっと、やってきた。

そういう意味ではあの頃に決心したことに忠実に生きてきた、と言えなくもない。


気付いたら僕はもう「大人」で、

結局のところ、何になったのだろう?





むむむ・・「バンドマン崩れ」か。







そーゆーのってあんまりカッコ良くないが



まあ良し、としよう。








写真は、2019年の、著者近影(着ているのはROCAのTシャツ・黒ヴァージョンである)。

何というか、少しずつ顔が、老けてきた。それはそれで・・・・・そんなもんだろう。

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近況、そして「リライト」に関する話2つ。

2019-06-17 20:45:05 | Weblog

必然・・・・の、無数の集積が「今・ここ」を作り出しているように思うときもあれば、

何のこっちゃない、すべては行き当たりばったりの偶然でしかなかったのだ、としか

思えないときもある。

どっちだったとしても今、目の前にある「現実」が

1ミリでも変わるわけではない・・・のは、ご愛嬌。


近頃の私ときたら何だか浮き足立っていて、

例えて言えばゴールのテープを切った走者が勢い余ってそのまんま運動場を一周してる・・・・

みたいな。

キャベツの上の青虫が「サナギ段階」を経ずにいきなりバリン、と羽を生やして飛び立った・・・・

みたいな。


そんな今日この頃。


そういえば今日はいつものラジオで(サンキュータツオが)「走れメロス」について考察しておったよ。

俺はあの短編は、どっちかって言うと嫌いなんだが。

でも何だかやっぱり、太宰って・・・・・・・・・・・・・と思ったな。

何か、赤の他人が太宰について考えてるのって変だ、と思った。

いや俺だってもちろん、赤の他人なんだけど、それでも。

でもあれ(「メロス」)が、”あくたがー”へのオマージュ的な要素を含む、っていう見方には、

へえぇ・・・って思ったね。

確かに、「古典のリライト」的では、ある。


リライトの話をもうひとつ。


昨夜は近所の、中書島「MICA」(3RDシーズン)に寄って、軽く飲んでおったのだが、

そこに現れた友達の「ハンコ屋さん」が持っていた1982年当時の雑誌「宝島」。

僕は当時、絶対、買って読んでいたはず・・・と思ったのだが、

内容に一切覚えが無い。

僕が「宝島」を買うようになる直前の号なのかもしれない。表紙はジョン・ライドン。

何とその号、

村上春樹の書き下ろし短編小説が載っているのだ。

タイトルは「午後の最後の芝生」。

これは・・・初期の傑作、とされている短編だ。僕も、とても好きな作品。

この初期の傑作短編、何と、「初出」が、あのパンク・NW雑誌といわれた「宝島」だったのだ。

当時の村上春樹がいかに「型破り」だったか・・・・がよくわかる。


僕はもちろん、この「午後の最後の芝生」が収録されている単行本を持っている。

たぶん、「中国行きのスロウ・ボート」だと思うんだけど、

それの巻末に「初出」は、記してあるはずだ。でもそんなの全然気にしてなかった。見もしなかった。


そして、何と、何と、その小説、

結末の一行が、単行本に収録されているものとは、違ったのだ、その「宝島」に載っていたものは。

さらさらっと目を通して気付いた。途中だったらわからなかっただろうけど、

最後の一行だから、すごく目立った。




村上春樹が、単行本収録時にリライト(書き直し)を何度もする、というのは知っていたのだが。

しかもその最後の一行、とてもとても印象的で、

それがあるか、ないか、で、小説全体の印象が変わってしまうほどのインパクトがあった。


それだけの話なんだけどさ、

こーゆーのって、すごく得した気になるって言うか・・。



ちょっと馬鹿みたいでは、あるけれど。








あ、僕も歌詞を「リライト」することもあるよ。


でも、ほとんどの場合はしないな。


一回覚えちまうと、もう固定されちまうんだよな、「歌詞」って。









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梅雨入り前の夢

2019-06-15 14:36:51 | Weblog
久しぶりに「象徴的」と言えなくもない夢を見た。

かいつまんで話すから、聞いてくれ。

場所は、南欧のプロヴァンスならこうであろうか・・・というすばらしく乾いた明るい、

海辺の町。

僕はいつかのような画学生で、本日のミッションは風景画。

全身全霊をこめてスケッチブックに向かう。画材はフルカラーの、アクリルか、

ガッシュか、ただの水彩か。

苦心惨憺して90%まで完成させて、僕は絵を、とある人に見せて批評を乞わなければならない。

真っ黒な10トンダンプに乗って僕は、その人の家を目指す。

途中の道は細い。大型ダンプで細い道を行くのは、ガリバーが小さな人たちばかりの国に迷い込んだような感じだ。

最後に、海辺のその人の家を見つけて、庭に続く道をダンプで入っていく。

そして古ぼけた家から老夫婦が出てきて、良く晴れた庭で、絵を見てくれる。

表情は辛らつで、懐疑的。しばらく絵を見る。

絵を木の枝で指しながら老婆は言う「ここに、”死”が描けなきゃね、何の意味も無いんだ」

「誰もがみんな、そのためにやってるんだ、風景だろうが何だろうがね、”死”を感じさせなきゃ駄目なのさ」と。


長い夢だったが、覚えてるのはこれだけだ。

覚めてから考えたのだが、風景画で"死”っていわれてもなあ、と思うのだが

確かに、たとえばヴァン・ゴッホの風景画などからは”死”が感じられる。

老婆の言ったことは本当なのかもしれない。


僕は今は画学生ではないのでそんなに全身全霊で絵を描くことはない・・・・いや、描くことはあるけど、その機会は少ない。

今は「歌」を書こうとしている。

歌は「歌詞」という直接的なものがあるので「死」という言葉を使うことも出来る。

「愛」と言う言葉も。

でも直接的であればあるほど、「現物」からは遠ざかる気がするのだ。

だから僕は直接的な言葉はなるべく、ほとんど、使ってない。

世界は難しい・・・・・・かと思えば

仲間の助けと、その「音楽」のおかげで、思った以上に上手くいくことも、ある。

だから、やっている。

今夜はスタジオ入り。

7月10日のファンダンゴに向けて助走中の我々、ROCA’66である。

関西の梅雨入りはまだなのか。

最近は天気予報が外れまくっていて可笑しい。

外れたらちょっと「てへっ」くらい言って欲しいのだが、誰も言わない。

まあいいけど。
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ROCA’66 、7月10日のファンダンゴに向けて助走開始。

2019-06-10 20:07:30 | Weblog

 気合入れてチラシつくって見たんだ俺達ってば。

いつだってアクセルペダルは床まで踏みっぱなしの我々、ROCA’66であるが、

この期に及んで、いい歳をして、更に加速中。

ドシャメシャな新曲も好調だし、演奏はラフだが、「精度」は高まっている。

何の「精度」?てそりゃ、「愛」よ。いや、「愛」もそうだけど、「音」よ。

要するに、気持ちが高ぶってるってこと。気分は・・・まるで「中二」である。

「中二」で、何が悪い。

そりゃ、アタマは悪いかもしれないが、心は清い・・・いや、どす黒い。


いい歳で、ドシャメシャで、ラフで、中二で、アタマ悪くて心はどす黒い?


ああ、ネガティヴ・キャンペーンしてどうする俺。

まあいい。

とにかく、新しいチラシが出来たんだ、見てくれよ。

写真は、大滝君のもの。

今度発売するCDのジャケットも載っている。4曲入りだが、CDはCDだ。Rだがな。

CDは7月10日のファンダンゴから、各ライヴ会場で販売開始する。Tシャツも、引き続き販売する。

CDのジャケットは、Tシャツの絵をそのままトリミングしたものだ。

絵を描いたのはアタシだ、片山道郎。

黒猫は永遠のモチーフだ。俺は昔は黒猫を、飼ってさえ、いた。


今からだと、7月10日のファンダンゴのチケットは手に入らないと思う。

っていうか、無理だろう。

7月10日に来れる人も、来れない人も、その後にいろいろライヴ入れたから、

来てくれ。

その日程を載せたチラシだ。


7月10日のファンダンゴでは 

怒髪天や、ほろほろ鳥や、、ニートビーツと一緒に演れて豪華だが、

その後も負けずに豪華だ。

8月24日の天満 PARA-DICEでは我々と、らんちゅう と、カミナリボルトの3マンだ。

9月7日の京都・御池「夜想」では、今のところ対バンは サヨナラナイフ が決まっている。

9月28日の 難波メレでの対バンは、マンガンズが決まっているし、

10月13日の尼崎TORAでは、T☆ROLLSと、関東からVOODOO  MUFFINがやって来る。

全部豪華だ。

なんてすごいんだ俺・・・・いや、すごいのは俺ではない。

でも、すごくならなきゃ、あっさりと負けちまう。

いや、勝負じゃないんだから、勝ち負けなんか無いし。

我々は「共演者」なのだ。

同じステージを、シェアするのだ。

昔みたいに、「対バン同士にらみ合う」ような世界ではない。

我々は、街のチンピラではなくて、ミュージシャンなのだ。

でも、街のチンピラみたいなミュージシャンが、昔は多々、いたなぁ・・・くすくす。ちょっとだけ懐かしい。

まあいいや、

とにかく我々は加速中。

ついて来てクラッサイ!そんな滅茶苦茶ってワケでもないから。

いや、ちょっと滅茶苦茶な部分もあるけど。


(どっちやねん)





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「セカンド・ライン」

2019-06-08 21:04:52 | Weblog

昨日、ドクター・ジョンが亡くなった、というニュースが飛び込んできた。

僕は、特に大ファンだった、というわけではない(いや、大好きだったけど彼のレコードはほとんど持ってない)のに、

すごくショックだったし、とてもとてもさびしく感じたのだった。


何故こんなに親近感があるのか?と考えたのだが、

そうだ、アレだ、至近距離で目撃したことがあるからだ。そして直に、その「魔力」に触れたからだ。


1999年だったか、2000年だったか・・・・のある日、僕は大阪城野外音楽堂で

彼(ドクター・ジョン)のバンドのライヴを見て、聴いて、

それまでで初めての、それ以後は感じたことのない「感じ」を

確かに受けた。


その「感じ」とは、踊りたくなる衝動である。それも暴力的なほどに理不尽な、強力な。


持って回った言い方をしたけど、要はその音楽が、

それまで聴いたことのないほどグルーヴィだったのだ。

もう、恐ろしく。


その時のライヴ・イヴェントは野外なのに、妙に警備が厳しくて、

席から立ち上がっただけで警備員が来て、無理やり座らされた。馬鹿みたい。


警備員たちが妙にまじめで真剣で執拗なので観客達も、他の前座バンドのときは

立ち上がっても制されて、しょうがないからおとなしく座って見ていた。


だが、大トリの、ドクタージョンと彼のバンドが演奏を始めた瞬間に、

その恐ろしくグルーヴィなうねりのせいで、僕はもう、座って見ていられなくなっていた。

リズムに合わせて自由に体を大きく揺らして

つまり踊りながら聴きたくなったのだ。


実は・・・というか、僕は普段、そういうタイプではない。

自分が演奏するときは激しく動きながら弾くけどさ、

観客としては、ライヴハウスとかでも、座って見てたりするし、

クラブなんかに「踊りに」行くことはまず、ないし。

ディスコなんかはマジで憎んでいた。今でも憎んでいる。


でも、その時は本当に、立ち上がって踊りたい、という強い衝動に駆られたのだ。

僕は立ち上がって、体を揺らした。警備員が飛んできて制してきたけど、無理やり振り切って踊った。


ふと周りを見ると、他の観客も同じだったようで、

あちこちで立ち上がって踊りだす人がいる。そして制しに来た警備員とモメている。



ちょっと後には会場総立ちで、みんながみんな、狂騒状態で踊っていた。警備員なんか、糞食らえだった。


あれは一種の「魔力」だった、と思っている。

人間の持っている、本能的なものを引き出す、

リズムの、そして音楽の「魔力」。


そのライヴ・イヴェントを見に行ったのは、

知り合いのバンド(ジョージ・パイ)が出てたからであったので

僕は終演後、バックステージパスで楽屋に入った。


そうすると、楽屋出口に長ーいリムジンが横付けされている。

いくつもある楽屋の廊下に,細長い赤じゅうたんが敷かれている

(大阪城野音には以前出演したが、そんなものはなかった)。

ちょうど、ドクター・ジョンが楽屋を出て、ホテルに引き上げるタイミングだったのだ。


取り巻きを引き連れて、赤じゅうたんの上をドクター・ジョンは歩いて行った。

僕の目の前をゆっくりと通り過ぎていった。

目が合ったか?どうかは、覚えていない。こちらになど、目もくれなかった気もする・・当然だが。


でも彼の「魔力」は静かに、まるでオーラのように彼の周りの空間を彩っていた・・・・・・・・・

ような気がする。



「本物」は、やっぱすげえよな、と思った。

















今回、彼の訃報に触れて、ひとつ知ったことがある。

ああゆう、ニューオーリンズの独特なファンキーな音楽を

「セカンド・ライン」と呼ぶ、ということは以前から知っていた。でも、その「意味」までは考えもしなかった。

ふとウイッキで見たら、セカンドラインとは何と、「葬列」のことだった。

以下、引用、抜粋------------------------------------------------------------------

葬儀のパレードで、「ファースト・ライン」が、故人の遺族、および関係者のみ、である一方、

「セカンド・ライン」は

ブラス・バンドの奏でる音楽に魅せられ、「ファースト・ライン」のあとについて参列する人々のことである。




ミュージシャンの場合、故人のファンが加わることもある。

------------------------------------------------------------引用終わり



そうか・・。

でも、これって、すごく優しいじゃないか?

ニューオーリンズでは、

血縁者や、関係者でなくっても、葬列についていくことが許されるのだ。

帰り道は、大騒ぎの、陽気なものだという。

そういうのって、すごくいいと思う。




僕はアナタの、血縁でもないし関係者でもないけど、

葬列を見かけたらぜひ、後についていきたい・・・・・・・・・・・・・・・と思うよ。

「セカンド・ライン」として。








さて、写真は、「ダーティ・ダズン・ブラスバンド」。

僕は一時、これに どハマリして、こればっかり聴いていた時期がある。



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「なりゆき」的運命論。・・・いや、非・運命論。

2019-06-06 20:36:51 | Weblog

「なりゆき」のチカラは強大で、絶大だ。

個人の努力など、「なりゆき」の前では、無力に等しい・・・・いや、(無力に)近しい。

この世界においては、ほとんどすべてのことが「なりゆき」で決定される。


魔が差した・・・・とか、

あの時何であんなことしてしまったんだろう?とか

信じられないくらいラッキーだったよね とか


人生にはさまざまな分岐点や、その選択肢があるが、

全ての決定権は自分にはなく、

「なりゆき」が全部決めてきたのだ、今までのこと全部。


自分で選んできた?・・・いや、それは「そんな気」がするだけ。




ちょっと話それるけど

ついこないだ、元事務次官か何かの官僚の超エリートのおじさん(おじいさん)が

オタクの息子を刺殺する、という悲惨な事件が起きた。

想像でものを言うのだが、きっと誰しも、自分の「子供」って自分の思い通りには育ってくれない。

(そうでない人も、そりゃ、いるだろうけどさ。)

多かれ少なかれ、子供は学校とか、外の友達とかから

ワケのわからないひねくれた変な、悪い影響を受けて帰ってくる。

そして嫌ぁな、嫌ぁ~な、奴になる・・・・ことが多い・・・と思う。世の中。

こないだの事件はそれの一番ひどい例だろう。

「子供の育て方を失敗した」と思ってる親は多いと思うけど、

どっちにしたって無理だったのだ。

学校に行かさないワケにはいかないし、大体が、人は何に影響受けようが自由だ。

どんな嫌ぁ~な奴になるのも、自由なのだ哀しいけど。 



で、話戻るけど

そういうのも全部「なりゆき」だ。

無限の可能性と不可能性を排除することなど、誰にも出来はしない。

すべてを流れのまま受け入れるしかない。

我々は、何も選べはしないのだ。


すべては「反射的行動」だ。

ひとは、考える前に「反射」で行動している。

だから、ただその瞬間瞬間を精一杯「反射」して行くだけだ。


ただ、これは絶望的な考えではない。

何故か?というと、実は僕は、その「反射」の中にこそ

「自由意志」を行使できる隙間がある、と思うからだ。


気合を入れて、

ほんの一瞬も気を抜かずに生きる。

何が起こったとしても、正しく「反射」できるように、自分を律するのだ。

そうすることによって我々は向上できるし、

そのことによって、「ペイン」も「エントロピー」も殺せる。


最終的に、そのことの積み重ねが「なりゆき」の流れに一石を投じることになる。


自分で自分の運命を切り開きながら生きることは可能なのだ、

と僕は考える。




ボーッとしてたら「なりゆき」という名の運命論に押し流されてしまうけど。













今日の結論は・・・嫌ぁ~な奴にはなるまい、ということだ。









それだけだ。













写真は、こないだ配ったチラシ。


ROCA’66、次はいよいよ、現・十三ファンダンゴでの最後のライヴ。

2019年、7月10日、水曜日。


最高に「いい」奴等、怒髪天と再会できる。




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