カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

そこまで恐ろしくないが、恐ろしいかもしれない   だれかの木琴

2020-08-31 | 映画

だれかの木琴/東陽一監督

 夫と中学生の娘のいる専業主婦の小夜子は、何気なく入った美容室でイケメン男性にカットされる。営業のお礼メールが携帯に届くが、そのメールに律義に返信をするなど、ちょっと変わった客だと認識される。その後小夜子は、またそう間をあけず、イケメン美容師の海斗を指名して更にカットをしてもらいに行く。カットされている折に会話していた内容から、海斗の行きつけの店や、そこの近くに住んでいるというアパートまで割り出してしまう。そうして買いすぎたからと手紙を添えて、イチゴをドアの取っ手にかけて置いていくのだった。なんだか異様さにはおびえる海斗だったが、彼女もいることだし、出来るだけ客である小夜子には穏便に接するように努めている様子だ。しかし小夜子の行動は、さらにエスカレートしていき……。
 いわゆる普通の主婦がストーカー行為に陥っていく様子をつづった物語。平穏な家庭も、それにつられて段々といびつになっていく。もちろんストーカー行為を受ける男の周辺もおかしくなっていく。普通ならホラー映画になるはずだが、その異常さは静かに進み、しかし臨界点を迎えるのだった。
 よく見ると、監督があの東陽一であった。僕は「サード」を見て、なんだかよく意味は分からないが、なるほど日本映画もいいなと中学生くらいの時にそれなりに感動した。「もう頬づえはつかない」で桃井かおりを知り、「ザ・レイプ」ではセカンド・レイプというもので考えさせられた(田中裕子も良かった)。とにかく、いろいろと勉強になったというか、それなりに影響を受けた監督さんかもしれない。映画の内容は意味のよく分からないものばかりだが、なんとなくだが、その問題を解釈することはできる。そういう作風の上手い人なのである。
 ということで、この映画もつまるところ何のことだかははっきりとは分からない。しかし、ちょっとしたきっかけというか、なんだか自分でも分からないままに、ストーカー行為というのは発展することがあるのではないか。この作品には原作があり、作家の井上荒野(本名。井上光晴の娘)の作品である。未読だが、原作では、もっと徐々にストーカー化する女性を描いているらしい。単なる異常性を強調するというより、日常の中の個人にも、そのような異常性は芽生えることがあるのではないか、ということなのではなかろうか。そういうことを考える、自分にだってその素養はあるかもしれない、などということが恐ろしいわけで、まあ、そういうことが描かれている映画なんだと考えていいだろう。自分とは関係ないね、という想像力に掛けた人には、面白くない作品かもしれない。
コメント
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