カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

詳しく読むは、面白きかな   くわしすぎる教育勅語

2020-08-28 | 読書

くわしすぎる教育勅語/高橋陽一著(太郎次郎社エディタス)

 表題の通りの本で、教育勅語について詳しく解説を施した本。まずは教育勅語自体を読んでいって、何がどういう意味で書かれているかの解説がある。この本の本文として、それだけでも十分に面白いし、この本の一番の価値でもあろう。第二部では教育勅語が書かれた(作られた)いきさつや時代背景、そうして教育勅語が扱われた歴史的な歩みをひも解いていく。最後に教育勅語関連のものを紹介することと、その関連資料そのものについても簡単な解説がなされている。
 僕の世代はすでに教育勅語そのものを、教えてもらったとか、学校でどうとかいうような教育を受けた覚えは無いし、道徳のようなものの授業がなかったわけではないけれど、どんな内容だったかなんてことは、まったく記憶にない。道徳なんてことは、くだらないから時間をつぶすものでしかなかったし、何の興味も無いので、その当時考えた覚えもない。先生もきわめてやる気のない態度(まあ、他の授業だって似たようなものだったが)で投げやりにやっているものに過ぎなかったのではなかろうか。それでも教育勅語というものがあるということは知っていたし、それはたぶん歴史の何かで学んだか、テレビか何かで過去を振り返る番組の中で聞き及んだかしたのだろうと思われる。軍国日本の教育と天皇関連ではあろうとは思っていたが、もちろんその全文をちゃんと見た事も読んだことも無かった。今回この本を手に取って読んでみて、改めて本当に何も知らなかったのだな、と思うとともに、書いてある内容といっても特に怖いものでもなんでもなくて、まあある意味当たり前といえば当たり前の道徳観で、天皇の権威を示すものであるというのははっきりと分かるものの、これが教育として悪い道徳観なのかどうかさえ疑問に思えるようなものだった。
 もっともこれは今の日本の憲法と照らし合わせて考えると、やはりそれなりに整合性に欠けるものであるし、特に危険なことが書かれていないにせよ、安易に誤解を受けたり政治利用をされたり(事実そうしてきたものであるし)する類いのものであることは間違いなさそうだ。このように詳しく論じられているから面白く読むことができたが、ふつうに書いてあるだけでは、そんなに面白い話では無い。
 それにしても明治から昭和に至るまで、この教育勅語の影響が日本人に与えたものはそれなりに大きかっただろうことは確かで、その影響を受けたであろう大人から教育を受けた僕らにしたって、影響がなかったとは言えない。いまだに教育関係では、日の丸がどうだとか敬礼のやり方などが取りざたされることもあるわけだし、天皇に関する感覚的なタブーは、それはそれなりに大きな圧力のある存在である。それはそれを権威として利用している人がいまだにいるわけだし、その理由さえ分からないまま、影響を受け続けている国民がいるということのようにも思う。言論の自由というのはそれなりにある国だと思うけれど、デリケートである分野だし、過敏になる人もいることは間違いない。それも何もこれを信じて利用しようとしている人に限らず、一般大衆の中にしっかりと根づいている、何かなのだろう。
 それにしても日本古来のものを大切にして道徳のようなものが作られたのではなく、結局明治というのは新しく諸外国のものを受け入れ利用した時代だったわけで、そういう西洋的なものの価値観と分けがたく存在した権威というのが、他ならぬ天皇制だったのかもしれない。それは極めて宗教的だし、本来の日本の歴史とはかけ離れたものだったのかもしれない。それが曲がりなりにも伝統のようなことになって、近代から現代に影響を与え続けている。そういうことの一端を読み解くカギとして、教育勅語がこれほど面白いのだと気づくだけでも、たいへんに有用なのではないだろうか。
 まあ、そういうことを考えなくても、こういう詳しいひも解き方を見ることは、なかなかに面白い読書体験である。
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