ミュージシャンやアイドル歌手に至るまで、最近は普通にアーティストと表現される場合が定着しているように見える。僕のような世代に抵抗感があるのは、それは以前はアーティストと言っていなかったにすぎないからだと思うが、さらにやはり芸術家という翻訳語があるせいと思われる。ちなみにこれが広がったのは、やはり音楽関係者が使い出したことと、翻訳文化として、特に米国では音楽関係もアーティストというらしいことがあるように思う。もちろん芸術家もアーティストだけど、日本のように厳密に芸術家という高みにない場合でも、創造的な感じと音楽を特に分け隔てしてない感覚があるようだ。たぶん、日本の芸術家より軽く使われ、尊敬の場合もあるが、一般的な人でもアーティスト的な感覚というのは普通にあってもいいような日常性があるように思われる。日本と重さの違いはかなりありそうだ。
ところで亡くなった大瀧詠一は、アーティストといわれるのを嫌ったといわれる。自分はアーティストではないと公言していたそうだ。音楽を作る職人のような感覚があったようで、人前で歌うのは嫌ったが、CMソングやドラマへの曲の提供や、他の人への作品作りなどは喜んで引き受けた。印象から言ってこのような人であれば僕らは素直にアーティストでいいんではないかという感覚はあるが、しかし本人はそれが嫌だという。おもしろいもんだと思う。
だからやはりアイドル歌手は違うんじゃないかと思ったりするわけだが、近ごろはご本人がアーティストを名乗るともいわれる。若い人には定着していて、さらに抵抗がなく、語源的にも必ずしも間違いではないのだけれど、やはり僕らは違うんではないかと感じてしまう。これは少し困ったことかもしれない。
音楽家が芸術家でないとは言えない。しかし芸術家であって欲しくない場合もある。できれば使い分けてほしい。それが日本語的な語感なのではあるまいか。