カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

よく分からないが、よく分かる

2016-09-26 | 感涙記

 杉良太郎と脳外科医の上山博康って人が対談してた。いろいろ思うところあったのだが、杉良太郎が心臓手術を受けて、このような手術をする上山のような先生に会ってみたくなったということだろうか。
 上山先生は、神の手を持つといわれるような難しい脳血管の手術を数々成功させているという名医である。しかしその「神の手」というのではダメだという。いうなれば「匠の手」でなければ。神の手を持つ人がいなくなる、もしくは死んでしまえばそれでおしまい。匠の手で次に技術を伝承しなくては、という思いがある為らしい。ある程度経験を積まなければならない世界。若いころに自分のミスで患者を殺したことも正直に話されていた。公共の場では危険な発言でもあると思うが、素直に素晴らしい人である。
 杉良太郎はネットの世界では有名人で、僕もひそかに尊敬している。被災地へおもむく炊き出しボランティアの規模が突出していて、その他の福祉に対する取り組みも破天荒だ。貧しい子供に食べ物やおもちゃを渡したところ、実はお父さんお母さんが欲しいと言われ、これまでに100人以上養子にしたという。なんだろう、それは。いろいろ考え方もあろうかと思うが、芸能界で人気絶頂でお金もたくさん入ったが、人気はいらないと思ってやめて、そういう活動をしているということらしい。何故ということに対しては勝手にやっているということを言っていた。ボランティアをしても礼を言われないこともあって、へとへとになって、でも続けている。上手い理屈があるということでは無く、何か自分にこみ上げる思いがあって、やってしまっているという感じなんだろうか。凄まじくも、素晴らしい人である。
 こういうことは確かにうまく言えないが、仕事でもなんでも、やっていることの中には、ひどくくだらないこととか邪悪なものが混ざっている。そういうものをひっくるめて、好きだからやっているというのは簡単だ。だから好きとは言えないがやっているということになることが多いのではないか。僕は福祉を生業にしているが、そういう意味で杉良太郎は信用が出来ると感じる。よく分かろうとしない人には、たぶん分かり得ないし、それでも行動してしまおうということをやめられないのだろう。
 さて、人にはやれることとやれないことがある。また一からやれることをやるしかないかな、と思ったことだった。
コメント
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