カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

二重行政肯定派の勝利

2015-05-18 | 時事

 大阪都構想の否決ニュースを見ていて、結果としてはその通りであるにせよ、都構想の反対の趣旨が「行政サービスが低下する」とする方の勝利であると報じているのを目にして、不思議な気分にはなる。大きすぎる大阪市の存在があって、いわゆる二重行政の無駄を省き、現行の行政サービスを向上させる政策が都構想なんだから、行政サービスを低下させる選択が下された、とするのが正しいのではないか。合理的な仕組みより、二重行政を存続させて、行政サービスが悪い方がいいと考えている人の方が多いということだ。もちろん大阪都にしたところで、実際にはそんなにメリットなんて無いんだよ、という主張はあるわけで、そうして実際に検討してみるとその通りの主張が一理あったとするのは分かるので、つまるところ、変化なしのままでも良いというか、このままでも何とかなるんじゃないかということの方が勝(まさ)ったのであろう。
 僕が住んでいる長崎県なんかだと、確かに長崎市というのが頭一つ大きな市で、中核市でもあって、いわゆる二重行政的に権限が大きい。もっとも大阪市みたいに極端に巨大ではないから単純比較はできないが、二重行政で無駄が多いのかというのは、はっきり言ってイエスだろう。そういうところに当然のように長崎市庁舎と長崎県庁が林立する。やっていることが必ずしも一緒ではないにせよ、かなりの部分は合理化なんかしていない。しかしながら長崎市の住人から考えてみると、長崎市独自の政策も打てるわけで、必ずしも悪いことばかりではない。強いところが強くて何が悪いのか、という主張があるとすれば、他市の住人である僕なんかからすると何にも言うことなんてない。他市に住んでいる方が悪いだけのことだ。
 しかしながらこれは、貧乏な地方に住んでいるから思うことであって、長崎市や大阪市のように比較的豊かなところからすると、その利ザヤを貧しき所に分配するのは損なことだろう。東京都なんかはまさにそうで、納めた税金の半分しか行政サービスとして戻らないのだから不平を言っても仕方がない。もっともそういう税金の分配が政治というシステムなんだから、その枠というものがどのようにすべきかというのは、課題解消されている訳ではない。そうして今回橋下さんは見事にそれに失敗した。いや、現実としては維新の会が知事と市長を独占しているのだから、効率よく今の段階ではやれているので、結局成功しながら敗北したというねじれが生じているということなんだろう。
 引退したら外野から圧力をかけることができるので、実際にはそういう選択をしたのかもしれない。まさにマスコミがそういう役割をやっている訳で、本当に戦おうとしている相手を変えてしまおうという考えかもしれない。もっとも実際には本当に嫌になっただけなのかもしれないけれど…。
 誤解する人もいるだろうから改めて付け加えておくと、僕は特に維新の会や橋下さんの支持者ではない。ただ、相変わらず報道というのはバランスが悪いものだな、ということだけであります。
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仕方なかった理由が小さい   真夏の方程式

2015-05-18 | 映画

真夏の方程式/西谷弘監督

 ミステリ作品だから謎解きのための殺人が起こらなくてはならない。そうして、なぜ殺されなくてはならなかったのかということにおいても、一定の説得力が必要という気がする。一番に思うことは、要するにそのことに対しての理由が決定的に弱い気がするということかもしれない。もちろん、誰かを守るという強い意志があるというのは分からないではない。そうまでして守らなければならないのは、やはりその人には意識的には罪が軽く、そうしていい人でなければならない。条件としてそれは伝わるが、しかし衝動的に殺してしまうほどのことをやり遂げられたことの方が、実に不思議だ。自分がやらなければやられていたというような状況ならば、よかったんじゃなかろうか。さらに第二の殺人において、殺された人が善意の人であるというのも痛い感じだ。もちろん、彼にもミスがあって、捜査上もう少し突っ込んで状況を調べ上げることが出来たら、いわゆる(本人が望んでいるにせよ)冤罪は防ぐことはできたかもしれない。ただ、それだけで殺されたのは、少し割に合わない感じで、更にこれはトリックとして殺人事件にするよりも、やはり事故としてそのまま届けてもよかったようにも感じる。もちろんその時点である程度トリックが見破られたかもしれないにせよ、余分に殺人を隠す動作が理解しがたい。結局つかまっても良いという意識があるのだから、それが大切な人を守るという意識なのだから、目的としてはそのほうがより説得力のあるストレートさを感じる。
 僕は個人的には、罪を犯したからその人がまっとうに罪を償うべきだ、ということを言いたい訳ではない。時にはこのような話のように、逃れても良いのかもしれない。僕は警察官ではないし、復讐としての罰が見ず知らずの人にかぶせられることに、多少の無頓着さはある。しかしながら物語としての説得力では、このようなケースで逃れることは、必ずしも美しい話ではなかろう。気の毒な面もないわけではないが、それは単に無垢なだけのことで、殺された女や刑事が、実際にはそれほどに悪人だとは、やはり思えない。むしろ事故にあったように、本人は殺されるという一縷の予感もなしに殺されてしまったように思える。しかし殺人はやはり事故ではない。仕方なかった理由というのは、だからやはり大きいのである。
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