すべての事は曖昧なまま

2008-05-29 22:52:13 | Weblog
境界線、もしくはその近くにしか

俺の求めるものはないのかも知れなくて・・・



かっこいいものとダサいものの境界線

クールなものと恥ずかしいものの境界線

素っ頓狂な音と不快な不協和音の境界線

新しいものと古いもの、古いものと新しいもの の境界線

「危ない」感じと「痛い」感じ・・の境界線

強さと弱さの境界線

「男性性」と「女性性」の境界線

昼と夜との境界線(それは・・・「魔が刻」だ)

しらふと泥酔の境界線

「国」と「国」との境界線。





境界線。

そいつはまるで深い川みたいに

この世界のあちこちにあるもの。


その近くを探してくれたら、

俺がいるかも知れないよ。






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再見

2008-05-28 10:20:03 | Weblog




密度の濃い時間、

いろんな物事のエスカレート。

心と心の接近、

踏み続けられるアクセル。

「気分はグルーヴィ」、

どこまでも飽きないドライヴ。



そして、奇蹟。


気持ちを揺さぶられる出来事、

大雨、ピーカン、薄曇り。


心の深い所までダイヴ、

絶え間なく爆発を続ける情熱。

いろんな物事の沈静、

全ての安楽。


出会いと喪失のあいだに起こる全てのこと。


再会、

再会、

再会。



再見(ツァィチェン)。


また会おう。

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歓喜と感謝と悲しみと

2008-05-27 09:22:10 | Weblog

壮大な運命の一部になったような感じ。

俺を動かしているのは「必然」だ。

だって、「そうしたい」のだし・・・・

そうするしか、ないのだ。


「かけがえのないもの」の、その純度の高さよ。

本当に混じりっけのない「心」。

俺が全身全霊を傾けるに値するものが、

そこにはある。


まっすぐに光が「それ」を指し示す。

そして時間さえ越えて俺は友達の声を聞く。

それは控えめに言って「奇蹟」だ。


からまった糸の迷宮から、

こんがらがる寸前のカセットテープの山から。

目当てのものを手にして戻って来たんだ。


失われたものは失なわれてしまった・・・・が

俺達はこんな風にして

再会することが出来たんだ。


一方的に世界を祝福しよう。



心は

張り裂けた後に歓喜と感謝と悲しみでいっぱいになる。


君を思い出す。


君を思い出すからだよ、当然だろ?




でもまだ、続きがあるんだ・・・・・


楽しみにしといてくれていいよ。



またね。

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この2日間のこと

2008-05-26 09:53:31 | Weblog
昨日、おとといにあったこと。



24日の午後遅くに天理に向けて電車に乗った。

奈良駅の乗り換えで20分も待たされたので

合計2時間以上かかったのだが、車内で俺はずっと

手紙の返事を書いていた。その前の日に何と、

高校時代からの親友、清治からの手紙が届いていたのだ。

相変わらず読みにくい字(笑)でしかも難解な内容(笑)。

奴もまったく変わらない。苦笑いしつつ安心する。


佐治の家でネルサ嬢と、「幻の岩佐の曲」探し。


ひとまず終えて、居酒屋へ。


ネルサ嬢、兄上と姉上もご一緒してくれて、ヒジョーに有意義な時間。

チャーミングなひとたち。


夜中になって、外は土砂降りだったので

天理の知り合いのとこに泊めてもらう。


次の日は何と、妹や兄貴やそのコドモたちが

天理に来ることになったのデス。


妹は相変わらず(年々、飄々とした感じになりつつある・・・)。

兄貴は坊主頭に(はやってるのかしら?)。

コドモたちは成長著しい。


昔っからの「友達の妹」のクルマに載せてもらって

いろんな話をしながら・・

天理から京都へ。京都から大阪に帰ってきた。


もうヘトヘト・・・て気分だったのだが最後にひとふんばり。

スタジオCASBAに行って、テープ修繕。

「幻の岩佐の歌」と再会、感動。

CDに焼いてもらって、

帰って、連れ合いとゆっくりゆっくりサケ飲んで,寝た。


ヒッジョーに濃い、2日間デシタ。

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SAN-Q

2008-05-25 21:19:56 | Weblog
20年前に21歳で

不慮の事故で突然この世を去った、

俺達みんなが大好きだった、

大切な大切な大切な友達、岩佐とおる。

・・・岩佐が作詞作曲してしかも歌っている曲の、テープが

存在しているはずなのだ。


ランブルフィッシュになる前の「ネクスカ」で

レコーディングしたのだ。

俺はずっと気になっていた。

彼は「ネクスカ」でベーシストだったので

彼の「声」は残っていないのだ。

遺族の方々にあの曲を聴いて欲しい、と

ずっと思っていた。


佐治が遺した膨大なテープの中に、

あるはずなのだ。


岩佐の20周忌の今年、意地でも探そうと思っていた。


で、昨日。

細かいことは省くのだが・・・・

俺は延々と探した。

それで・・・・・


膨大なテープの中に、

岩佐の字でインデックスが書いてある、古いテープを見つけた。

本当に冗談じゃなくマジで。

「SAN-Q」って書いてあるんだ。



岩佐が俺に、「サンキュー」って言ったみたいな気がした。


でもテープが切れていて聴けなくて、

他は全部聴いたけど、あの曲は・・なかった。


でも佐治の昔の曲いっぱい聴いて

ムネが張り裂けそうだったけど楽しかった。

・・・・上手く言えないや。



その切れたテープを今日、大阪に持って帰って

いきつけの(笑)おなじみの音楽スタジオ、

CASBAに持っていって、ヨシノリさんのとこで

テープをつないで聴いたら・・・・・・・・

あった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


SAN-QのB面の一曲目はやっぱり

岩佐が作って、岩佐が歌ってる曲、

「夕暮れの影」だった。

俺も聴いたのは20年以上ぶりだ。

岩佐の声、言葉。



CASBAでそのまま、CDにしてもらった。

6月3日に、遺族の方にプレゼントする。

ネルサ嬢、本当にありがとう。




この達成感が伝わりマスカ?


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無題

2008-05-24 12:20:25 | Weblog
真夜中の通信網

後ろ手で閉めた最後のドア

大変貌を繰り返す世界。


プラティカル・ジョークみたいな日々、

どうがんばっても微笑ましくないエピソードの数々。

軋轢、軋轢、軋轢。


でも


すべての物事は回復に向かう。

これは希望的観測だけど・・・


誰だってきっと、間違いなくそうなんだけど

ギターみたいに

かなりのテンションを支えながら存在しているのだ。


そのテンション(オブセッションと言ってもいい)を

どうするか?ってのはそのひと次第で

どんな風にしたって自由だ。


野に放ってやってもいいし、

後生大事に抱えたまま生きていくのもいい。


・・・・まぁ、どうするか、ってのを

選びようがないってのも事実ではあるけどね。
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世界って何て

2008-05-23 10:35:38 | Weblog
裏通りでぎらりと光ったナイフ、モノクロームのフォトグラフ。

ほんとうに素敵なもの、

忘れかけてたころにワクワクさせてくれるもの。


そいつのタフな精神は

軟弱で軽薄な時代の中でも

スポイルされてしまうことなく

ひっそりと、だが確実に息づいている。


それは都市の通奏低音であり

錆びつくことのないクロームの銀色、

聴き取れるか取れないかくらいのビート。


特別な光をまとって

ざらざらした質感の世界に降臨する

ロックンロールの魔法。


スーパーナチュラルであると同時に

恐ろしく偏執的。

たった一言で世界なんか

蒸発するみたいに消えてしまう。


朽ち果てかけた都市に住む

誰からも忘れられかけたトリック・スター。

新しいものなんかなにもないし、

誰一人何も信じてすらいない。


ほんとうに素敵なもの、

「うわべだけのまやかし」ではないもの。

幻想がそのまま形になったようなもの、

終わることのない小説、

パーフェクト・ノン・フィクション。


作りものではない現実、

まるで作りもののような現実。



それにしても


世界って何てパラノイアックなんだろう。

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田んぼ

2008-05-22 00:10:00 | Weblog
俺は新宿で生まれて、

だから子供の頃の世界ってとにかく

ビル、コンクリート・アスファルト・路地・

またビル・コンクリート・アスファルト・・・

って感じだった。


で、小学校に上がってすぐ、くらいに

広島県に引っ越して

世界は

田んぼ・あぜ道・川・田んぼ・田んぼ・田んぼ・・・・

という風に変わった。

おれはまだほんの子供だったけど

唖然・・・・・・・・とした(そりゃそうだ)。



時々、言ってるけど、

天王寺に住むようになったのは

新宿に似ているよな気がしたからだ。

都会なんかどこでも似たり寄ったりなんだろうけど。

それでも。


俺は本当は

高校を出たら新宿に帰るつもりだったのだ。


でも、結局

大阪に来てよかったと思っている。

・・・本当によかったよ。


でも時々、田んぼのカエルの大合唱が

懐かしいような気になるのだ。



特に、こんな季節には・・ね。

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満月

2008-05-20 22:52:46 | Weblog

今夜は例によって例のごとくの、

満月。

ありがたいことに今日は

そのせいで振り回されたりしなかった。

一日中LOWだった。

暖かすぎる服を着て

ゆっくりゆっくり仕事した。

おかげで風邪がだいぶマシになった。


また風邪ひいてやがんの・・・・・。


もうすぐまた夏だけど、

俺はどっちかっていうと苦手だよ。

第一、クーラーが寒すぎる。

どこに行ったって・・・・まあいいや。


でも夏の「デリカシーのなさ」があってこそ、

秋の「思慮深さ」の有難みってものが

あるのかも知れないよな。


俺にははっきりした記憶もないし、

「人生の目的」もない(笑)。

ただ在るのは・・・・・・・

何だっけ?


考えてたんだけど、

どうも上手く言えそうにないデスよ。

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漱石・猫・胃・犬・遊び・猫

2008-05-18 23:44:05 | Weblog
今夜の月はおぼろ月。


夏目漱石の「吾輩は猫である」を読了した。

とても長くて、これといった筋のない小説だったので、

休み休み、うつらうつら・・・という感じで

時間をかけて読んだ。


「猫の独白」にどっぷり漬かっていたので何だか、

猫になってしまったかのごとく・・という気分である。

単純。


漱石は、50歳で

胃潰瘍が悪化して亡くなったそうなのだが、

「吾輩~」を書いて小説家デビューしたのが40歳。

ってことは、小説家・夏目漱石ってこの世に

たった10年しか存在しなかったのだ。

・・・・何だかなあ。


胃弱ってのもブンガク的かもね。

カート・コバーンもそうだったし、

俺もそうだからね。(胃潰瘍って程ではないが。)


・・・・で、犬の話。

前に何かで読んだのだけれど、

人間と犬には他の動物にはない、共通点があるそうで、

それは「大人になっても遊ぶこと」なのだそうだ。


そっか・・・・・・・・・・・・・・・・。

他の動物って、大人になると遊ばないのね。


しかし・・・遊ばないんだったら、何して過ごすんだろう?

野生動物や野良たちはそりゃ、

喰っていくことで必死かも知れないけどね。


人間以外の動物たちには、

はっきりとした記憶とか、人生の目的(笑)みたいなのは

ないらしくって、(ソンナノ、ワカリャシナイケドネ!)

目の前のことしか考えてないらしいんだけど、

それはそれで充実した人生だ、と思わなくもない。

・・・っていうか俺とあんまり、変わるところはない。


でも遊びのない人生なんて・・・・・・ねぇ?

楽しいのかしら。


オンガクもない、ギターもない、小説もない、

絵を描こうにもペンが持てない(笑)。


なんて事になると俺なんか困ってしまって、

寝てばかりの人生、ということになるのではないだろうか。


えっ?・・・・・

あ、だから猫は寝てばかりなのか?


そうなのか?猫?


コメント (4)
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