団塊世代MACCHAN(まっちゃん)の、<人生これから>だよ!

リタイア後16年、人生を日々面白がる楽しみを綴ります。健康と家族と友人を大切にする、年金生活爺さんの「残日録」です。

初秋の「遊び小屋」に10年ぶりの友と二人で過ごす

2018-09-15 | 団塊世代
先週能登の旅先に高校時代のクラスメートH君から突然電話があった。青春18切符で関西を旅するので、帰りに三ケ日「遊び小屋」に寄ってもいいかという。10年くらい前にもふらっと浜松に寄ってくれて、駅前で一杯やったことがあった。

半世紀以上前からの友だが、仲良く頻繁に付き合っていたわけではない。どちらかと言うとシャイで口数が少なくMacchanとは反対の性格だが、たまに会って付き合うと心が落ち着き振り返ると駄洒落なんか一回も飛ばさないで話している。

今回は能登の帰りにもう少し大町に滞在する予定だったが、18切符の有効期限ぎりぎりの今週初め日月に会おうと約束して「遊び小屋」最寄の天竜浜名湖鉄道「都筑駅」に迎えに行った。鉄道でやってくる友を迎える場合時々使う駅だが、半世紀前のローカル線の雰囲気を残した旅情があふれていていいなと思っている。

H君はガサツではない文筆家で、Macchanが現役時代半年だけ勤務したY社が経営していた沖縄小浜島のリゾートに、30年前取材のためにやってきたことがあった。クラス会にも滅多に顔を出さないが友の安否には敏感なのだろう、この時も10年ぶりくらいに電話があって取材して記事にしてもいいかと言ってきた。

「遊び小屋」指名の訪問希望は、ちょうど10年前に建築DIYを始めたころ浜松駅前で近況を語ったことを思い出してくれたのだろう。二人きりで飲み語る機会は外飲みが多かった現役時代には時々あったが、リタイア後は稀になった。今回はまだ少し暑かったが、囲炉裏端で自作の野菜や浜名湖と近海の海の幸で素朴にもてなすことにした。ゴーヤと茄子のチャンプルに始まって、浜名湖のアサリ酒蒸しとバイ貝の煮物、メヒカリも焼いて夜遅くまでチビチビ飲みながら語った。

翌朝は自作の薪風呂に入ってもらい、そぼ降る雨の中近郊をドライブして昨年大河ドラマの舞台になった井伊家菩提寺の龍潭寺を案内し浜松駅まで見送った。別れ際に思わず「10年に一回のペースだともう会えないかもしれないからクラス会にも時々顔を出しなよ」と言ってしまったが、H君には異なる人生価値観があるのかもしれないと別れてから気がついた。こういう友人がいてもいい。


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母の一周忌に3兄妹夫婦が集う

2018-06-18 | 団塊世代
先週末母の一周忌を行った。葬儀は母の子・孫・ひ孫まで30名余が集ったが、今回は3兄妹夫婦6名が奥浜名湖舘山寺温泉「開華亭」での大部屋合宿形式の集いだった。

妹2人はMacchanのそれぞれ大学高校時代からの親友と一緒になった。かみさんも含め集った6人は全員昭和22~25年の団塊世代、互いに知り合ってなんともう半世紀前後にもなる年代もの同士だ。それぞれの連れ合いの理解と多大な協力があって、父が他界する前から20年に亘って父母の介護を分担してきた「戦友」同志でもある。

大勢が集って賑やかに過ごすのが好きだった母には、遺影を傍らに置いて想い出を語り合いながら会食した。

2次会はそのまんま部屋に戻り、Macchanが30歳の頃シンガポールの取引先から土産で頂いたスコッチバレンタイン30年を開けた。40年間何度も引越し荷物と共に移動した古酒のラベルには、「互いに60歳になったらお祝いに飲もう」と3人のサインがあった。10年遅れたが揃って70歳(古希)になった親友同士は、同じ70年前に樽詰めされた美酒に酔った。

一夜が明け先週の岐阜旅行に続いて好天に恵まれた奥浜名湖を1時間余クルージングし、舘山寺周辺をぶらついたあと父母が眠る市営三方原墓地を訪れた。

葬儀こそ葬祭センター紹介の僧侶(おっさま)にお経をあげて頂いたが、92歳で大往生した母には本人だけが昔から暗誦できた「般若心経」をみなで墓前唱和した。

もう四半世紀もしないうちにお迎えがくるはずの団塊世代、今後の墓はどうなるかは誰もわからない。ご先祖が知ったら目を白黒するかもしれないが、まぁここまではこんなやりかたでよしとしてもらおうかい。




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町田・渋谷・国会議事堂前ぶらぶら歩き

2018-02-15 | 団塊世代

暦上の春はもう半月先まで来ているというのに、冬将軍はなかなか引退の気配がない。それでも陽光は日を追って明るさを増し、昨日今日は日中コートなしでも過ごせる時が出てきたのが嬉しい。

半月おいてまた首都圏をぶらついてきた。きっかけは大学時代のスキークラブ仲間との飲み会出席だったが、前日にハーゲンクラブ(3年前のトルコ旅行時に仲良くなったルックスそっくりのナイスガイの集い)のハゲタカとハゲブンと4ヶ月ぶりに飲む約束をして出かけた。

町田は5~60年前の姿を想像できないほど人口が増え、すごく賑やかで大きな街になった。小田急線とJRが交差していて出入り口を間違えると、もう自分がどこにいるのか判らなくなるほどだ。ハーゲンクラブの集いでよく利用するコスパ最高の飲み屋、「鳥貴族」なんかいつの間にか2店目が出来てたもんね。

一軒目はその鳥貴族をも上回るコスパだぞと地元のハゲタカが誇る?3時間飲み放題付き「にきゅっぱ」のすんごい店(飲み過ぎて店名が飛びましたぁ)。時間ぎりぎりまで飲み食いしっかりやって、二件目は毎回行ってる鳥貴でまた2時間痛飲。相模原のハゲブンを「無事帰り着くかな」と酔眼で見送り、泊めてもらうハゲタカんちの近くの焼き鳥屋でもう一杯。

毎回よくしてくれる奥方とんちゃんの心尽くしの朝食をしっかり頂き、ハゲブンの安否確認を兼ねた電話を入れてランチのアポもとる。夕食はまた飲み会なので蕎麦で軽く済まそうかと駅ビルへ、食堂街は同年代の爺婆たちであふれ平日にもかかわらず行列も。互いにうろ覚えの昨晩の記憶をたどって照れ隠し、迎えビールを飲みながら晩春予約の3組夫婦の桂林ツアー(これもにきゅっぱだぜ)などを打ち合わせ。

別れがたい気持ちを抑えて5月の再会を約し、Macchanは渋谷Bunkamuraへ。先日のクラス会で画家の息子さん蒲原元さんが個展を開いていると紹介があり、何十年ぶりの道玄坂近辺を散歩しがてら寄って見た。子供から大人までの女性をモチーフにし、絵で心理描写していそうなユニークな作品が多い。

続いて中学から高校にかけて通学で使った地下鉄銀座線に乗って、懐かしい赤坂見附へ。当時はまだ無かった永田町駅が隣接していて、延々と昇りが続くところをエスカレーターに乗らず歩いて歩いて前日からのアルコールを吹き飛ばす。

目的地は国会議事堂脇にある「憲政記念館」、太平洋戦争開戦前の軍部の政治介入と横暴を諌めた気骨の政治家斎藤隆夫さん資料を見たかった。改憲議論が具現化してきた今日とどこが同じでどこが違うのかという興味があった。この方のお孫さんも先日のクラス会に出席していて、最近は「斎藤隆夫を知ってもらう会代表」として偉業紹介をライフワークにしていることを知った。

そして最終目的地の東京駅八重洲口での飲み会会場へまたまた徒歩で向かう。中学のマラソン大会で走った皇居一周コースは冷たい夕暮れだったが、何人ものジョガーが次々に追い越して行った。

出席者の14名は名物の大餃子や焼きビーフンなどでビールや紹興酒を楽しみ、近況をワイガヤで語り合って今秋の奥浜名湖「遊び小屋」エキストラ会を約束してお開きになった。(Photo by Eichan)

旅の36時間は日本おとぎ話の浦島太郎もかくやと思うほど(あ、乙姫さまはいなかったか)、楽しく中味濃く長い時間に感じられた。一夜明けて鏡を覗き込んだが、古希の爺はそのまんまの爺だった。

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残雪だらけの首都圏ぶらぶら歩き

2018-01-28 | 団塊世代

記録的な大寒波が襲来してかれこれ一週間、寒さに震えあがりながらMacchanは今年初めての「首都圏ぶらぶら歩き」。

昨日は大学時代のクラス会、新年会のような時期に毎年欠かさず開催されほぼ定着したメンバーから10数名が参加することが多い。半世紀前の経済学部は女性比率が極端に低く、わがL組もわずか紅二点だったがクラス会ではみんな仲良くこの二人を囲むように話が弾む。

どんなクラス会でも名幹事の面倒見のよさが長続きの肝みたいなものだが、このクラス会でも永久?幹事N君の存在が大きい。クラスメートT君が自ら経営する老舗の高級寿司店の座敷を、定点会場として安く気前よく毎回提供してくれるのも大きな要素だ。

以前にも紹介したことがあるが、百十年4代に亘って暖簾を守り続けている大森海岸「松乃鮨」のHPもリスペクトとお礼をかねて貼り付けておきましょうね。

首都圏へは年に10回程度、泊りがけでJR東海道線の普通列車で往復することが多いが、この日はあまりの寒さと前泊で遊んでくれる親友たちの都合が悪く、Macchanとしては珍しく日帰り新幹線の旅となった。

日帰りの旅でもゆっくり朝食をとり、毎日のように結氷し霜柱も分厚くなる地面の感触も裏庭で楽しみながら写真を撮る余裕も。

快晴で雲ひとつない美しい全貌を現す富士山を愛でながら、「ひかり」でわずか1時間10分の新横浜に着いて横浜線に乗り換えて驚いた。大雪からすでに5日も経つというのに、家々の屋根の北側や川原や畑に残る雪はまだまだ20cmはある。

Tさんご夫婦に手作りのランチをご馳走になり、暖かいもてなしと勧められるまま飲んだ銘酒が身体を巡って、縮こまっていた寒さを暫し忘れる。京王線沿線も山手線沿線も海沿いの京浜急行線沿線もまだまだ雪が残っていた。

夕方から4時間に及ぶ贅沢なクラス会がお開きになって、品川駅から最終1本前の浜松停車「ひかり」に間に合った。昼から飲み食べ続けた宴会ダブルヘッダーにもめげず、温かい人々との心に沁みる交流を何度も反芻しながら乗り過ごすこともなく日が替わる前にわが家にたどり着くことができた。

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晩秋の冷たい雨「日比谷公園界隈」ぶらぶら歩き

2017-11-15 | 団塊世代

「秋らしくない異常気象の申し子」みたいな悪口いっぱいを背負って、秋は残り一ヶ月の霜月に入ってやっとらしくなってきたようだ。亡母の49日が明けてからの8月中旬以降、堰を切ったようにMacchanは毎週旅に出ている。行き先はそんなに多岐に亘っているわけではないが、交友関係が多い首都圏や信州が飛びぬけて多いような気がする。

昨日も日帰りながら冷たい雨がそぼ降る中、またまた東京都心へぶらぶら出かけた。青春18切符がシーズンオフなら、ジパング倶楽部があるぞなもし。往路は在来線で復路は新幹線という変則購入をすると、判で押したように「特急券は帰りだけでいいんですね?」と念を押されるのが面白い。一度だけ念を押されることなくまるで自販機で購入するように自動的に往復特急券が発券され、「片道だけでいいんだよ」と指摘した時の「てっちゃん」ぽい窓口の若い職員のうろたえ方を見てまるで意地悪爺さんのように含み笑いが出たことがあったな。

いずれにしても金はなくとも時間はたっぷりある爺は、退職後新幹線を使うのは年に数回程度。時間がかかる交通機関でも、景色&音楽&新聞・本&数独(ナンプレ)&乗客ウォッチング&居眠りを楽しみながら飽きることは全くない。

さて本題の「日比谷公園界隈」は親しい付き合いが続く都立H高校クラス会が、毎年欠かすことなく開催される東京都心。学び舎も都心にあったが、卒業後は地方に永住を決めたMacchanら数名が出席しやすいように毎年輪番の幹事は開催場所を考慮してくれてありがたい。今回も常連の仙台と浜松に加えて半世紀ぶりに金沢からも参加があって、この時ばかりは東京駅に集中する新幹線の効用を認めないわけにはいかなかったな。

同級生だからみんなアラ古希の70歳、在籍した52名のうち鬼籍に入った9名を除く43名の半分にあたる21名が、幹事K君馴染みの中日ビル内の会員クラブで延々3時間賑やかに楽しく笑い転げながら過ごした。クラスにわずか11名しかいなかった女性は物故者もなく、うち8名が参加した昨今の長寿社会を象徴する出席者構成。

こんなに仲良く毎年集いを開いて楽しんでいるクラスも珍しいよなと皆異口同音に誇らしげな気持ちになるが、他界した9名に献杯しながらも「さてあと何回元気な仲間同士で楽しめるかな」という思いが脳裏をよぎったのではないかな?

 

 

 

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「相模原・町田・三田」ぶらぶら歩き2017秋版

2017-10-15 | 団塊世代

先週の「浦安・葛西」ぶらぶら歩きに続いて一週間も空けず、またまた首都圏をぶらぶらしてきました。

メインの目的は学生時代ゼミでお世話になった先生の米寿を祝う「ゼミOB会」の参加なのですが、これだけの目的で日帰りするのもなんだなと思って、事前に仲のよいハーゲンクラブの2人に連絡をとって飲み会のアポをいれたら二つ返事でOK。

相模原・町田に住むFちゃんとTちゃんの2人は住処が近いこともあって、羨ましいことに時々飲み会をやっている模様が伝わってきます。今回は夏の終わりに三ケ日の「遊び小屋」で3組の夫婦で楽しんだばかりだったのですが、Fちゃんの「今度はうちに泊まってよ」という誘いに甘えることにしました。

在来線の旅で東海道線藤沢駅経由で小田急相模原駅に降り立つと、いたいた雨の中二人でそろってお出迎え。商店街を抜けてFちゃんの行きつけの呑み屋で、店で待ち合わせた奥方のMちゃんを入れて飲み会開始。数年前のトルコ旅行で知り合って以来泊りがけで何度も続けている懇親会なので、もう数十年来の親友と並ぶ気の置けないつきあいというんでしょうかね。

近況や互いの親の介護話に始まって、さまざまな話題に話が弾んであっという間に時間が進んでいきましたよ。Fちゃんちに戻ってからもまた飲んで、町田のTちゃんはノンアルで我慢のガンバリを続けたMちゃんの送り届けで散会。FちゃんMacchanも程なく沈没と相成りました。

翌日は宮ヶ瀬湖方面のドライブ&ウォーキングを計画してましたが、生憎の雨模様と前日の呑み過ぎで中止。朝昼食兼Macchanの古希誕生祝い膳に早替わりし、またまた余韻を楽しんで今回の旅の主目的は何だったかよく判らなくなりなりました。朋は本当にありがたいものですね。

本命のゼミOB会は、米寿の先生をお祝いする学生同士30学年の差がある集い。当日は60余名の教え子たちが集い学生同士の知り合いは精々前後1~2年数名ずつなのだが、姿勢がよく若々しい先生は相変わらず知的好奇心が旺盛で、教え子の各テーブルで歓談し合っておられる。互いに元気な間は18歳の年齢差は縮まることはないけど、先生を見習いせめて米寿までは元気に人生を楽しみたいものだと感じさせられましたよ。

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軽井沢・小諸ぶらぶら歩き

2017-09-10 | 団塊世代

週末3日間は期限が迫った青春18切符を握り締めて、富士&甲府&小淵沢&小諸経由中軽井沢へ。小諸~中軽井沢はしなの鉄道につき、別途¥400支払いがちと口惜しい。

大学時代のEスキークラブ仲間OSちゃんの別荘で、3学年に亘る熱い仲間6人の2泊3日の集い。

18切符はJR在来線経由に限られているので、早起きして8時間半の旅で16時着。参加した仲間のほとんどはまだ現役で活躍中、毎日ゴルフプレーをする者と周辺の温泉や名所旧跡巡りをする者に分かれる。

夜は2食とも近所の焼肉屋で飲み食い、別荘に戻ってからも飲み談笑が続く。Macchanと甲府在住のSSちゃん以外は東京在住。

何故か青春時代熱中したスキーの話題はまったく出ず、ゴルフと健康談義が中心でまだ親の介護が続く仲間や元気をなくし始めた不参加の仲間のことを気遣う。

15年前にゴルフをやめたMacchanはプレーの話題には入れず、仲間の遠縁にあたる小諸の造り酒屋訪問や中仙道・北国街道の素敵な宿場町の話題をゴルフ組みに披露する。

真夏のハイシーズンから外れたこともあるが、中軽井沢は旧軽井沢に比べてミーハー族の往来はほとんどなく小諸を中心にした名所旧跡は「時間が止まった」ほっとする空間。

風呂に入って戻ってくるゴルフ組みとは別に、近郊の名湯に毎夕繰り出しゆっくり手足を伸ばす。雨勝ちの天気予報があたらず、どこからも浅間山や八ヶ岳連峰が眺められ大満足。

帰途は接続が悪く11時間もかかったが、往きと同様景色&数独(ナンプレ)&ミュージックを楽しむ。はげたかちゃんにもらったChivas Regal12年のスキットルボトルをちびちび飲って自我自存時々無我の境地に。

ああなんとよい仲間に恵まれ、安くて上等の旅に浸りながら、あっという間に2泊3日の時は過ぎ「にわか浦島太郎」になってもうた。

 

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ハーゲンクラブは兄弟会か?

2017-09-02 | 団塊世代

ハーゲンクラブは年前のトルコ旅行の時に、ルックスと酒好きと話が合うので結成されたほぼ団塊世代の集い。毎年のように夫婦同士で旅行を楽しみ、おとっつぁん達はさらに首都圏でも示し合わせて飲み会を開くよ。

今回は奥浜名湖「遊び小屋」での2回目の集い、名物天然うなぎ「さくめ」の蒲焼ランチでスタート。うなぎの値上がりですっかりごぶさた気味だけど、大将が目の前で捌き焼いている姿を眺めながらビールを飲み飲み焼き上がりを待つのはやっぱいいよね。

それにしても毎度われらながら感心するのは、3人は血を分けていないのによくもまあそっくりで兄弟みたいだということ。

小屋に戻ってかんぽの宿の温泉でゆっくりだべる~の、スーパーに買出しに行く~の。持ち寄った酒酒酒、ビール&焼酎&ウィスキー&ワインそしてまたビール。これが延々7~8時間続くんだよな毎回。

テラスで体が冷えるまでわいがやを楽しみ、しまを囲炉裏端にかえて各種海の幸を「♪焼いて~焼いて~焼かれて~飲んで~」「♪飲んで~飲みつぶれて眠るまで~飲んで~」

歳のせいで寝てられないじっつぁま達に沸かしなおした小屋の薪風呂が大変なことに! 着火のための灯油ボイラーの調子が悪く、「熱いからどんどんうめながら入ってよ」の声にどぼんちょしたはげたかちゃんが、悲鳴を上げながら飛び出してきた。まったく沸いてなかったのだった。平身低頭のMacchan、許して~まぁこういうことも思い出だわな。おいらが言っちゃあおしめ~か、真冬じゃなくてよかったわい。

2~3時間のだべりんぐ朝食後は、やっぱり大河ドラマ直虎の本拠地「龍潭(りょうたん)寺」でしょ。ブームのお陰で去年までは単なる寂れた閑古鳥の名刹も、整備されて観光地らしくなったよ。

昼食はお疲れ気味の胃袋にやさしい、都田の豆腐屋のランチでいっぷく。メニューにアルコール類がないことが判明して、残念がるやらほっとするやら

おまけはこれも年々よくなる鍾乳洞「竜ヶ岩(りゅうがし)洞」見物。1981年から発掘開発した、地主戸田さんご夫婦の執念と努力の結晶。

こうして26時間余におよぶクラブ会合は、みんなちょっとお疲れ気味のだ~い満足。また来年の再会を約束して別れたのだった。

 

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母の49日納骨&父13回忌の集い

2017-08-10 | 団塊世代

全国各地で猛暑日が出現した昨日、「母の49日納骨&父13回忌」法事に団塊世代同士の兄妹3人の夫婦6名が集った。

12年前に亡くなった父が眠る市内三方原墓苑に、49日を迎えた母の納骨を行った。父は母を迎え、12年ぶりに夫婦は一緒になった。終戦の年に結婚した父母は、新しい世帯をもって3人の子供を育てて独立させ、7人の孫と15人の曾孫を授かった。

12年前86歳の誕生日を目前にして亡くなった父は墓をもたなかったので、晩年を過ごした浜松の公営墓地に母が墓を建て埋葬した。そしてその母も6月に92歳で亡くなり、また共に眠ることになったのだった。

戒名には共に関わり愛した書道に由来する文字を入れた。父は書道師範名の「湘風」母は硯の墨を溜める部分を意味する「硯海」、姓も松が生える海辺を意味するのでMacchanはとても気に入っている。

35度はあろうかと思われた炎天下、皆で協力して墓石を持ち上げ父母の骨壷を並べた。寺のおっさま(和尚様)の世話にならず、10年前まで唯ひとり母だけが諳んじていた「般若心経」を皆で読んで弔った。

6人は昼食に続いて夕食も共にして、在りし日の父母を偲び共に苦労した介護の日々を懐かしみながら想い出話は深夜まで尽きることはなかった。

 

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高校クラス会エキストラバージョンⅢ

2016-12-06 | 団塊世代
1947年(昭和22年)生まれのMacchanは、1966年に都立H高校を卒業した。今年は卒業50周年で記念学年会が行われたが、用事があって出かけられなかった。クラス変えが無かった2~3年次のクラス会は当事者でも驚くほど連携が深く、50数名の連絡先は常に輪番の幹事が把握し更新してくれていて、毎年秋には必ずクラス会が開催されて今日に至っている。

しかし残念ながら物故者は近年増えて9名に上り、古希を意識する年代としては多い方かもしれない。そういう状況だからかどうか、今秋東京駅前のKitte(旧中央郵便局)JPタワー内のレストランで開催されたクラス会も例年通り20人近くが参加し、クラス会開催半月後に開催した奥浜名湖「遊び小屋」での「クラス会エキストラバージョンⅢ」には前回には及ばないものの4名が集まった。

例年より間髪を入れず催したのには理由があった。最も仲良くしていた一人のAT君はボストンの大学の教鞭に立って数十年、節目で数ヶ月の休暇を取って帰省していたからだ。4年前には夫婦でボストンとニューイングランド地方を訪ね、大いに世話になった上に家族同士で旧交を温め直した。今回は更に常連のOM君や義弟になったIK君も加わって、先週末1泊2日でミニクラス会を開催したのだった。

前回に続いて交通が不便な「遊び小屋」には天竜奥浜名湖鉄道で参加する者、車で参加する者に分かれた。最寄の「都筑駅」には何回送迎しても、我々が育った昭和2~30年代の田舎の駅が醸し出す独特の雰囲気が溢れていてなかなかいい。4名が揃った夕方4時ごろには、今回も残念ながら参加できなかったKH君から代理で送られた奥多摩の銘酒が2本開けられ、仲間の物故者9名の献杯から宴が始まった。

参加者が土産を気遣うだろうと懸念して会費制を打ち出したが、やっぱり今回も家や旅の途中で求めた食材や名物が揃い、Macchanの用意した浜名湖や浜松近隣を意識したメニューと合わせて、なかなかのご馳走になった。

卒業50周年を意識して卒業年度1966年産の50年物の仏産ワインや、前回の残りをキーボトルしたバレンタイン30年とが合わさって喜びと感慨が相乗化され、この後囲炉裏端に場を移してから日付が変わった1時過ぎまでぐだぐだ飲んで食べて語り青春らしい失敗話に笑い転げる原動力になった。
今回は半世紀以上前、全校合唱祭でクラス全員で歌った「Green Fields」をOM君のギター伴奏で歌ってから幸せな眠りについた。

2日目の朝食は暖かい上天気に誘われ、小屋庭で2時間かけてまた昔話に興じた。異口同音に「来年もまたやろう」と固い握手を交わし、3人が帰京する前に撮った記念写真にはテラスに干された4人分の布団がご愛嬌に写っていた。



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半世紀ぶりの合宿

2016-10-10 | 団塊世代
週末からの三連休は天気予報がいまいちで心配したが、しゃべくり飲み食べ笑い転げながら過ごした2泊3日の合宿に影響するほどの悪天候ではなかった。今からちょうど半世紀前の大学生活は勉強も少しはやったが、それ以上に充実していたのはスキークラブ活動とそこで今でも親交が続く親友が何人もできたことだ。

この合宿には2学年に亘る6名の仲間が三ケ日「遊び小屋」に集った。東京や神奈川から車や好きな鉄道を乗り継いではるばるやってきたのが4名、残りは縁があって上の妹と結婚した義弟RちゃんとMacchanの浜松組み2名。

連日飲んで人生を語って、やっと雨が上がった2日目の午後には奥浜名湖でハゼつりもやった。釣果はもうひとつだったが海釣り道を極めているAちゃん(当ブログブックマークのTOTORO号)は、この数週間の釣果の江戸前アナゴやタチウオを加えて囲炉裏端てんぷらで見事なご馳走に仕立て上げてくれた。野菜類はMacchan農園のカボチャやサツマイモやサトイモなどが加わって彩をそえた。

スキー同好会の仲間は在学中は毎年2~30日の合宿を共にしたが、卒業後は東京駅裏の餃子屋で度々開催される集いで互いの無事と友情を確認してきた。2年前には4名が初めて小屋に集って久々の合宿をし、今回は新たな2名を加えて2回目を開催したのだった。

それにしてもアウトドア派の仲間はすこぶる元気で、趣味や人生体験に基づく話題や「こだわり能書き」が豊富、早寝早起きの爺習慣が身について旅先でも実行しているのも2名いたが、全員が寝静まったのは連日1時2時だった。「来年もまたやろう」と、既にアラ古希の6名は固い握手をし合って別れを惜しんだ。

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2日連続の爺連飲み会

2016-07-20 | 団塊世代
酒飲みキャリア半世紀になるMacchanは、現役のころは週に2~3回の飲み会は珍しいことではなかったが、リタイア後は月に1~2回と激減した。健康と経済面を考慮して、圧倒的に家飲みの晩酌が多くなった。

ところが昨夕は大学スキークラブの仲間と、今日はランチタイムに会社の仲間との飲み会がたまたま連続した。前者は冬から春にかけて年に2~30日は合宿して青春を謳歌した団塊世代仲間、後者は直接仕事を一緒にしたことは少ないがリタイア後に何故か集うようになった団塊世代と少し先輩の仲間。

団塊世代の仲間はほとんどリタイアしたか、会社経営を若手に引き継ぐために老体に?鞭打ってまだ仕事をしているのも少しいる。いずれにしてももう仕事の話はほとんど出ず、もっぱら残った人生を如何に楽しく生きるかに集約されることが多くなった。9年前からこちらに集中して楽しんでいるMacchanには、ますます同志が増えてうれしい限りだ。

東京に出るときはたいがい他の用事や飲み会をくっつけて1~3泊することが多いが、昨日は珍しく新幹線ひかりで東京を日帰りした。3年前からジパング会員になっている特典を利用し、往復でも1万円強でのぞみに抜かれない時間帯は1時間18分で到着できるので、とんぼ返りでも現役の時のようなせわしさ感がなく楽しめた。東京駅周辺でわずか4時間の滞在だったが、丸一日つきあったような充実感があった。ここの集いは安い中華料理屋で2時間半、2次会もショットバーなどで過ごして全て割り勘なのがよい。

日付が変わったころに帰宅して熟睡、いつものように7時前には起き出してゆっくりいつもの一日のスタートを切る。
そして前夜のアルコールが抜けたころ、昨年から始めたランチタイム飲み会に電車で向かう。平日なのでほとんどがサラリーマンか女子会のランチ客、ここは安くてボリュームのある海鮮定食が売り物。ビール2本飲んでも2千円で2時間楽しめるから、爺連にはこれからもランチ飲み会は外せませんよ。
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トルコ麦二世が順調に育つ

2016-03-11 | 団塊世代
一昨年7月末に10日余りのトルコツアーに出かけた。期待に勝るトルコ観光の素晴らしさに加えて、ツアーで仲良くなったハーゲン(禿げ)ルックスも感覚も似た4組の夫婦が仲良くなり、まだ2年も経っていないのに10年以上の付き合いをしているような錯覚をするほどの親友ができた。

その中の一人ハゲタカ(禿げたかちゃん)がこっそりポケットに入れ持ち帰った一握りの麦が蒔かれ、町田の自宅庭で昨年春収穫されたボウル一杯の麦がまた浜松のMacchan畑に昨秋蒔かれて晩冬の寒さにめげず青々と育っている。

年末年始にかけて2度麦踏をしてしっかり根付いたが、畑を借りている親切な大家さんの余計なお世話で除草剤をかけられ(雑草じゃねーぞ!)、畑境界沿いの半分は一旦は枯れたかに見えたが最近は復活してきている。まあ多分その部分は実がならないと思うけど、残りは極めて元気で特に白菜などのすくすく伸びた野菜の陰に育ったものは、北風を避けて暖かかったのか一段の成長を感じる。

バスツアーの昼食をとったレストラン付属のガソリンスタンドの片隅に積まれた収穫物ゆえ由来を聞くこともできず、昨年実った穂を図鑑で調べて一応「六条麦」という認識だが「人生を面白がる」ハーゲンクラブの仲間にとって多分名前なんかどうでもいい。今年の初夏少しまとまって収穫できたら、「遊び小屋」で麦ご飯にしてMacchan畑の3年ものの山芋をかけて「とろろご飯」パーティーを開く約束が出来ている。魚屋店頭のまぐろの切り落としが加わると、上等な「山かけ」になるはずなので更に楽しみだわい。
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四半世紀ぶりのレコードプレーヤー(使用感想)

2016-03-03 | 団塊世代
オーディオは他のマニアックな世界と同様、凝っている人は数百万円いや一千万円以上投資している人が知り合いにもいる。Macchanは足元にも遠く及ばないが、半世紀前にはバイトで貯めた金で3~5万円の単品を毎年こつこつ購入し、気に入ったコンポを仕立てた。プレーヤーにも基本ターンテーブルプラスMCカートリッジ合計で、やっぱり4万円以上かかったと思うが大切に使い満足していた。確か換え針だけでも2~3千円したような記憶がある。

ということで四半世紀ぶりに購入した約1万円のレコードプレーヤーは、カートリッジ付きの手動昇降アームにミニスピーカーが埋め込まれUSBに録音ができる機能があるのでかなり安い。このところ多くなったネット購入では、価格性能比較はもちろん購入者の評価もチェックする。

今回購入したION社製のプレーヤーは、一つ☆の「おもちゃみたい」から五つ☆の「いい音で満足です」まで幅広かった。さてMacchanの評価はどうか? 現物到着後30~60年間大切にしていた手持ち100枚位のLP在庫から、「新世界」を始め八代亜紀・太田裕美・ハイファイセット・なぎらけんいちまで色々聴いてみた。

LP盤を取り出すと埃だらけのものや黴が生えているものもあったが、湿らせた布で丁寧にぬぐい水分を飛ばしてから慎重に針を落とした。いい音も聴くに耐えないものもあったが、いずれも青春時代の懐かしい音で満ちていた。

ION社のMaxLPは、想い出が詰まったLPジャケットを捨てられずに数十年アーカイブとして持っていた人が、当時の懐かしさを振り返るのにはとてもよい買い物。今時の安くてもいい音がするCDやMP3プレーヤーと、音質で単純比較するものではないように思う。

上記のアルバムも大半は復刻のCDがあり、YouTubeでもそこそこいい音で楽しむことができるだろう。しかしLPの良さは染みが目立ちかび臭いジャケットが、数十年前の懐かしい風景とどんな思いで聞いていたかの記憶が瞬時に蘇り徐々に快感に変化していくことにある。レコード傷を拾うカツカツ音もスピーカーの割れた音も、どれもが自分の人生そのものだ。

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四半世紀ぶりのレコードプレーヤー

2016-03-01 | 団塊世代
音楽好きの両親のお陰で、Macchanの家には物心ついた時から各種の音源や楽器があった。普通の勤め人で子供を三人育てていたから家計は食べさせるだけで精一杯だったと思うが、父は自分のコートを買わずに電蓄(電気蓄音機)を提げて帰って来て母に小言を言われていた。

昭和30年代前半のステレオ装置は、AMラジオで左が文化放送右が日本放送で試験電波を受信した。メトロノームのカチカチ音が左右から交互に流れ、小学校低学年だったMacchanは目を見張り緊張して耳を傾けた。父が最初に買ってきたLPのステレオ盤はドボルザークの「新世界」、フリッツライナー指揮シカゴ交響楽団の演奏。1枚2千円の定価表示があったので、当時父の小遣いでは年に2~3枚買うのがやっとだったに違いない。

従って同じレコードを繰り返し数百回は聴いたので、AB面計45分の全曲を暗記して指揮者の真似事をして遊んでいた。手回し蓄音機しか無かった時代からわずか70年で、音源は目覚しく進化した。SP盤からLP盤、オープンリールからカセットテープ、そしてCDやMDを経てMP3へ。誰もが気軽に安く音楽を楽しむことができる、平和で豊かな時代の象徴でもある。

しかし10年毎くらいに新方式が登場し、音源ソフトもまた大変化した。互換性はないし再生装置そのものの生産を止めてしまったりで、各種ソフトは捨てられ思い出多くとって置きにしても邪魔物扱いにされた。

そして今やデジタル全盛時代、そんな中でアナログ再生機器の良さがまた少し見直されてきている。その一つがレコードプレーヤー、カートリッジ付きでUSB録音が可能なものが何と1万円くらいでネット販売されている。百万円単位で高級機器に投資するマニアは「あれはおもちゃだ」と見向きもしないらしいが、Macchanは懐かしい音源が息を吹き返せばいい。

そしてネットでまずまずの評価を得ている、IONという中国メーカーの製品を購入した。5~60年前と同じようにレコード盤表面をきれいに拭き清め、どきどきわくわくしながら息を詰めて針を置く。最初に選んだ盤はもちろん当時のとって置きの「新世界」、懐かしいいい音が響き当時のステレオ装置が置かれた床の間の様子が目に浮かぶ。指揮者の真似をすることもなく、身体をこわばらせたまま20分余りの片面を聴き終えた。
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