カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

縮小社会ニッポン、絶望と希望

2016-09-30 | net & 社会

 日本社会が縮小化するというのは、ずいぶん前から当然わかっていた事実である。分かっていたが、その事実を受け入れるだけの度量が果たしてあるのか問題というのがあるのだろう。NHKがドキュメンタリーで取り上げていて、面白かったのだが、まあ、それでもその程度の見方なのかな、とも感じた。
 一つ目は東京都であっても、縮小は免れないということ。東京オリンピック後に多くの区では減少に転ずる。特に豊島区では28万もの人が減るとみられる。もともと出生者数より死亡者数の方が多いのだが、転入者がそれをカバーしている(現在)。ところがこの転入者の所得が低いのが問題で、年収200万から250万程度の20代若年層が多いのが特徴だ。建設ラッシュの続く東京で、例えば警備などの仕事で地方から転入してくる若者が多いということだ。その収入では結婚などできないから子供も生まれない。彼らが老後を迎えるまで住み続けると、豊島区試算では100億円税収が減り社会保障費がかさばり負担にあえぐことになるだろうということだった。
 それは確かにそうだが、その前に地方で収入の見込めなくなった人が集まるわけで、彼らが飛び出てきた地方の方がもっとひどいというのは容易に想像できる。東京だからショックだというのは、つまるところ逃げ場なんてないということだろう。
 ということで既に惨状になっている夕張のレポートに続く。驚いたのは市長の手取りが15万8千円で、交通費が自腹だということだった。財政破綻したまちなので(破綻は10年前、11万の人口は9000人になり、借金は350億返さなければならない)、文字通り撤退戦。市民の要望を聞くことは既に皆無で、住民サービスは医療に至るまで縮小(公園管理は無し、図書館は閉館など)。住宅インフラなど維持管理もままならず、住民に移動してもらって閉鎖し取り壊している。
 さらに将来的な問題は、高校生が地元校に進まないことだ。学校の統廃合が進んでおり、出来るだけ早く夕張から外に出ることを身をもって示す若者たちだ。夕張を見切っているので外に出て働くことは確実だろう。要するに将来の税収の道も事実上絶たれている。さらに保育所で耐震構造を満たしている建物は無く、40年を過ぎた老朽化した建物の改築のめども立たない。幼児であっても身の安全は自己責任だ。
 島根県雲南市は「財政非常事態宣言」を宣言し、職員を二割カット。借金財源で地域住民自らに地域の維持管理を任せることになる。しかし担い手の高齢者は次々に死亡。地域は維持することも困難なのが現実で、縮小をどのようにするのか模索中だった。
 このような撤退戦を展開している役場職員に対して、高齢者などが無理に移転して、それが原因で亡くなってしまった人もいるというようなこという地域の代表の人の話などがあった。お気の毒だが、だからといって縮小が止まる話ではないだろう。
 このような将来は、すでに日本全国に今現在広がっている惨状だ。皆こうなることは、各地域の担い手たちは、実はもうわかっている。それでも撤退戦を始めていないのは、いまだに住民にその説明をしてないばかりか、新たな要望を聞き続けているからである。だから、より将来の惨状は今より悲惨になるだろう。何しろそのスピードは異常である。止める術は、撤退戦以外に今のところないのである。
 ただし、一つだけ明るい話をしておこう。行政サービスはこのような惨劇になるにせよ、民間の人々は、経済活動は止めていないだろうということだ。さらに行政が破綻したとしても、われわれの生命が直ちに止まるということでは無い。行政をもたせる為に増税が進むことはあるにせよ、すべての人がそれを容認することは無かろう。破綻してある程度身軽になって、ぜい肉が完全に落ちてしまった後になると、たとえ地域は焼け野原でも、今度は復興の道が見えてくるだろう。落ちる過程は悲惨だけれど、どのみち逃げ場はない。自分も不幸だが、お隣だって不幸には違いない。これほど日本人の心にとって、安らぎになる予想は無いのではなかろうか。
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