クライマックス/ギャスパー・ノエ監督
なんか始まりもたらたらしているし、最高のフランス映画がどうとか肩書が多い。それでパーティでダンスが始まって、それはそれなりに見られない訳ではないが、別段ショーという訳ではなさそうだし、自分たちの余興が盛り上がって、更にだれか酒に薬を混ぜた奴がいて、皆妙な具合に飛んでしまって、人間関係のどろどろしたところとか、愛憎の人間劇などや、単なるけんかや自殺のようなこととか、もうなんだか壮絶なことになって収拾がつかなくなる。
まあひどい映画なのだが、これがギャスパー・ノエだったのだとあとで気づいた。この監督ならダメなはずだ。映画のイロハをまず知らないんだもの。そうして芸術のためならといって、裸に暴力をキャンパスに絵の具たっぷりに塗りたくるような狂人である。まあ、好きな人もいるんだろうけど、それがなんだ、という作品に過ぎない。ショッキングに作ってショッキングに話題にさえなればよかったということなのであろう。その試みはある程度は成功したようだが、だからと言って何なのだろうか。
こういう芸術が崇高であるとか、これがフランス映画としての生き方であるとかいう考えもあるかもしれないが、更に離れていく人もいるのではないか。少なからず僕自身が、そんな気分になった。嫌なものを見てしまったという嫌悪感が残るし、芸術に対して軽蔑したい偏見が生まれる。いわゆる自由だから素晴らしい、ということと、他人を傷つけてまで自己を通すこととは、やはり違うのではないかと思うのだ。それは人間の強さでも、新しい発見でも、そうしてそれが分かるか分からないかで価値のあるものでも無い。ダンスは純粋に踊っているそのもので物語があり、観るものを感動させることができる。その踊りそのもので狂気を演出してこそ、芸術といえるのではないのだろうか。
完全に失敗してみてしまったが、それはそれで人生教訓である。過ちは繰り返す。人間は記憶が悪ければ懲りる機会を失うのである。
ということで、お好きな人はどうぞ。