カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

生々しすぎて正確に語りえない歴史   終戦のエンペラー

2016-09-29 | 映画

終戦のエンペラー/ピーター・ウェーバー監督

 マッカーサーをはじめとする進駐軍が、日本を統治するために天皇の戦争責任をどのように追及するのか調査し、どのように判断していったのかということを中心に据えたドラマ。敗戦が決まった後の日本に進駐してきた米軍が、米国世論の背景を受けながら、日本のテロなどに備えながら、どのように統治すべきか模索していた様子がうかがえる。もちろん映画的な娯楽の要素を交えてあって、史実をなぞった物語になっている訳ではないが、ある程度の当時のマッカーサー陣営の考えていた日本のことが、分かる内容になっている。また、日本人ではいまだに作りにくい、天皇の戦争責任問題についても考えさせられる内容である。ちょっとしたミステリにもなっていて、米国人向けには、それなりにショッキングな内容かもしれない。また恐らくやはり現代米国人の観客へのサービス精神か、または配給会社の判断だろうが、戦争責任を調査する准将のラブストーリーが、創作ながら挿入されている。
 史実がどうこうという話では厳密に違うお話だが、終戦後の日本に降り立った進駐軍には、それまで激しい抵抗を見せていた日本人の中心部に駐留する緊張感があったものだとは容易に想像がつく。勝負は決していたとはいえ、本土決戦が無いまま敗戦を迎えた国は当時は無かった訳だし、いまだにそのような国は無い。天皇の国民に向けた「耐えがたきを耐え」の言葉を日本国民は受け止め、抵抗が極端に少ない駐留になっていると受け止めていたのかもしれない。戦争を始めた罪としての戦争責任問題としては、限りなくクロであるとしても、戦争を終わらせた上に本人も戦争責任を認めている現実から、その後の日本統治ということを鑑みて協力体制を築くことを選択したという見方をとったということなのだろう。
 既に歴史は戻らないが、その後の日本の在り方の方向は、かなりの部分、米国の国内世論ではなく、実際に駐留している内部での判断で決まったことは間違いなさそうである。思惑は様々あったことだろうが、現実として天皇制は堅持され、さまざまな問題は内包されたまま現在に至っている。戦後70年の時を経てもなお、やはり日本では敗戦後ということが残っていることは明らかだ。既に重要な資料の多くは検証不可能だし、しかしまだ目に触れられていない史実も埋もれてもいるのだろう。1000年たってもわからないことが10日で判断できなかったというのであれば、もはやこの時期のことは、分かり得ない問題になっているのかもしれない。いや、生々しい記憶が無くなってから、またこの問題は別の意味で、日本の将来を変えうる時期に使われるかもしれない。
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