カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

名前で性別が分からない

2016-09-16 | ことば

 越前敏弥著「翻訳百景」(角川新書)を読んでたら、今の若い読者はポールやジェーンという名前だけでは、性別を分かってくれない場合があるということが書いてあった。翻訳書が売れなくなった背景として、そのような外国文化そのものに若者が興味を抱かなくなっているのではないか、という洞察である。
 確かに驚いたが、しかし同時のそれは本当に嘆かわしいことなのか、とも思うのだった。僕らの上はもちろん、そのように外国文化に憧れるような心情というのは、逆説的に屈折したものがあるようにも感じる。特に日本の米国崇拝に関しては、明らかに屈折しすぎて不幸だとさえ思う。若者にそのようなものが薄れているとしたら、それは別に良いも悪いも無いことだ。何にも興味が無いと言えるような幸福な人というのは、将来は暗いかもしれないが、まあ、それでいいだろう。
 ということなんだが、それはそれでいい。
 しかし、ポールやジェーンで性別が分からないというのを嘆かわしいと思うより、やはり性別の分かりにくい名前というのはそれなりにあるようにも思う。北欧の名前や、東南アジアでも分かりにくいのは結構ある。南米なんかもそもそもどこからどんな名前なのかさえ分からないものもある。要するに馴染みの問題で、そういうことをとりあえず無視して英米文化が分かるというのも、ちょっと鈍感な感じもする。一面ではすぐにそれは変だと思うものの、一面過ぎている自分には無頓着だ。そういうのは、日本人もアメリカや中国人と似ているところではないか(こういうのは分からない人が多いだろうけど)。
 また、実は日本人でも、どちらかよく分からない名前というのは結構ある。親が悪いというより、何か考えがあったのだろうが、それを一般の日本人が分かりづらく思っているだけなのだろうけど。有名どころは野口英世なんかもある。知っているから間違えないだけで、ヒデヨというのは普通に女性でおかしくない。知った人にも何人もいるが、ツカサさんというのは男女とも知っている人がいる。歩(あゆみ・あゆむ、はあるが)さんも男女聞いたことがある。マサミさんも男女に知り合いがいる。「○○み」という名はあんがい男性にも多く、字面だけでは混乱のもとかもしれない。ムツミという男性もいて、名刺をもらって驚いたこともある。本人も困ると言っていた。文字や音だけでは男女が分からないというのは、それなりにありうることなのではなかろうか。
コメント
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