お詫びと訂正。
1月13日にアップした記事のレンズ関係部分で2カ所誤りがあったんで14日に訂正シマした。謹んでお詫びします。
これは大手カメラ・電気販売店B社のHPより。今はシグマの18-200を使っていて気に入ってますが、時々もうチョイ長いのがあったらなあと思うことがあります。広角側も標準以下で欲しいですが、さすがに望遠側が300となると無理。上を300にするとこいつが評判良かった。
こちらはY社のHPより。一見B社が安く見えますが、消費税の表示方の違いだけで同じ値段。ただ、ポイント付与はY社が高い。いや、それより通販専門のA社は5万円切ってましたが ←これは一つ前の旧型でⅡの値段はほとんど同じでした。広角側の70ミリは35ミリ版で50ミリ標準くらいですかね 準望遠の105ミリ相当?ペンタSPの時代に付けっぱなしでした。
などと考えていたんですが、年末に撮影中撮れなくなる事態が発生。1年前くらいからファインダーを覗いてるとカクッと視野が動く事がありました。今回のはシャッターボタンを半押ししてもAFが全く作動しない、と言うよりシャッターボタンが反応せずファインダー内は暈けたまま。電源入切で復旧しましたが、ここぞと言うところで撮れませんでした。60Dも2012年に購入して既に7年目になろうとしています。この間、コンクリートの上に2度も落ちしてるんでひょっとするとレンズどころでは無いかもしれません。
本文は未だ去年の続きです。
ぢつは(これは「くらまろ」様風)二日目は寝過ごしたんです。
アカンと分かってからはゆっくり支度して駅に着いたのは8時半前。発表された今春の改正では、この列車も朝夕の通勤特急1往復だけになって消滅しそうです。各停は増発されるらしいですが185は余剰?電車の185共々この春は異変がありそう。
朝日を浴びるニーロクと木造屋根。徳島線に残る185の運用をニーロクに置き換えると言う案はどうでしょうか?
左に停まってる平日限定の川島折返し列車で川島に。ここで後続の剣山に乗り換えて池田に向かいます。
で、池田から接続する南風3号でこの日も大歩危に来ました。
2018年も全く天気には恵まれませんでしたが、この日だけは別。何が良かったんか・・・
いやもう、天気さえ良ければ写真はこないキレイに撮れるんか!と改めて実感です。
お気に入りの池田方も一段と素晴らしい。
高知方はあんまり変わりませんが。
いや、それでも天気が良い方がやはり断然映えます。
遠くの風景もくっきりはっきり。
この列車は4234D。多度津行きも稀少ですが、大歩危で3番線に入るのも稀少です。
大歩危駅舎内に用意された案内書。いやホンマに外国人多いです。結構若い人も居るなぁと思うとだいたい外国の方です。
4234Dが三番線に入るのは、こいつが2番線に入って、一番線には南風7号が来るからです。以前は千年物語が3番線でした。やはり特急グリーン車と言う貫禄を出させたンでしょうかね。
この日は格好いい女性でした。
千年物語を追ってきた南風7号。今日も一両一般車が入ってます。
観光列車内とアンパンマンが並んでホームは大賑わい。
喧噪をよそにひっそりと発車。
三番線を発車して行くのは珍しいのでもう一枚。
南風14号を撮ってから、この日はバスで第2吉野川鉄橋へ移動しました。
バスが西宇に着くのが13:42,南風9号の通過は13:50でしたから結構焦ります。
天気が良すぎて午後の第2鉄橋は、いつも撮ってる下流側からではド逆光。天気がええんも善し悪しですね。
と言う事で、数年ぶりに上流側から撮ってみました。
おお、こりゃイイ!太陽の高度が低く横から当たるのが奏功してます。
ここでの本命の千年物語もここで撮る事にしました。
この辺から透けて見えるのもこの季節限定でしょう。夏場はほとんど見えないと思います。
車内の歓声が聞こえてきそうな。
ほとんど停まるくらいの超低速運転で何枚でも撮れる。
遊歩道はありますが、32号線は大型トラックがびゅんびゅん通るんで待ってる間は排ガスをたっぷり吸う羽目になります。
この中間車は、こうして見るとオシ16を彷彿とさせます。あっ、窓無し扉はマニ30にも見えるか・・・
皆さん上流側を見てますね。う~ん、背景の山が紅葉真っ盛りの時にまた撮りたい。
ここまで来れば南風11号もここで。トラス部分に三両編成がスッポリ収まります。
そのまま追い続けます。横から陽が当たってるんでステンレス車体が映える。
もっと流したほうがよかった。この一連の写真は125分の1秒。
その後はいつもと同じように歩いて小歩危駅へ。20分弱で到着。
大歩危は32号線が対岸でしたが、ここは同じ側にあるので窮屈。
南風18号。さっき大歩危で撮ったヤツがもう高知から折り返して来ました。
アンパンマンがバイバイと言ってる様です。これを撮ってから後続の4238Dで引き上げ。その夜、夜行フェリーで神戸へ渡ったのでした。