1970(昭和45)年3月の最後、地蔵橋周辺デス
先ずは26日、二軒屋を発車して徳島に向かう牟岐発522レ。早起きが大嫌いな私としてはここで朝日を浴びるハチロクは最初で最後だったかもしれません。
日付が逆ですが25日、二軒屋を出て園瀬川鉄橋に向かう牟岐行き521レ。この翌日の帰りを撮ったのが冒頭の写真デス。もうこの頃は蒸機がなくなるということと春休みということで毎日のように撮りに行ってます。
26日に地蔵橋駅に到着寸前の小松島から徳島への521レの回送。地蔵橋駅は私が通常撮りに行っていた佐古~小松島間では一番好きだった駅で、のどかな田園風景が魅力です。
30日ですが上の写真と同じ列車が進入中。前年に無粋なホームの屋根が設置されました。
そして徳島に向けて発車。ネガの日付は28~30日となっています。
しばらくすると徳島で機廻しして営業列車として再び地蔵橋に到着。左の交換列車は小松島発穴吹行き425レで既にDE10牽引です。奇数の列車番号を持つ列車同士が交換するというのもこの区間の特徴デス。
上と共に30日の撮影。地蔵橋を蒸機牽引列車が発車していくのもあと2日。58623としては下りの最終となったはずです。
地蔵橋を出て勝浦川鉄橋へ。機次位のオハ41が目立ちます。この客車については以前に園瀬川鉄橋のところで紹介済みですが連結位置は下り最前部と決まっていた様です。ということは翌日の上りは「フ」じゃないのに最後部だったのでしょうか、未確認です。
汽車はゆくゆく煙は残る・・・26日ですが上の写真から4枚連続撮影した最後のカット。