カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

単にリンガーちゃんぽんを食っただけのことだが

2015-05-27 | 

 先日それなりに久しぶりにリンガーちゃんぽんを食べた。麺だが野菜がたくさんでその上にドレッシングをかけて食べる流儀らしい。前もそうやって食ったかもしれないが、少し抵抗はあるが、まあそれなりにおいしくいただいた。そうして何だか麺が変わっていることには気づいたが、まあ、会社の方針なんだろうから特にこれと言って意見は無い。ちょっとダマっぽかったけど、それは全自動化の過程でそういうこともあるということだろう。
 さて、それはそれでいいんだけど、以前にやはりFBの方でちゃんぽん学会というグループに入っていたんだが、昼時に大量にちゃんぽん画像がアップされていて、それ自体は大変に楽しいのだが、ダイエット的には苦しいので、あえて脱退した。そのちゃんぽん学会においてやはりちょっと以前のことだが、リンガーハットの画像が上がると、これはちゃんぽんなのか議論、というのが時折あがった。これは長崎県人にとってはそれなりに身近な話題で、要するに長崎県のちゃんぽんとは、これが少し出自や形態が違うためである。由緒が正しくないといけない食べ物ではないから、どうでもいいといえばどうでもいい話だが、長崎ちゃんぽん好きにはどうでもよくない話なんだな、ということである。で、そうなると食べ物ことだから、なんとなく後味悪く荒れる。丸亀製麺が本道の讃岐うどんなのか疑惑があるが、そうなると確かにリンガーは違うということになるが、しかし発祥は長崎からであるので紛らわしくはある。それで全国区であるので、これが長崎ちゃんぽんの入り口としての役割になっている。だからまあ、そういうことなんですでにゆるぎない支持があり、長崎県人がいくら声を大にしようと、もう勝負あって長崎ちゃんぽんの王道なのである。それに長崎県人と言っても、これで育った世代がすでに成人していたりして、さらにそれを他県の人に抵抗なく勧めることができるようになった。いわばこれは歴史である。
 そういうことは確か以前にも書いたが、しかし時折東京などに移り住んだ長崎県出身者などが、懐かしくなってリンガーちゃんぽんを食べるというのがあって、かなり複雑な気分になることはある。これがたとえば佐賀の井出ちゃんぽんであるなどすると、それは結構素直にそれでいいと思うわけで、要するに「長崎」の文字がいかんのかもしれない。佐世保の人なら長崎の文字が無い方が快い場合もあろうし、ちょっと長崎は複雑だ。要するに長崎県人の分裂である。
 さらに関係ないが、わが町においてもそれなりに古い龍踊りが残っているが、それは恐らく歴史的に中国人居留者が長崎市内以外にもいた事実があることなどが考えられるが、しかしこれがやはり長崎市内の龍踊りと少し違う。これは長崎市内の人からは時々非難めいたことを言われたりするが、仕方がないじゃないかという気はする。
 これまただから、長崎ちゃんぽんの広域化というのは、そのような問題をいくつもはらむことを意味する。すでに取り返しはつかないから生きている人間では複雑な気分になるわけだが、それもいつかは風化するだろう。でもまあ正直に言うと、リンガーちゃんぽんはそれでもちゃんと旨いから支持者があるわけで、それを陥れるような議論にならないよう自制は必要であろう。
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