コントラディクション

2009-09-30 10:08:12 | Weblog


千分の九百二十五の純度の天使、

ブロック塀の上で迷い続ける猫、

すべてのゴージャスな夜明けのためのウイスキー。

時間はある一点に集中して、また拡散する。

光の粒子ひとつぶひとつぶの行方を案じるのは、

変幻自在の宝石である君。

暗闇の向こうに何があるかってことについては、

もう考えることにすら飽き飽きしてしまった。

今や夜の領域は拡大し、

どこまで行ったところで何が変わる訳もない。

君に似た奴なんか、俺はまだ見たことがないんだ・・

でもそれは当然過ぎるほど当然だ。

だってブラック・ライダーのガソリンは

光り輝く天上の果実でしか作り得ないし、

僕等の骨ときたら

クローム・メッキされたタイタニウム合金製だ。

でもだからって言って

どんなことにも、何の意味もない。

あるのは壮大な偶然と、

膨大な時間の蓄積だけ。

俺はもう、何かに憧れることすら止めたんだ。

・・それでどうなることもないんだがね。



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ファッションの季節

2009-09-27 15:38:15 | Weblog
1987年くらいの話。

俺は大阪・アメリカ村の古着屋で働いていて、

ある日そこのオーナーが倉庫の奥で

ベルボトムのレザーパンツを発見した。


当時はリーバイス501を古着ではく、というのが

流行りはじめた頃で、

ブーツカットのジーンズやベルボトムジーンズや

パンタロン、要するにすその広がったズボンは

ものすごく古臭い、恥ずかしいもの・・という風潮だった。

俺もそう思っていた。


それで店でその発掘されたベルボトムを

試し履きして店員同士でギャハハと笑っているところに

佐治が遊びに来て

そのベルボトムを見て

「・・・アホか!オマエそれ、めっちゃカッコいいやんけ」と言った。



俺は自分が世間的な固定概念に縛られていたことに気付く。




そこから我々の「70年代ルック」の探求が

始まったのだ。


髪はとにかく伸ばし、身体にぴったりした古着のシャツ。

格安で売ってもらったそのレザー・ベルボトムか

神戸の高架下で苦労して探した

デッドストックのベルボトム・ジーンズ。

靴はウエスタン・ブーツ。

そして、パンクみたいな黒でなく、茶色の革ジャン。

フリンジのついたのもあったな。


今でこそ、また古びてしまったけど

1980年代~90年代初め頃には

その格好はすごく新鮮だった。

新鮮すぎて、よく道で他人に笑われた。

そんな格好の奴はどこにもいなかったから、

馬鹿みたいに目立った。

遠くからだが、よく指を指されていたのだ・・・

我々(佐治と俺)は。


70年代デッドストックの古着はカッコよかったし、安かった。

いいものは少なかったから、探す楽しみもあった。

佐治も俺も、当時は一人暮らしで

ロクなものを喰ってなかったから

体は本当にガリガリに痩せていて、

だからほとんどどんな服でも着ることが出来た。


今も楽しいんだけど、あの頃も楽しかったな。

我々の、ささやかながら華やかだった

「ファッションの季節」のこと。


時々、思い出してはシアワセになるのです。





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是空

2009-09-25 09:27:10 | Weblog


うその王さま

うその神さま

かりそめの人生

どう転んだってよくある話。





生きることは実は受動的だ。

何の自覚もなく我々は

驚くほどたくさんの物事を与えられる。

だからぼおっとしてると

どんなに奇跡的なことが起こっても

それに気付かずに通り過ぎたりする。

それで当たり前だと思えば

別にそれでいいんだけどさ。


いま・ここに在ることの貴重さを

認識することが出来るのがキセキ、

0.01秒ごとにあまりにも多くの物事が

失われていくのを知ることがキセキ、

誰もが気の遠くなるほどの年月を

流れて行く永遠の一部であるという驚異。




誰だってそうだけど、

いつ死んだっておかしくないのだ。





何もかもが消え失せて

そこにあるのはただ、永劫の「無」。



そんなことだって起こり得たのだ。



そうじゃなかったのはキセキだ。



もしかしたらそうなのかもしれないけど


そんな風にしか思えないんだよ。


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浅川マキが俺に「自分で歌うのはいいことよ」と言った

2009-09-22 22:44:26 | Weblog




昨夜、京都・祇園の「ピグノーズ」に

浅川マキさんのライヴを観に行った。

多少の予感はあったのだが、

想像以上の壮絶さと深さだった。

浅川マキは凄い。それ以上うまく言えない。





俺は昔・・・1990年頃

ランブルフィッシュとして

関西学院大学の学園祭で

浅川マキのバックバンド役を務めたことがある。

マキさんとスタジオ入りさえした。

その時のことをマキさんはちゃんと覚えていてくれて、

俺のことを「ランブルフィッシュ!」と呼んでくれる。

だから一応、関係者ではあるのだ。



終演後、主催者の方の厚意で

(Kさん、本当にありがとうございます。)

店でのリラックスした感じの”打ち上げ”みたいなのに

同席させてもらった。


すごく少人数だったし、俺も少し酒が廻ってきて

勇気が湧いてきて

マキさんの隣のスツールに座らせてもらって

いろんな事を聞いてみた。

「絶対音感」のこと、「鈴木いづみ」のこと、

「新宿(風月堂)」のこと、「ジャズ」のこと、

「それはスポットライトではない」のこと・・・・。

淡々と、例の口調で

いろんなことを教えてくれた。

夢のような時間だった。


佐治が一昨年、亡くなったことも伝えた。






「自分で歌うのはいいことよ」

「歌えるのなら歌いなさい」

と言ってくれた。






俺は浅川マキから計り知れないほどの影響を受けている。

彼女は、俺が憧れてやまない

60年代後半の東京の文化を体現したような女性なのだ。

壮絶なほどの美女。



昨夜は行って、本当に良かった。

一生忘れられない夜になったのだった。













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ロカ・ライヴ・近況・ほろほろ鳥

2009-09-20 14:56:18 | Weblog
俺のエレキギターヴォーカルと

カミグチシンヤの爆裂ドラム。

二人で「ロカ」というバンドをやっている。

初めて二人でスタジオ入りした時から

すごく楽しくて、

とてもいい感じなのです。


その「ロカ」のライヴ。


来月、10月8日 木曜日

大阪・梅田のハードレインにて。

トモダチの”きりひと”率いる

トリオバンド、「がらんどう」も出ます。

考えてみたら大阪で「ロカ」をやるのは

初めて。

ハードレインに出演するのは何年ぶりかな?

いろんなことに都合をつけて・・・・

来てね。


そして

10月17日 土曜日は

十三ファンダンゴにて

「ほろほろ鳥」のなんと20周年記念ワンマン。

それに、ゲストという形で

「ロカ」が出ます。

だいぶ短めのステージになる予定ですが

(出る時間も早めかも・・・・)

来て欲しいな。

「ほろほろ鳥」と俺とは

何だかんだで、もうけっこう長いつきあいになります。

あんなバンドといい感じの因縁みたいなのが続いてることは

俺のひそかな誇りでもある。

「ほろほろ鳥」、堂々の20周年。

お祝いをかねて、「ロカ」を

観に来てね(笑)。

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九月

2009-09-15 10:48:31 | Weblog


この季節においては

すべてのものが ただ 

衰退して行くように見える


熱は冷えて行き

速度は少しずつ失われ

集合していたものは拡散する

整然と分かれていたものたちは混じりあい

何ものにもそれらを

止めることは出来ない



でも

それこそが

”物事のあるべき姿”なので

それでよかったのかもしれなかった



いくら僕が”変わらずに”在りたくて

自分の中で時間を止めたつもりになっていても

そうは問屋が卸してはくれず

止めたはずの時間は

砂で出来た防波堤を少しずつ壊して

僕の体の中に染み込んでいくのだ

致死的な遅効性の毒素のように


致死的な遅効性の毒素・・・・・・。



そいつのもう一つの名前は

”どんなものでも解毒する地上最強の治癒薬”

という



・・・・・・・・やれやれ。
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アポリア

2009-09-11 08:18:22 | Weblog

それは「タイミングの問題」なのかも知れない。

    それか

「気持ちの問題」なのかも。

   でも

「要は結果」なのかもしれないし、

そんなの単に「運命」なのかも。


「実質的な問題」として考えたら

また別なのかも知れなくて

でも

「問題なんか何もない」とも言える。


「問題提起」するつもりなどさらさらないし、

俺のこと「疑問視」されるいわれもない。


結局 問題は、

「見る角度によってどうとでも変わる」

ということなのかも知れないよね。


「(巻末に)[答え]付きの問題集」ってのはしかし

マッチポンプの典型的な見本、と

言えなくもない。




「問題」など

ないに越したことは

ないのだ。






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反作用

2009-09-09 20:45:28 | Weblog




最果ての街で君は眠る、

いにしえの魂たちと一緒に。


物事はすべて「終わってしまった」のだろうか?

・・・・・そうとしか思えなかったり、

とてもそうとは思えなかったりするんだ。



僕の夢は何だったかって言うと

”僕自身が「再生」すること”だった。

それが叶ってからの夢は

”もう二度と落っこちたりしないこと”だった。


・・・・そんなのが夢ってちょと変かな。

でも切実ではあったんだぜ。



まっくら宇宙の中の、

キャンプファイヤーの最後の光。

それはもう

消えてしまったのかも知れないけど、

暖かさだけはまだ少し

残っている。



思ったんだけど

困難って、強風とか突風みたいなものじゃないのかな。


心がまえをして、

気合さえ入れていればそいつに

「乗る」ことが出来る。

吹き飛ばされたとしても、

その反動を利用してやればいい。


「反作用」が生むのは「作用」なのだ。



いずれにせよ、僕は少し

 弱気になっているみたいで、


君に話を聞いて欲しい

もしくは

君の話を聞いてみたい。



不可能かもしれないけど、

そんな気分なのだ。








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軋轢

2009-09-08 13:53:17 | Weblog





軋轢の耳障りな音が鳴る


面倒


面倒


面倒



タールの海にはまりこんでしまったヤゴ



水面は黒い

見上げる空も今はもう黒い




夕方は去ってしまった



燃えるような青は

始まった瞬間に

終わりが予告されている光




いまはその余韻さえ

重たすぎる黒に




染まってしまっているのだ


























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MEANING OF LIFE

2009-09-04 08:54:27 | Weblog


どんなことが起きたって、何も不思議じゃない。


そんなこと言い出したら俺は、

世界中で起きているすべての事象の

そのあまりにも・・の偶然に

圧倒されて目を回しちまうよ。



ところで俺は思うんだけど、

この世界はほぼ間違いなく

誰かが何らかの意図を持って

創り出したのに違いないぜ 。


我々は高度な体内機構を持った

「生体」で、

「生きる」ということと、「死ぬ」ということを

あらかじめプログラムされている。

気が遠くなるほど高密度の

”必然性のカタマリ”、それこそが我々なのだ。


何一つ、意味のないものなどない。

小さな小石ひとつ、雨の一滴一滴。

数億年にわたって1ミリの狂いもなく、

月は満ち欠けを繰り返して来た。

我々には理解の及ばない”力”。


重力とか、万有引力とか名前をつけたところで

どうしてそんなものが存在するのかは

誰にもわかりはしない。


何のために生きるのか、

本当のところは誰一人、知ってさえいないのだ。


考え出すとまた、途方に暮れたような気になっちまう。


だって我々は


すべての永遠の一部でさえあるんだぜ。



・・・・・冗談なんかじゃなく。





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