カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

偏向理解者

2015-05-15 | 音楽

 椎名林檎のインタビューか何かを見ていたら、彼女が本来好きな曲は「歌詞がいらない。音楽には言葉は邪魔になる」というような意味のことを言っていた。人間というのは、ついつい言葉の意味に引きずられてしまう。そうすると音楽そのものを聞かなくなってしまう。音楽を聞くという行為にとって、歌詞がついているものはどうしても邪魔に思えるのだ、ということのようだ。
 ちなみに自分の作る曲というのは、あくまで職人として皆に受け入れられるものを考えているということであって、自分が好きなものを作っている訳ではないそうだ。自分を売るという意味で、ビジュアルも計算の上でやっていることで、そういう自分を映像で確認して、演じているということらしい。そうして構築された世界を隅々までチェックしてやり遂げるということで、まるで建築現場の監督さんのような仕事を音楽でやっているというのだ。だから音楽に自分がノッてきて、「イエーイ」となったことは無いんだそうだ。
 知らなかっただけのことだけど、プロというのは違うものですね。まあ、それが彼女の個性だとは思うが。
 しかしながら思い当たることは、僕なんかは英語もまったくわからないくせにふだんはいわゆる洋楽が中心だ。それも今ではいささか古めかしいものばかりだ。これだけ長い間聞いていて、さらにろくすっぽ英語の発音が良くなったということもない。まあ、歌詞を聞いてないこともないのだろうけれど、英単語として聞いてないということだろう。時々歌詞のカードなどで内容を知って、愕然とすることもある。この曲はこんなことを歌ってたのか…。まあしかし良くわからん方が、曲を聞いていて気楽である。だから好きな曲は歌えもしない。
 要するに音楽を聞いていたのだろう。日本のロックもまったく聞かないではないが、確かに歌詞が邪魔をしている場合もある。日本語は理解できるから、ところどころ聞き取れないとイライラする。日本の場合のみは、歌手にはちゃんと歌ってほしい願望がある。桑田佳祐くらいになると、そういうことは望まないけれど…。
 外国の曲の方が聞きやすいというのは、言葉が分からないということが、あんがい大きいのかもしれない。むしろ自国の歌しか聞かないような人というのは、それは好き好きだからかまわないことだけれど、知らず知らずに歌詞に引きずられていることに、無自覚なのではあるまいか。まあ、歌っている人が何かを伝えたかったのならば、僕はよき理解者ではないのであろうが、わからないけど曲が好きだという変な関係者ではあるのかもしれない。
コメント
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