カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

腹を切れば許される?   蜩ノ記

2016-09-19 | 映画

蜩ノ記/小泉堯史監督

 同僚とのちょっとしたいざこざがきっかけで城内で刀を抜いてしまった罪(これはいきさつ上仕方が無かったことは明確。抜かなかったら殺されていただろう)で、本来は切腹のところ温情であるものの監視(要するに飛ばされた訳だが)を命ぜられる。藩主の歴史を編纂している男は、過去に何か事件を起こし、二年後には切腹が決まっている身だった。この後に及んで逃亡などをしないようにということのようだ。ところがこの男の犯したとされる事件も、何やら謎が多い。さらに男の生活態度や考え方も立派である上に、家族も皆なかなか感じの良い人ばかりである。監視役の男は徐々にその魅力に感化され、過去の謎の事件の真相を追うことになるのだが…。
 不条理なことが続くが、それが当時の世の中ということになろうか。民主的な考え方に現代の思想が見え隠れするのが鼻につかないではないが、時代劇とはいえ現代人のための娯楽なので致し方ない。それにしてもところどころは当時の思想を受け入れなければ話の筋は通らない訳で、かなりごった煮ということになってしまう。身分を越えて意見が交わされる場面があったり(あり得ない)、実際に殺しておきながら、その報復で仲間が殺されたことで藩主側に反抗する(あり得ない)など妙な展開を見せる。映画的にはありかもしれないが、後半はかなり疑問符の多い展開であった。結局は切腹するのだからという理屈だろうが、当時の人間の命の価値というのはもっと軽いとしか考えようがない。結局は敵役の家老が大人すぎる考え方の持ち主だったからこそ、暴れ者の多くが許されたという感じだったかもしれない。それではまったく逆の意味のお話になってしまうのだが…(彼らが無能だったからこそこのような過去の事件が起きたはずなのだ)。
 そもそもの事件などの展開から、そもそもの切腹の沙汰というのは無理があったというべきだろう。また温情があったとされる刀傷事件についても、怪我をした方が城内にとどまっているらしいことは不思議である。さらに武士の息子の友人を思うあまりの復讐劇は、お家が取り潰されてもおかしくないだろう。しかしお話はすべて切腹がそれらをとりなすということになるのかもしれない。むしろ現代人が過去に抱いている、命の重さをもってして成り立っている物語なのであろう。
コメント
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