カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

子供の方が現実的だ(ギリシャ問題)

2015-05-30 | 時事

 ギリシャの財政破綻問題というのはいまだに揉めているらしい。一度は緊縮財政案を受け入れ、追加融資を受けて再建に乗り出して一段落したかに見えたが、緊縮財政による財政改革に反対する政党が国民の支持を受けて第一党になってしまい、その約束をやんわりと反故にしようとしているためだ。しかしながらいくら国民の支持を受けているとはいえ、EU案を受け入れる以外に具体的に解決する道というのは事実上なくて、結局国民を裏切る政策に踏み切るのか否か、というような状況のようだ。まあ日本でも財政問題ではないが沖縄問題なんかは同じような図式だけれど、やはり地域世論というのはあるからいつまでも解決しない。本当に完全に破綻すると、当事者は最も困るし、支援側も当然困る。さらに飛び火して延焼は広がるだけだ。道は少ないが痛みを受け入れることは、それだけ困難だということだ。
 それだけなら身勝手な話だけで済むかもしれないが、ギリシャにはピレウス港という国際的に重要な拠点となりうる港をもっている。ここは既に三分の二を中国の国営企業が牛耳っており、さらに全体を買収してしまおうという動きがあるらしい。さらにそのような合理化をすることも、EUは支援の条件として求めている。もちろんそこで働いている人間や地域住人は猛烈に反対している。理由としては当然のこと今まで通りの生活の保障が無いし、主にこれまで通り働けるかどうかというだけでなく、すでに中国企業に買収されている地域の従業員の給与などの待遇が悪いらしいという根拠に基づいている。
 まあ、それはそうだろうな、とは思うわけだが、そもそも問題としてはギリシャの国民の7割近くは公務員だといわれ、さらにこのような労働者であっても組合の力が強い。結局財政破綻の原因そのものが、自分らの責任を放棄しているだけの図式である。事実上港を支配している三分の二の中国企業の仕事量がこの港を席巻しているにもかかわらず、少ないはずのギリシャ側の人間の方が、給与が高いらしいカラクリとはなんだろうか。働かないでもやっていけている現実というものが続かないことは、理解が足りないだけでは解決しないだろう。
 この話はドキュメンタリーで見たのだが、ある労働者の家族の中で父親は組合活動に奔走しているが、高校生くらいの息子は、現実的にこの街を離れ、できれば外国に出て将来は働くだろうことを模索している。そういう姿を母親は見て涙しているという図式なのだが、やはりこれは親よりも数段子供の方が現実的で、責任が無いのだから見切ってしまうことの方が普通だということに過ぎないだろう。ギリシャの人に本当に大人が多いのであれば、この子たちのためにやるべき選択を、決断すべきはずなのである。
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