恋しくて/村上春樹(監訳)(中央公論新社)
ニューヨーカー誌に掲載された現代的なラブ・ストーリーを、村上春樹が訳して編纂したもの。このようなアンソロジーを組んで日本に紹介することで、日本にもまったく無いことではないが、少し日本の風土とは違った味わいを楽しんでもらおうということかもしれない。それに著者の村上も書いているが、やはり本人が読んで、それなりに感心してしまったということでもあるんだろう。さらに一編村上の描き下ろし作品もある。僕としては当然その一編さ読めればよかっただけのことなんだけれど、まあ、ついでと言ってはなんだが、結局ぽつぽつ読んでしまった。
世の中には男女しかいないという言い回しもあって、しかしちょっと面倒なことに厳密にはそれだけのことでは語られない事実はあるにせよ、まあ、人は恐らくタイミングが合うと恋をしてしまう。生物学的に言ってそれは、確かに本能的な宿命であろうけれど、人間というのは複雑な生き物であって、生殖行動を必ずしも最終目標としないような恋もある。それは一つの原因ではあろうけれど、あえて一つであるに過ぎない。大人の恋と年少のものは違うということは多少あるにせよ、これは時折抗しがたく訪れる感情には違いない。そうして当たり前に個人差があって、さらにうまくいくかどうかというのが不透明にスリリングだ。恋愛小説が嫌いだという人もいることだろうけれど、おおむね体験的にはなじみのある小説分野ではあろう。
しかし選ばれた作品というのはそれなりに癖があって、そういうところが引っかかってしまうが、更に村上訳というのは妙にごつごつしたところが残っているような感じがあって、スルスルと喉を通るようなわけにもいかない。そういうところがいいということであるけれど、まあ、少しばかりは人を選ぶような作品集ではなかろうか。
また村上の描き下ろし作品にしても、カフカの変身をモチーフのしている訳で、ちょっとというか、かなり変わった話である。正直なところ、これが恋愛小説なのかさえ少し疑わしいくらいだが、青年はしっかりと勃起しているようだし、まあ、性愛のお話なのであろう。
個人的には「愛し合う二人に代わって」で号泣に近い感じになり、「モントリオールの恋人」で、少しドキドキした。二つともちょっと困る話ではあるんだけれど、青春と大人の都合との対比ということなのかもしれない。他にも少し引っかかることはあるけれど、現代でも人は恋をするんだなという当たり前のことを考えながら、不思議な恋の仕方を楽しんだらいいだろう。