愛についてのデッサン 佐古啓介の旅/野呂邦暢著(みすず書房)
野呂邦暢が亡くなる一年前に出版された小説だという。一応一貫した流れはあるが、短編集といっていい。父から引き継いで古書店を営む若い男が、古書やその本にまつわる人々の関係で、父親の郷里長崎や、友人と共通の恩師にまつわることで京都に旅したりする。章立ててある話の一つ一つに、いわゆるミステリが隠されていて、その謎解きを追って物語が運ばれる。下手なミステリ作品よりしっかりしたトリックが仕掛けられている。しかし文学作品でもあって、その物語につづられる人々の感情が、詩情を交えて浮き彫りにされていく。男女の情愛や愛憎など、なかなかに複雑な心情が見事に描かれていくのである。
もともとアンソロジーとしてこの中の一編である「本盗人」を過去に読んだことがあって、それで後からこれを買ったのだと思う。買って少し読んだかもしれないが、なぜかそのまま積読していたようだ。最近なんとなく気になってバラバラにまた一編読んで、そうして最初に戻って、今度は全部を通読した。なんで今まで読まなかったのか不思議なくらい、その文章に捕われて読まされた感じだった。文中にそれなりに重要な詩があるのだが、それについてはまったく理解できなかったが、つづられている文章自体に独特の魅力がある。主人公の啓介の考えは、いささか若すぎて好きにはなれないが、しかしその若さゆえに巻き込まれる事件の機微に、主人公そのものが成長させられているような感覚がある。そういう意味では帯の紹介にあるように青春小説でもあり、恋愛小説でもあるのだ。
結局何か成就するような恋愛は無いのだが、だからと言って全部が失恋ということではない。時代を超えて行き交わったであろう感情については、こちらで想像するよりないものの方が多い。主人公ははっきりと失恋を経験するが、それで恋愛の機微をしっかりと認識できたようになってもいない。しかし、そういう若さが人を傷つけながら、妹や友人などからたしなめられ、主に女性が持っているのだろう不思議な行動を知るのである。これを読んだ僕としても、そういうものかな、程度にしか分からないから、啓介と幾らも変わりは無いのだが……。
まあ、そういうことではあるが、僕には読みやすかったのは、やはりミステリがあったからであろう。ふつうのミステリ作品のような明確な謎解きではないけれど、確かにそれしか答えは無かろうな、というような答えは見つかる。意外だけれど納得がいく。そういう分からせ方の上手い作品なのであった。