カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

哲学より科学が上   主役はダーク

2015-05-02 | 読書

主役はダーク/須藤靖著(毎日新聞社)

 副題は「宇宙究極の謎に迫る」。
 文章は砕けていて真面目なのか不真面目なのかよくわからないところはあるが、読み進めるうちにだんだんと慣れてくる。そうしてなんとなくだがその面白おかしさもだんだんと理解されていく。いわゆる理系ギャグなのだが、学生時代などを思い起こしてみて、確かに賢い人にこんな感じのギャグが得意な人がいたな、と思った。ずっと科学をやっていると、基本的にそういう方面が洗練されていくのかもしれない。
 さて、時々何かいらいらしたような気分になる時があるらしく、それは恐らく科学に対する多くの人々の誤解に対するものであるらしいと分かる。特に哲学に対しては辛辣で「今や世界を語るうえで(過去の)哲学は不要であるが、科学は必須である。言い換えれば、現在の科学は、かつての哲学を完全に凌駕している」と言い切っている。言葉の上では過激だが、しかし実際はその通りだということが、この本を読めばある程度は理解できるのではないか。哲学の人が驚き怒りを覚えたとしても、科学無しに今や何も語ることはできなくなっているということだ。そうしてその現実の科学が解き明かした世界というのは、実はよくわからないものに支配されているということだ。科学というのは、まだわからないということを理解した体系ということもできる。どこまで解明されたら終わりかということでもないのでそれでいいわけだけど、わからないということを知るだけでも、十分に哲学的なのではなかろうか。
 さらに面白いと思うのは、特に天文学や物理のような学問を考えるうえで、桁のみを気にして大雑把に細かく数値を追わないという考え方をするということだ。以前円周率のπを3,14でなく3で教えるようになったというニュースで一時その是非について騒がれたことがあるが、考えてみると騒いでいる人々というのはおおむね科学関係者ではなく、主に文系のジャーナリストたちだった。できるだけ正確に表記したり覚えたりすることを怠るのはけしからんのではないかという意見もあったように記憶する。しかしながら物理の人たちは実はπはπ≒1として数値の桁だけを計算するようなことをする。そうしてそのほうがずっと大切でいいセンスなのである。考えてみると「太陽の質量は2×10(33乗 表記できず)グラム」と書くからすんなり理解できるわけで、「2.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000.000グラム」などと正確に書くと、単なる嫌がらせのようなことになる。物事を正確に記述するのはだから、数学的には実は逆に分かりにくくすることになってしまいかねないのだ。そういうあたりのセンスが理解できると、文系の人も逆に数学的な理解を早められるのかもしれないが、このあたりの感覚が分からなかったり気になったりするから、理系を捨てて文系に走るのかもしれないとも思うわけだ。
 まあ、そのようなことで、科学的な考え方が合理的で哲学を凌駕するのはこのようなことであるということを楽しみながら理解することができる、と思う。実はよくわからないことは残ったままであると告白しておかねばならないわけで、こういう本は辞書のように、時々また読み返さなくてはならないようだ。
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