通勤には車で30ほどかかる。行き帰りがあるので、合計は最低一時間以上になる。さらに車に乗っている時間自体を考えると、田舎に住んでいることと、長崎市内などへの会議への出席も頻繁にあるので(ご時世で、実際の今はほとんど無くなってしまったが、以前は、ということ)、週に8時間くらいは車に乗っているのではないか。その間何をしているのかというと、もっぱら音楽を聴いている。それは生活の一部だし、ちょっと大げさに言うならば、僕の人生の一部である。それも結構大切な。
以前なら、音楽を掛けながら何かをするということもしていたのだが、どういうわけか、特に集中を必要とする時には、音楽を掛けることをしなくなってしまった。やっぱり聞いている音楽に引きずられるような時があるし、仕事中にやるのはなんとなく気が引ける。もちろんそうしたとしても誰も非難はしないだろうが、自制を利かせることも時には必要だ。自由だからこそ制限がある。そういうものが、何かの役に立つのかは分からないが……。
ということで、運転自体も好きなのだが、運転中に音楽を聴くのが、ものすごく好きである。通勤であっても、季節は巡る。僕の住んでいるところは、本当に風光明媚なところなのである。通勤で同じ風景を見ているとしても、ちっとも飽きる心配がない。山の緑は美しく輝いているし、海の色は緑に青に、鮮やかで素晴らしい。もちろん天気の悪い日もあるが、灰色にくすんだ海や山が、幻想的に迫ってくる時もある。それは思わず車を停めて、映像に残していきたい世界遺産のようなものだ。その一瞬一瞬が、本当に愛おしい絵画の世界なのである。そうしてその映像美をさらに演出するのが、他ならぬ音楽の調べなのだ。
僕は基本的にはその時代かかっている洋楽といわれるものを中心に聞いている。もうかれこれ40数年、ずっとそういう趣向である。英語はできないのでほとんどの意味は理解していない。ときどき訳してくれる人もいるし、簡単なフレーズならば理解できる場合も無いではないが、分からないからと言って特に気にしているわけではない。歌声はメロディとして流れているだけで壮快だし、歌える歌は少なくても、別段どうということも無い。アイドル的な歌手のも聞くし、ヒップポップだって聞けないわけではない。ラジオ放送を録音して、ナレーションだけあとで編集して消して、そうして集めた曲を延々と流して聞く。今まで録音した音楽をすべて再生していると、もうおそらく僕の残された寿命では、聞きとおせることは不可能かもしれない。そうしてまた録音して編集して繰り返して聞く。思えば遠くに来てしまったな、と思わないことも無い。なかにはそんなに気に入らないものも無いではないが、まあ順番だから仕方がない。そうやって聞いていると何かの間違いで、いい感じに聞こえる時だってある。外の風景は美しいわけで、音楽だって変化するのだ。