カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

住まいとしてのキャンピング・カーの使い道

2020-08-10 | culture

 モータリゼーションの普及とともに、娯楽としてのキャンプがもてはやされたというのが出発点でありながら、その当時の米国はそのまま深刻な不況に陥ってしまった。それでもキャンピング・カーは売れ続けたのだという。その理由は、家のローンが払えなくなって、家そのものを失ってしまった人が多かったためだという。あちらの税制の関係もありそうだが、車のついた箱であれば、家としての税金が免れることも大きかったようで、庭などにキャンピング・カー(モービルハウスなどともいうようだ)を移動させて暮らす人が増えたのだという。
 困ったことには、それがそれなりに歴史を持つようになっているようで、多少貧しさの象徴も無いではないだろうけれど、合理主義的にキャンピング・カーでの生活をしている人が一定以上いるらしいという(要するに税金逃れ)。失業などの問題もあるけれど、学校の先生など、比較的薄給(日本とは正反対だが)の労働者の住まいとして、根強い人気があるようだ。
 というのは米国の話だったのだが、日本でも、キャンピング・カーとまでいかなくても、いわゆる車中泊で暮らしている人が増えているのだという。被災してやむなく、という人がいることも話題になったが、そもそもの出発がそうである人もいるのだろうけれど、要するに原因は貧困で、家などを失った後にも車は手放さず、そのまま公園や道の駅などの駐車場に居ついてしまうのだという。そういう場所でないと、水やトイレの問題があるためであろう。日本らしいというのは、車の車種はあまり関係なく、ふつうの車にそのまま泊るということで、決してキャンピング・カーなどに改造したものではないということだろう。そもそも庭にそのような車を持ち込んで暮らすというような話は聞かないし(絶対に居ないとは言えないが)、庭に設置するならプレハブなどの一応の建物のはずで、あれは基礎がしっかり打ってなければ、登記が要らないかもしれず、ひょっとすると税金逃れにはなるかもしれない(詳しくは知らない)。また、多少の雨風がしのげればいいというのなら、ちょっとした骨組みを、いわゆるブルーシートで囲ったようなものを作るのではないか。田舎ではめったに見ないが、それなりに人が住んでいる近くなら、そうやって暮らす人が一定数出てくるだろう。それは由々しき問題ではあるとはいえ、そう簡単にキャンピング・カーには住めないのではなかろうか。
  もっともやはりあちらはキャンピング・カーを用いたキャンプ自体も盛んなようで、キャンピングカー・カー製造メイカーもたくさんあるという。また季節ごとに工場が労働者を募集するというような職種があって(知らないで言うのだが、クリスマス前のケンタッキー・チキンだとか)そういうところで渡り歩いて働く人は、キャンピング・カーで移動して、そのまま生活をするのだという。そうすると中古市場の充実もありそうで、ともかく日本より安価に、そうして比較的ハードル低くキャンピング・カーの生活が送れるのかもしれない。
 日本だと国勢調査なんかもあるだろうから、安易に移動生活はできそうにないな、と思っていたのだが、そういうことでネット・カフェ生活者がいるわけか……。なるほどね。納得するには、もっと掘り下げて問題意識を持つべきかもしれないが、お国事情は反映されていることかもしれない。
コメント
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