真夏の方程式/西谷弘監督
ミステリ作品だから謎解きのための殺人が起こらなくてはならない。そうして、なぜ殺されなくてはならなかったのかということにおいても、一定の説得力が必要という気がする。一番に思うことは、要するにそのことに対しての理由が決定的に弱い気がするということかもしれない。もちろん、誰かを守るという強い意志があるというのは分からないではない。そうまでして守らなければならないのは、やはりその人には意識的には罪が軽く、そうしていい人でなければならない。条件としてそれは伝わるが、しかし衝動的に殺してしまうほどのことをやり遂げられたことの方が、実に不思議だ。自分がやらなければやられていたというような状況ならば、よかったんじゃなかろうか。さらに第二の殺人において、殺された人が善意の人であるというのも痛い感じだ。もちろん、彼にもミスがあって、捜査上もう少し突っ込んで状況を調べ上げることが出来たら、いわゆる(本人が望んでいるにせよ)冤罪は防ぐことはできたかもしれない。ただ、それだけで殺されたのは、少し割に合わない感じで、更にこれはトリックとして殺人事件にするよりも、やはり事故としてそのまま届けてもよかったようにも感じる。もちろんその時点である程度トリックが見破られたかもしれないにせよ、余分に殺人を隠す動作が理解しがたい。結局つかまっても良いという意識があるのだから、それが大切な人を守るという意識なのだから、目的としてはそのほうがより説得力のあるストレートさを感じる。
僕は個人的には、罪を犯したからその人がまっとうに罪を償うべきだ、ということを言いたい訳ではない。時にはこのような話のように、逃れても良いのかもしれない。僕は警察官ではないし、復讐としての罰が見ず知らずの人にかぶせられることに、多少の無頓着さはある。しかしながら物語としての説得力では、このようなケースで逃れることは、必ずしも美しい話ではなかろう。気の毒な面もないわけではないが、それは単に無垢なだけのことで、殺された女や刑事が、実際にはそれほどに悪人だとは、やはり思えない。むしろ事故にあったように、本人は殺されるという一縷の予感もなしに殺されてしまったように思える。しかし殺人はやはり事故ではない。仕方なかった理由というのは、だからやはり大きいのである。