君が緑の黒髪を

2016-04-29 21:17:43 | Weblog

「色」とは何なのか・・・・・・・・・・・・・・。


金髪、蒼眼、いわゆる「ブロンド・ブルーアイズ」の人種、というのは

北欧に多いのかもしれないが、彼等の(見た目の)特殊性たるや。

髪の毛が!自毛が!・・・あの究極の貴金属である「GOLD」と同じ色、だなんて。

傑作漫画の「ドラゴンボール」世界においても、スーパーサイヤ人は金髪に変化した。

「目立つ」ことこの上ないのはやはり、どの色よりも「金」だろう。

それで、それにプラスして、(ある種の人は)瞳の色がブルー。

それで、透き通りそうな白い肌。

ゴールド、ブルー、ホワイト。

これを書いてるワタクシは、アジア人なので、(彼らから見たら)イエローの肌、

黒髪と黒い瞳。

ブルース・スプリングスティーンの「BORN IN THE USA」が流行っていたとき、

歌詞の「ゴー・キル・イエローメン」という言葉に

けっこうドキッとした。あれは直接的にはベトナム人を指していたのだが、

我々だって「イエローメン」だ。

そういえば子供の頃は絵の具とかに「肌色」ってのがあって、黄色がかった乳白色。

そういうもの・・・・だと思っていた。何の疑問も抱かなかった。

しかし欧米にも、アフリカにも、多分中南米にも、「肌色」などという概念はないであろう。

そして多くのアフリカ人の肌は、濃い褐色。ある種の人々は、真っ黒だ。

街灯のない夜の道を歩いていたら本当に 

闇にまぎれてしまうだろうな、といらぬ心配をしてしまうほどの黒。

「黒」は美しい。「ブラック・イズ・ビューティフル」なんて言うまでもない。

しかし思うのだが、

ブロンド・ブルーアイズの人と同居した、としたらきっと、そのルックスのせいで

「生活感」は、あまりない・・・のかもしれない。

同じように、真っ黒な肌の人と同居した、としたら同じようにそのルックスのせいで

「生活感」は、ない・・・ような気がする。

もちろん、「良し、悪し」ではないのだが。

(すぐに慣れてしまうかな。)


我々、「イエローメン(ウイメン)」って、中間なのですね。

中庸、という言葉もあるが・・・・。

何にせよ、

俺が、「肌色」「黒髪」のアナタを好きになったのは偶然でしかない。

そりゃ、ステージでは、金髪なんて最高なんだけどね。


「君が緑の黒髪を」ってのは誰の歌だったかな?古典なんだけど。


アタシはもう、10年以上「ブリーチ」とか、「脱色」とか、してません。

とか言って、白い色の髪の毛もチラホラ。

でも「白髪」は、好きなんだよ。

「自然」がいいなぁ。












明日はファンダンゴに来ておくれね。

自然な、そのまんまの君でいいからさ。









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ファンダンゴと私

2016-04-27 16:56:44 | Weblog

ファンダンゴと出会ったのは1988年だった。

俺たちはランブルフィッシュというロックバンドを組んでいて、

その年は失意のどん底にいた。

何があったか?というのは以前に言ったから繰り返さないが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

酒ばかり飲んでいた。今でもそうだって?そりゃそうだけど、「飲み方」が違ってた。

「自暴自棄飲み」という、友達にはオススメしたくない飲み方だ。

あの頃の「自暴自棄飲み」のおかげで、今でも俺は胃がマトモではない。それはともかく。


”十三にファンダンゴというライヴハウスがオープンして一年ほど経つ。経営者も太っ腹だし、スタッフも面白い。

今はリングリングサーカスの不良外人とかが溜まっていてガラ悪いが、ちょっと面白いハコだ。”


そう教えてくれたのは、俺たちが吹き溜まるようにして通っていた日本橋の裏通りの

ブルース・バーのマスターだった。

一度、出てみるか?と出演した1988年11月。

そこからランブルフィッシュとファンダンゴの「蜜月」とも言える日々が始まる。

毎月毎月、狂乱の大集会のような観客とバンド。常に2,3人が飲みすぎでぶっ倒れていた。

「痛み」と「愛」の歌。

店長のムーちゃんはいつも大歓迎で踊り狂ってくれたし、

ブッキングマネージャーだったキョーコちゃんがマネージャーみたいに

ランブルフィッシュの面倒を色々と見てくれた。東京ツアーとかいっつも一緒に来てくれた。

まだファンダンゴの新人だったツルちゃんはランブルの九州ツアーに同行してくれた。

そしてあのライヴCD。

ランブルはメジャーから誘いがあって、俺の知らないところで話し合いが持たれていた(俺は興味なかったので関わらなかった)

のだが、

最終的に佐治は「ファンダンゴレーベル」からCDをリリースする、ということに決めた。

結果・・・・いいものが記録できた、と思っている。


しかしバンドとは難しいもので、

ファンダンゴレーベルからの第一弾アルバム

「RUMBLE FISH LIVE AT FANDANGO  1990・12・14」

がリリースされた直後、ランブルフィッシュは解散した。


解散のタイミングで、ファンダンゴには迷惑を掛けたと思う。ごめん。

でもそのことで何も言わないのは・・・・・優しいよな。どうもありがとう。



そして


ばるぼら。

ばるぼら でのファンダンゴの思い出も溢れるほどたくさんあるが・・・・・・。今はまだ振り返らずにおく。


そして、再結成ランブルフィッシュ。末期がんを抱えた佐治との最後のステージも

ファンダンゴだった。2007年6月3日だったよね。


あの頃と変わらずにファンダンゴが十三の、同じ場所にあって、ガンガンに営業し続けてて、

ツルちゃんがちゃんといて。

それだけですごい事だ。


ランブルフィッシュはもうないし佐治も逝ってしまった。

 ばるぼら も、もうない。

だが

アタシこと片山道郎は、今でもギターを弾いていて、バンドをやってる。新曲だって作ってる。

ライヴだってやってる。


2016年、4月30日 土曜日。

久し振りにファンダンゴに出演します。

「追憶のファンダンゴ」というタイトルで、

かつてファンダンゴを賑わせたバンドの連中を集めたイベント・・みたいだ。


俺は勿論、自身のバンド ROCA’66 のヴォーカル/ギターとして出演する。

ROCA’66はこの日だけ、「ベースレス」の3人編成だ。

すなわち、俺、ギターの赤井、ドラムスのトビー。



間に合わせのベースレスではない。

ガンガンに荒っぽく、それでいて繊細に演奏するベースレスだ。

俺の「新しい仲間」とのバンド、ROCA’66。



競演は、


「正垣祐樹」


「ローリングサンボ」


「桜川春子ASレミーマルタン」


「THE FAMILY TONE」



18時オープン、18:30スタート。


我々の出番は真ん中くらい・・・・だから、全バンド見て欲しいよ。








「追憶のファンダンゴ」っていいタイトルだ。

確かに・・・あの頃が懐かしくない、と言えば嘘になる。

だが我々は過去にのみ、生きているわけではない。

「今」は、「今」しかないから、全力で「今」を生きる。






それでいいのだ。






久し振りに、ファンダンゴで会おう。



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「愛」について

2016-04-26 21:13:42 | Weblog

小さな、ほんのささいな「出来事」の積み重ねが大きな「意味」を生む。

「小さく」見えるような事だって本当は全然小さくなんかなくて、

・・・・あの巨大な(はずの)月だって、小さく見える時があるように、

それは巨大な「意味」の前触れ、もしくは

氷山の一角がちらっと見えただけ・・・なのかも知れない。

そして

その本体は巨大な巨大な・・・・「愛」と呼ばれる心の動きだったかもしれない。

アイスランドのビョークが言ってたように我々は、

驚くほど豊潤な「愛」に囲まれて生きている。

迂闊に生きてると気付けないような「愛」は、そこらじゅうに、

まるで空気や水のように存在し、我々のことを待っているのだ・・・・・ってそんな気がする。


「愛」はもしかしたら一方通行なのかもしれないけど、それはそれでいいのかもしれない。

つまり、我々に出来るのはただ「愛すること」のみ。見返りは、望まない。

「愛」がもし、与える事のできるもの・・・ならば、与え続けることのみ。

だからもし、愛する対象が・・・たとえば「変わり果てて」しまったとしても、何ら変わることはない。

ただただ、愛し続けるだけ。

ああ、何と言うか、形而上的であり、狂信的でもある。

でも、もしかして「愛」の本質って「狂信的なもの」でさえ、あるかもしれない。


それにしても、愛。


「愛」という名で呼ばれるものの正体はもしかしたら、「反エントロピー」なのでは?と時々思う。


・・・・・・・・・・・愛し続ける事はすなわち、生き続けることであり、

それは強い「動機」にもなり得る。

頭が痛くなるくらいにまっすぐで、迷いのないもの・・・でありながら

ピースの入り混じってしまったパズルみたいに難解。

でも「君」について考えることは「愛」について考える事と同義なのだ。

・・・っていうことはそれは(少なくとも僕にとっては)正しいこと、だし

だからどうなんだ?なんて自分に問うこともない。


そういうものなのだ、

それでいいのだ。

・・・・・「それしかない」ってわけではないけどね。



幾千・・・いや、幾億・・・無限の選択肢の中のひとつとして「それ」はあったのだし、

「それら」はすべて等価であるから

僕は「君」を愛するのと同様に、

「世界」を、これからも愛し続けようと思うのだ。




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謝辞。

2016-04-24 10:25:07 | Weblog

昨夜は大阪の、十三というところにある、クラブ ウオーターというライヴハウスで

ライヴに出演させてもらってました。


モンキービジネス エクストラライト、

片山道郎ソロ、

あきらソロ

サヨナラナイフ

という出演者で、


ギターは全員がアコギ使用、という

なかなかのアコースティック・ナイトだったのでした。


さりげなく濃密な内容だった。


モンビジは、対バンになるのが初めてで、演奏を聴くのも初めてだったのだけれど

予想を裏切らないシックな歌世界で、アコギとウッドベースってやっぱ相性いいな。

初期のRCサクセションとかね、そんな編成だもの。

モンビジコーイチさんは「国語」に関連する仕事をされているだそうで、

おお!俺はブンガクの話するのが一番好きなんですよ。

本番前、立ち飲み屋で軽くお話出来たのだが、アーヴィングとかちゃんと読んでる人、久しぶりに会った。

楽しかったな。

そして2番手が俺。またあとでそのことは書きます。

3番手が、アキラファイヤー弾き語り。

貫禄と余裕の喋りと歌。この人は天然記念物指定するべきですな。

そしてサヨナラナイフ。タイチくんの声はやっぱすごい。

発声するだけで場の雰囲気変えちゃうもの。とんがってて、パンクだ。

バンドとして熟成しているのがよくわかる演奏。一音一音に説得力がある。

アイくんは、ベーシストとしても、やっぱ良い。


強力で、個性的な面々と競演させてもらって、身が引き締まる思い。


自分のステージは、わりと強いモチベーションを持って臨んだ。

見る人が見ればリハのときから、俺の毛穴という毛穴から「やる気」が

噴出しているのが見えたであろう(大げさな)。

前向きな気持ちで少し、過去へトリップしてみよう、と思ったのだ。

やるつもりで遠慮してたような「歌」を、やろう、と。



MCで喋ったことを含めて、書きます。


演ったのは


CANDY

DAISY

目の眩みそうな光が輝く夜(新曲)

真空管ベイビー(ばるぼら)

青の季節   (怒髪天)

宝物のうた (ランブルフィッシュ)

カナリア


という7曲。

「CANDY」、「DAISY」、は自作の歌。お気に入りなんだけど最近バンドでやってない曲。

そして、「過去トリップ」に行く前に最新曲を・・・と思い「目の眩みそうな光が輝く夜」をやった。これも自作。



「真空管ベイビー」は・・・友達がつくった歌、ではなく

友達と共作した歌だ。歌詞の多くは石原ボケロウが書いた。「ウオーアイニー」という北京語を入れたのも彼だ。

1998年に、北京ライヴから帰って来たくらいのタイミングで出来た曲だから。作曲はほとんどが俺だ。

この歌は、CD(「ばるぼら3rd「ファックファンクラブ」)に入ってるバンドヴァージョンも、

自分で弾き語り用にアレンジしたソロヴァージョンも両方、俺はお気に入りなのです。


「青の季節」は、怒髪天のアルバムに入ってる曲。

佐治のことを歌ってくれてる。作詞は増子兄ィ、作曲は怒髪天ギターの友康。

彼らの優しさが身に沁みる歌。・・・・・2007年に、ラジオで初めて聞いた。そのときに歌詞の内容でピンと来た。

タイトルを聞いて確信した。佐治のことを歌ってる、と。

増子兄ィ、ありがとう。初めて人前で演ったよ。


「宝物のうた」は、ランブルフィッシュのレパートリーの中でも重要だった曲で、

1990年・・・くらいに佐治がつくったものだ。作詞も、作曲も、佐治朝吉。

1988年に不慮の交通事故で高速道路で亡くなった、

同級生でランブルのオリジナルベーシスト、岩佐亘(イワサ・トオル)のことが歌われている。

壊れやすい宝石みたいに、俺はこの歌を扱うことを怖がっていた・・・かもしれないのだが

少しだけ勇気を出して、

やってみることにした。いろんなこと抜きにしたとしても純粋にいい歌だし、みんなに知ってほしい。

みんなに聴いて欲しい。友達が作った、亡き友達へのラブソング。

ああ、佐治も亡くなって、来年で10年なんだ。・・・・・昨日も言ったね。

この曲も・・・人前で歌ったのは、初めてだった。


バンド(ROCA’66)でも、扱うつもりだ。

昨日だけ・・・じゃないからね。いつか、聴きにおいでよ。


「真空管ベイビー」「青の季節」「宝物のうた」と続けて、

最後に、自作の歌の中でも「レクイエムの極北」と思っている「カナリア」を演ってステージを終えた。


来てくれた人に、ありがとうありがとうありがとう。

いくら感謝しても感謝しきれないくらいに感謝してます。

心を汲んでくれてありがとう。俺は、あなた達に救われながら生きています。

未来はきっと、我々の進む方向にあるのでしょう。

そんな風に思える夜でした。



本当にありがとうね。





さあ、来週はファンダンゴだ。

過去トリップはひとまず休止して、

現在進行形のROCA’66をやります。この日だけベースレスで。

それはそれで、とことんまで楽しんでやる・・・つもりなんだよ。



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悪いニュース、良いニュース

2016-04-23 07:55:50 | Weblog


悪いニュースが続く。



熊本大分大震災、長く長く余震が続き、悪夢のような状況の中、

ライフラインの復旧もまだまだで、被災者の方々の苦難は象像を絶する。



そんな状況で、原子力発電所がストップせずに稼動し続けていることの異常。

わが国の「まともさ」は、何処に行ったのか?


それどころか、この震災の裏で政府は、また唖然とするような法律を、参議院で認めさせている。

「国民発言禁止法」、とも呼ばれる「インターネット監視法」と「中小企業監視法」だ。

マスコミも、そのことをまったく報道しない。

現政権は常軌を逸している。





暗澹とした気分。





プリンス・ロジャー・ネルソンもインフルエンザで逝ってしまうし・・・・。



少しでも「良い方向」に行くことを考える。






良いニュースは・・・・・・・・・






「ニュース」ではないが、我々は次の選挙で、現政権を、政権の座から引き摺り下ろすことが出来る。

我々には「選挙権」というものがあるのだ、微々たるチカラだが。




「良いニュース」・・・・・あった、オバマ大統領の広島訪問が決定したようだ。よかった。

アメリカ国内では「反対」の声が根強かった。彼らは原爆投下の正当性について、

ほんの少しでも譲歩するつもりは、ないみたい。

でも、こういうことってお互いが少しずつでも譲歩していくべきだ。

だから、オバマよ、ヒロシマにウエルカム。ナガサキにも、行こうぜ。


そして、プリンスもボウイも、もういないが

「怒髪天」は健在である。増子兄ィと昨日、メールのやりとりをしていて発覚したのだが

本日、4月23日は彼の「誕生日」なのである。フィフティ・アニヴァーサリー。

増子直純、堂々の50歳。おめでとう。

1966年産まれは、生きていれば全員、今年で50歳になる。感慨深い。



そして今夜は大阪 十三 クラブ ウォーターでライヴがある。

出演は「サヨナラナイフ」、「あきらソロ」、「モンキービジネスエクストラライト」

そして「片山道郎ソロ」。

俺の出番は2番手。早めに来て下さい。怒髪天の曲を、ひとつ演る。大事な曲を。



悪いニュースに溢れている世界でそれでも我々は、

生きることを祝福し、

そのことで、そのチカラで世界を「良い方向に」、ほんの1ミリずつでも動かしていこう。

それしかない。




今夜、十三「クラブ ウォーター」で会おうぜ。



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「友達がつくった歌」

2016-04-20 14:55:35 | Weblog


友達がつくった歌の中でも


これは俺が歌ってみたい・・・・・っていう歌とか、

これは俺が歌うべきなんじゃないか?などと確信する歌がいくつかあって、

ぼんやりと いつか演ろう・・・・などと呑気に構えていたのだが

よく考えたら・・・というかどう考えても私の人生は、後半に突入して久しい。

(来年は佐治朝吉の十周忌である。)

呑気にしてると、「結局、演れませんでした」となる可能性がある。

だから、ほんの少しの勇気を出して 演ってみよう、と思う。


えーっと、「どの歌」と「どの歌」を演ってみるつもりなのか、は

演りおわってから言うよ。


とりあえず、2006年4月23日,土曜日のCLUB WATERでの道郎ソロライヴ(アコースティック弾き語り)で

やってみる。

それで、うまくいったら(うまくいく予定)、本体のバンド(ROCA'66)のほうに持ち込んで、

バンドのみんなと、大きな音で、演奏しよう。


「歌いたい歌」と「歌うべき歌」は、山ほどある。

表現衝動、というのが一体、何に根ざしていて、

何処からやって来るのか、俺にはわからない。

でも「それ」が今でも ちゃんと、「在る」ことは、とても有り難いことだ、と思っている。


もし「それ」がなければ・・・・・・きっと、寂しいだろう。



それで、そう、今週土曜日は久し振りの「ソロ」演るよ。

アコースティックギターでの「弾き語り」という古典的なスタイルだが、

それはそれ・・・・の良さがあるはず。


多分俺は、もともとは・・・人前に出るのは苦手なんだと思う。

でも、楽曲は多くの人に聴いて欲しい。

そんな矛盾を抱えてる自分に、今さらながら気付いたりするのだが、

こういうのは「業」と言うか「宿命」と言うか。

とか言いながらほとんどの場合、天にも昇る気持ちで楽しんでるから、

あのね・・・・・・何をか言わんや、である。

そういう複雑、と言えなくもない内面を抱えてステージに立つ私を

興味本位で、見に来て下さい。


4月23日の次は懐かしの、「本拠地」だったライヴハウス、FANDANGOに、

ROCA’66で、出演するよ。

4月30日土曜日。この日だけ我々は「ベースレス」のエレクトリック3人編成で、

ゴリゴリに、それでいて繊細にリリカルに演奏するので、ぜひ見に来て欲しい。




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無題

2016-04-16 23:16:52 | Weblog

マキさんが「夜が明けたら」という歌の中で

”人生は長いじゃない”って言ってるのを聞いて、

今日の俺は

そうだよな、人生って決して”長くない”よな・・・・と、矛盾したことを思ってしまう。







周知のこと・・・・ではあるが、

熊本で大地震があった。

大地震は大災害を引き起こした。













胸が痛む。ついつい、そのことから目を背けようとする自分が居る。いかん。


ありきたりなこと言うが、

巨大な自然のチカラというのは圧倒的だ。圧圧圧倒倒倒的的的。アリと象どころではない。

何人何人も何人も人が亡くなっている。

どんな形であれ・・・・・「愛するものを失う」ことは、人生最大の痛みだ。


それは、「誰の身にも起こる」こと、ではあるのだけれど

突然に、理不尽な出来事で失う、ということがどれだけ辛いか。


どんな風にしたって、自分を責めてしまうのだ。そういう人は多い。

そういう人たちは「いい人」なのだ。その善良さゆえに自分を責め、

へたすると自滅して行ってしまう。


もしも今、そういう状況に陥っている人がいたら、聞いてください。

・・・・・・・・・・・・・自分を責めなくていいのです。


アナタは、悪くないから。

何ひとつ、アナタのせいではない。



そして「過去」には、どう頑張っても、戻れません。

だから、過去のことを考えるのをやめましょう。


あのときああしていたら・・・・ってつい、考えてしまうけど、

できるだけ、考えないようにしましょう。難しいですが、

「考えないようにする」という努力をやってみる価値は、あります。


今は「永遠に続く」としか思えない「心の痛み」も、いつか・・・・・・・

消えない、にしても、麻痺していく部分もあります。

それが、良いことか、悪いことか・・・・・・俺にはわかりません。


ただ、「愛する人を失った」としても、それでも「人生」には、生きる価値があります。


「ない」ように見えるのは、それは錯覚です。


・・・・・・意味?・・意味までは、俺にもわかりません。。


このまま、わからないままで、いつか俺も死ぬのだと思います。


でも、それまでは「そのこと」を考え続けながら、少しでも濃密に生きようと思います。


俺の、心の中のいちばん痛かった部分は先日、ついに麻痺しました。


こんな日が来るなんてね。喜んでいいのか、悲しむべきなのか、それすら俺にはわかりません。


でも、人生は続きます。


あの頃とは、何もかもが変わってしまった気もするし、


何ひとつ変わってないような気もします。


どちらも真実なのであろう、と推察するのですが。



でも究極的には


我々の選択肢は、それしかないのです。



「生きる」という方しか。



生きましょう、明日も、あさっても。









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2016-04-15 20:27:21 | Weblog



おお、どやねんオマエ?


最近は、何とか・・・やっとるみたいやんけ。

細かいこと気にせんと、どんどん行ったらええぞ。

陰口言いたい奴には言わしとったらええねん。

あいつらホンマはオマエのこと羨ましいだけ やねんからな。


・・・俺か?

俺は、アカンわ。    いや、嘘やけど。

ははは、これからやるやんけ、見とけよ。

誰よりもな、でっかい、壮大なホラ吹いたるからな。

・・・・・ホラ吹いとったらアカンか(笑)?


でもなぁ、ロックなんてオマエ、それ自体が「壮大なホラ」みたいなモンやぞ。

俺は、そう思うわ。

ホラ吹いて、ホラ吹いて、ホラ吹いて、

最後にそれをクルッとひっくり返して「ホンマモン」にしたったらええねん。

違うか?


「どうせ」とか「しょせん」とか言うてるだけやったらな、オマエかってな、

「タニシ」のまま・・・やぞ。

いや、タニシはタニシで構へんねんけどな。

「アコヤ貝」にもし、なれるんやったら なったる・・・・・・って、俺は思ったんや。

なれるか、なれへんか・・・は俺しだいや。

あ?イデンシとかデーエヌエーとかはこの際、関係ないっちっゅうねん。

「根性」と「信念」のモンダイや。

オマエ、「それ」、持ってんねんやろ?

おお、俺かって、持ってるわ。

・・・・・・・・・・・・それだけの話や。


でも、そやな、

久し振りにオマエと話出来て嬉しかったな。


がんばれよ、

ほんで、また、

いつか会おうな。



ホンマやで。



ホナな。







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「気」、再び。

2016-04-14 21:39:01 | Weblog


「気が気じゃない」っていう日本語の言い回しはなかなか、

ウイットに富んでいて、俺は好き・・・・・・・・・・・・・・というか

それこそ「気に入って」いるのだけれど、


実際に自分が「気が気じゃない」っていうような事になるのはあまり、好きではない。


作家の野坂昭如は、黒メガネをかけていることについて、

「自身の小心と劣等感を払拭するため」と語ったことがあるそうだが、


私も、

黒メガネこそかけないが、

とびきりの「小心」を持て余している者の一人、ではあるのだ・・・・・自慢ではないが。


「気もそぞろ」とか言えば、浮かれた感じで良さそうだが、


「気が気じゃない」なんてね。「気」は飽くまで「気」であって欲しい。



それにしても思うのは


誰であれ、


「世界」という場所に対して、いつまでも「違和感」を持っているべきではないのかも知れない。


とは言え、「世界」という容れものの中の「異物」としてのワタクシ。



だからこそ、だからこそ。


「気合」入れて行かねば。




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雨降りの水曜日

2016-04-13 22:43:49 | Weblog


今日は少し疲れ気味の水曜日。

おまけに明日の降水確率は60%。

でもそんなの俺の知ったことではない、そんなの。


そういえば俺は昔、君が好きだった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一度好きになったら、そういうのって

そうそう変わるものではない、

裏切られたりさえ、しなければ。


裏切られたとしても、「それでも好き」だったりすると、それは哀しい。

そんな話は何処にだって、転がってはいるけれど。


俺と君みたいな話も、何処にでもある。

でも・・・・・・・・・・・・・・・・・本当にそうかな?

そうじゃないかもしれない。


シツレンするみたいにして失望して、俺たちは未だこれからも

出会ったり、再会したりを繰り返すだろう。


繰り返すことに、慣れたりはしない。

ただ少し、感覚が麻痺するだけだ、ほんの少し。




ところで最近は

誰もが誰かに対して「悪意」を持って生きてる気がするのだけれど、

そういうのって

「諸悪の根源」だからさ、


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・やめたほうがいいぜ。









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