カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

持ってるけど使ってなかったエコバッグ

2020-08-20 | つぶやき
 実は僕だってエコバッグを持ってないわけではない。
 ペンギンの方は息子からのプレゼント。
 黄色い方はイケヤ(ア、という人もいるが、僕はアメリカナイズされていない)。ずいぶん前に買い物に行った時のだから、ずいぶん古い。その頃はまだエコバッグの人の方が少数派で、意識高い系の嫌な感じがしたものだ。だから持ってたけど、なんとなく意識低い系の人間としては、抵抗感の方が強くて、とても使えなかった。
 こんな風に広げてみると、なかなかかわいいけど。



 しかしである。実はこれらはまだ一度も使われてはいない。買い物については、ということではあるんだけど、買い物に行くときには、すっかり忘れて置いてきてしまうからだ。エコバッグを持っているという意識は、いつ買い物に行っても大丈夫、であり、油断を招くのだ。それでこれは、ずっとコンパクトにたたまれたままになって、僕のディスクのそばに置いてある。今日くらいは車の中に移動しようかな、と、やっと決心ができて、このように披露に至ったという訳だ。


 僕は若くないせいもあるんだと思うが、地球がどうだからエコであるという思想が嫌いである。地球は大切に決まっているし、守ったり大切にする方が当たり前だ。だからエコだというようなことを聞くと、なんとなく嫌な気分になる。胡散臭いのが第一だけど、そういうことを考える若者というのは、実に不健全という偏見が芽生える。若いのにそんなことを考えて自分の道を見失うのは、彼らの将来の損失ではないか。当たり前のことなんだから、よく考える前に当たり前に考えないというのが王道である。まずは自らが静かに始めて徹底する。それが生き方になって身につくというものだ。別段修行の道ではないけれど、そういうものがエコなのではないか。
 しかしまあ、毎回忘れて使わないのでエコではない話ではある。あんまり使われていないから古くならないし、どこかに置き忘れられてゴミになることも無かった。それに実は、普段はバックが必要なほど買い物をすることが無い。先日も処方箋の薬屋さんが、どさっと薬を目の前に置いたので、ああ、袋が無いんだな、と覚醒させられたくらいだ。まあたくさん薬はもらいはしたが、掴んで持てないわけではない。
 こういう風に書くと何か今の気風に反しているように感じられるかもしれない。もちろん反している気分はちゃんとあるので、その感覚に間違いはないとは思われるが、しかし僕は特段不必要なものを要求したいわけではない。エコという観点でなく、美観やマナーとしての定着を望んでいるだけである。バッグを持ったまま買い物をするのは厄介だし不愉快だとしても、このように小さいものであれば、ズボンのポケットなどにも入る。ポケットにはマスクなども入っているのでかさ張るけれど、無理をすれば行けなくはない。それに店内なら、そのマスクは口廻りに移動しているはずなのである。
 それにしても、マスクやらバッグやらを持ってないと買い物ができなくなるような時代が来るなんて、本当に想像もしてなかったな。長く生きていると、いろんなことがあるというのは本当なのである。

コメント
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