こういうことを正直に書くのはちょっと恥ずかしさもあるが、時々トイレが怖い。行くのも怖いが、代わりがきかないので行くしかない。そうして座っている(家では大でなくとも座る場合が多い)と、まだ怖かったりする。自分でもどうしたものか、と思うことがあるが、一度そう思ってしまうとしばらく怖いような気がする。早く普通の部屋に戻るなり逃げ出したい。しかし、用があるから入っている訳で、その時間は耐えるより無い。
実は熊本が揺れて、そのあとにこのようなことが度々ある。揺れるのが怖いというのがあったのだろうが、もう揺れるとは思っていないのに怖いときがある。何か得体のしれない気配のような、そういうものが背中の方にある気がする。いつも振り向いている姿勢でいるわけにはいかない。例えばシャンプーをしていて、目をつぶっていても怖い場合がある。シャンプーを中断するわけにはいかない。終わるまでシャカシャカと手を動かしている。しかるべき動作が続きながら、怖いような気分が続く。流して目を開けると、当然何もない。トイレでも実際はそうで、流して手を洗っても、何も起こらない。分かってはいるのであるが、何か怖さが残っている。ちょっとだけ足早に歩いたりする。もともと鏡はあまり見ないが、こういうときはまったく見ない。自分の姿が怖い訳ではない。なんとなく見たくないのである。
頻繁にするわけではないが、時々瞑想のまねごとをする。聞くところによるとコツがあって、自分の呼吸に集中する。集中していると、いろいろなことが頭をよぎる。そのよぎる事柄をいちいち否定する。今は呼吸である。考えそうなことを中断して、今は呼吸である、と自分に言い聞かせる。同じことでは無く、次々に別の事柄が頭に浮かぶ。ものすごい勢いで様々なことが頭に浮かぶ。全部途中で投げ出して、あえて中断させて呼吸のことを考える。そういうことを繰り返して、だいたい5分だな、と思ったら素直にやめる。そのだいたい5分は本当には計っていないが、本当にだいたい5分だったりする。そういえば怖い気分もあったな、と思う。瞑想が終わるとそういうことを思い出さない方がいい。せっかく忘れていたのだから腹立たしいな、と思う。そうするとその怖かった気分も早く消える。
だいぶ時間が過ぎて、今は怖さが何故だか和らいだ。仏壇に線香をあげたりする。あれは何だったのかな、と思う。まったくなくなった訳ではないが、たぶん夜に墓地を歩くくらいは出来るだろう。もともと夜はそんなに怖いとは思っていなかった。だからもとに戻っただけである。瞑想が良かったのかどうかも分からない。しかしなんとなく、時々思い出して呼吸のことを考える。何か良いことも思いつくが、容赦なく打ち切って忘れる。呼吸のことを考えても、特に何も楽しいわけではない。何もかも忘れてしまって、怖さも忘れてしまったのだろう。