カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今年十数回目の…

2015-05-22 | 掲示板

 また風邪をこじらせた。天気もいいし、気温も高くなって、世間はクールビズだからネクタイしなくてもいいのかもしれないけど、なんとなくまだ立場上ネクタイしめて会議なんかに出席している身として、大変につらい。また、いつものように鼻水とくしゃみが大変なことになっている状態なんで、近くにいる人には警戒されるし、またそれなりに同情される。熱があるのかはあんまりわからない(気温が高いので多少その影響がある程度の熱だ)のだけれど、具合の方はちゃんと悪いし、鼻水対策として薬は飲んでいて、移動の車の運転も危険だ。薬を飲んで30分くらい経過すると、多少は効いていると実感はあるけれど、少しボーっとしてしまう。気を紛らわそうと思って空想世界に入るが、これもあんまりうまくいかない。薬が無いともっとつらいはずだが、なんとなく薬の所為でつらいという気分にもなる。早く時間が経過して、役割が終わらないかということが気になって、しかしそういうことを考えている自分もつらい。いつかは病気は治るはずだという思いがあって、そうして元気になった自分を夢想し、慰める。しかし実際にはつらいから、たいして慰めになったりはしない。
 ただ、薬を飲んでいて一つだけいいことはあって、ふだんは胃腸の調子が悪いのだけれど、これが少し改善する。恐らく抗生物質が腸内の細菌を殺すので、善玉菌まで死ぬのは困るにせよ、腸内の状況が好転するのだろうと考えられる。通勤などの移動に際して、一定の不安を抱えている身としては、この心配が減るというのは大変に助かる。でもまあ具合のいい方がいいといえばいいので、早く良くなって普通に空想世界を遊べるようになることを祈ってはいるのだけれど…。
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別腹をつくりたくない

2015-05-22 | 

 「甘いものは別腹」という表現はある。比喩として語られていることではあるにせよ、事実としてもそうであるらしいという。いや牛ではないので実際に胃が別にあるということではない。人間は、食べたいという思いが強くなると、脳の指令でまだ胃に食べ物が残っているにもかかわらず、無理に腸に送り出して新たなスペースができるのだという。実証もされているようで、何かの映像でもそんなようなことを見た覚えもある。
 以前大食い大会がテレビで流行っていたころに、大食いの人の胃の映像をレントゲンか何かで見るというのがあった。大食いの人たちは、食べ物をほとんど消化することなく、胃からどんどん腸の方へ食べ物が流れていく様子が見て取れた。この映像を一緒に見ていた医者が、これはちょっと考えられない現象だと驚いて頭を抱えていた。そういうありえないことが現実として起こるような、食べたいという猛烈な意思、というのがあるのかもしれない。
 そういうことを考えると、好きな食べ物は食べすぎるようにできているということになるわけで、ダイエットにおいては、まずは好きなものを目にしない設定が必要になるのかもしれない。さらにもっと食べたいという思いを、どうにかして制御できるようになると、お腹も減らなくなる可能性があるかもしれない。しかしながらそんなことは、そもそも可能なのかということでもあり、考えるだけ無駄な努力かもしれない。ある程度食べたら席から離れるというということにすると、そもそもデザートの別腹なんて現象は起こらないのかもしれない。そういう断念するタイミングというのはそれなりに難しそうだが。
 もっとも、我慢をするという行動は、精神力を疲労させることも知られている。集中力を奪い、決断力を甘くする。我慢ばかりしていると、目的達成へのモチベーションが下がってしまうのだ。要するに適当なところで、ダイエットなんてやめてしまえ、となる恐れがある。
 人間の欲求とは恐ろしい。自分自身から逃れられないように、自分の欲求からも、安易には逃れられない。別腹を食べ物以外で埋められるようになったら、どんなにいいだろうか。
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