カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

通勤には音楽を聴く

2020-08-05 | 音楽

 通勤には車で30ほどかかる。行き帰りがあるので、合計は最低一時間以上になる。さらに車に乗っている時間自体を考えると、田舎に住んでいることと、長崎市内などへの会議への出席も頻繁にあるので(ご時世で、実際の今はほとんど無くなってしまったが、以前は、ということ)、週に8時間くらいは車に乗っているのではないか。その間何をしているのかというと、もっぱら音楽を聴いている。それは生活の一部だし、ちょっと大げさに言うならば、僕の人生の一部である。それも結構大切な。
 以前なら、音楽を掛けながら何かをするということもしていたのだが、どういうわけか、特に集中を必要とする時には、音楽を掛けることをしなくなってしまった。やっぱり聞いている音楽に引きずられるような時があるし、仕事中にやるのはなんとなく気が引ける。もちろんそうしたとしても誰も非難はしないだろうが、自制を利かせることも時には必要だ。自由だからこそ制限がある。そういうものが、何かの役に立つのかは分からないが……。
 ということで、運転自体も好きなのだが、運転中に音楽を聴くのが、ものすごく好きである。通勤であっても、季節は巡る。僕の住んでいるところは、本当に風光明媚なところなのである。通勤で同じ風景を見ているとしても、ちっとも飽きる心配がない。山の緑は美しく輝いているし、海の色は緑に青に、鮮やかで素晴らしい。もちろん天気の悪い日もあるが、灰色にくすんだ海や山が、幻想的に迫ってくる時もある。それは思わず車を停めて、映像に残していきたい世界遺産のようなものだ。その一瞬一瞬が、本当に愛おしい絵画の世界なのである。そうしてその映像美をさらに演出するのが、他ならぬ音楽の調べなのだ。
 僕は基本的にはその時代かかっている洋楽といわれるものを中心に聞いている。もうかれこれ40数年、ずっとそういう趣向である。英語はできないのでほとんどの意味は理解していない。ときどき訳してくれる人もいるし、簡単なフレーズならば理解できる場合も無いではないが、分からないからと言って特に気にしているわけではない。歌声はメロディとして流れているだけで壮快だし、歌える歌は少なくても、別段どうということも無い。アイドル的な歌手のも聞くし、ヒップポップだって聞けないわけではない。ラジオ放送を録音して、ナレーションだけあとで編集して消して、そうして集めた曲を延々と流して聞く。今まで録音した音楽をすべて再生していると、もうおそらく僕の残された寿命では、聞きとおせることは不可能かもしれない。そうしてまた録音して編集して繰り返して聞く。思えば遠くに来てしまったな、と思わないことも無い。なかにはそんなに気に入らないものも無いではないが、まあ順番だから仕方がない。そうやって聞いていると何かの間違いで、いい感じに聞こえる時だってある。外の風景は美しいわけで、音楽だって変化するのだ。
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記憶にないのは強いのか   記憶にございません!

2020-08-05 | 映画

記憶にございません!/三谷幸喜監督

 群衆から投げられた石が頭に当たり記憶喪失になった男は、支持率2%という最悪の人気のない総理大臣だった。こどものころの記憶以外はすっぽりと抜け落ちているということで、とても公務戻れる筈は無いのだろうが、側近などが画策して、記憶喪失であることを隠しつつ操り人形として使おうとしていくのだった。観客の方も記憶を失った男とともに、記憶があったころの総理が何をしていたかを徐々に知ることになるわけだが、金と権力にまみれた男が純粋にやり取りをするとどうなるのか、という社会実験的なコントになっている。多くの大衆が為政者に望む理想の姿が、そこにはある、ということなのかもしれない。
 三谷監督の得意とする勘違いとすれ違いの妙を楽しむ物語なのだが、やはり政治を扱うということで、それなりに現実の日本の政治家を意識している風な感じにもなっている。しかしながら、全体としてそうかもな、という政治家の姿はあるのかもしれないが、やはりそれは実態のそれとは違うわけで、そもそもそんなんで政治は成り立たないでしょう、という突っ込みも入れたくなる。そこにはおそらく大衆の抱く勘違いの方が多くなっていて、政治の実態が無いせいかもしれない。しかしながらこれは、家族の物語でもあり、そうあって欲しい恋愛の物語でもある。こういう立場の人が、その立場を利用して自分の愛を語るようになると、楽しいかもなあ、という話になっているので、まあ、それはいいのかもしれない。結局権力を使ってそんなことをしてもいいのか、という逆突っ込みを入れたくなっただけのことである。
 そういうことを考えながら観てはいたが、考えてみると、このようなコメディというのは、外国ではそれなりに多いのだけれど、日本だと案外少なかったかもしれないな、とも思った。やはり生活感として、それなりに遠くて近い政治家を茶化す風潮が、日本には少ないのかもしれない。僕は大統領の恋の物語のようなものをいくつか見た記憶があるが、日本の過去の歴史もの以外で、総理を描いた映画というのは、ちょっと思い出せない。英国では現職の女王の若いころの恋愛フィクションすらある。日本の天皇の恋愛コメディなんて、ちょっと考えられない。日本はそれなりに自由さを持つ国だとは思うのだけれど、ことこのような人々に対しての配慮というのは、相当根強いものがあるのではないか。そういう意味では、もっと工夫して作られていい分野なのかもしれない。
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