カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今いる子供に向き合うということ

2015-05-09 | 時事

 熊本の赤ちゃんポストのその後というのをテレビで見た。8年間で100人を超えているらしい。
 テレビだから仕方のないことかもしれないが、捨てられたその後の子供の感情をクローズアップしすぎるきらいがあるようにも思った。なぜ捨てられたのか理由がわからないし、本当の親を知らない悲しさや、まだ迎えに来るのではないかということで、一緒に捨てられた時の靴などの備品を捨てられない様などがあった。痛ましい限りだが、ある意味で当然だろうし、その子にどう寄り添うかは大変に重要な問題だ。子育てが個人の問題から離れた後に社会で何をすべきかは、多くの人で考えるべき課題だろう。
 さて、そういうことのほかに、やはり気になる問題はある。一つは一時置いて引き取りに来る親が当然あって、その後の姿があまりわからない場合があること。あとは知らんということは言えないにしろ、これは少し追跡する必要がありそうに思う。それというのも、その後に事件なったケースが実際にあることだ。引き取り後、やはり生活苦に耐えられず、無理心中をしたということもあったというのだ。子供を捨てるに至る最大の理由は、恐らく経済的な負担と孤立だろうと思われる。良心にさいなまれ無理に引き取ると、諸問題が解決しないまま、さらに窮地に陥る場合がありそうだ。結局痛ましさの究極の愚かな選択をしてしまわざるを得なくなってしまったのだろう。
 もう一つは里親問題だ。捨てられた子供は、多くはその後は療育施設へ送られる。まれに里親に託されたり、さらにまれに養子に迎えられたりする子もいる。新しい環境に移らざるを得ないのは仕方のないことだが、やはり子供を迎えるにあたっては、真剣にその子を育てる決意のある家庭も多いことと思われる。里親になっているところでは、すでに自分らの子供が居ながら、きょうだい同然に迎えているという姿も映しだされていた。
 そこで最大の問題になるのは、親権の問題なのだ。捨てた親が親権を放棄しないことには、養子にできないのである。これは法律の問題である。ちなみに赤ちゃんポストの設置の多いといわれるドイツでは、子供をポストに入れた後8週間以上引き取り申し出がなかった場合に、親権を放棄したものとみなされ、速やかに養子などが可能になるそうだ。そうしてやはり速やかに新たな家庭へ送り出される。さらに成人になるまで継続して調査をするということだった。
 期間や調査方法などには議論の余地はあるにせよ、日本の場合も法的にはこのような仕組みを見直すことは必至ではあるまいか。大切なのは、捨てられた子供のその後の筈だ。もちろん捨てられないような親の問題へのアプローチも必要には違いないが、対処的なことに過ぎないかもしれないが、現実をどうするかというのは、もっとも重要だ。問題点が明確な以上、これを放置するのはたんなる怠慢だろう。
 子供が捨てられる現実は、痛ましく悲しいことだが、結局は皆ひとごとで、そうして関係ない人に責任などない。しかしそれで済んでいいことではない。速やかに今いる子供に向き合うのは、新たな社会的な責任だといえるのではないだろうか。
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