プリズナーズ/ドゥニ・ヴェルヌーヴ監督
感謝祭の日に近所の友人宅で家族同士のパーティをしているときに、お互いの娘二人の行方が分からなくなる。途中まで一緒に遊んでいた兄は、近くの路上に止められていたキャンピングカーに人が乗っていたことを思い出す。キャンピングカーが第一怪しいと捜索されるが、発見されると運転している男は暴走しそのまま事故を起こす。警察に拘束されても、何か精神的な障害があるのか、的を射ない証言しか得られない。物的証拠も見つからない。警察としては犯人と断定できず釈放。すると娘の父親はこの男を拘束し、拷問して娘の居場所を突き止めようとするのだが…。
誘拐されたと思われる娘たちの命を思うと、限られた時間で助け出すためには、娘たちと接触したと考えられる怪しい男を調べるより他に無いと、父親としては自分の暴走を正当化している。明らかに行き過ぎだが、しかしその心情は必ずしも理解できないではない。何しろ娘たちが歌っていた替え歌を口ずさみ、何か知っているそぶりは確かにある。しかしいかに拷問しても、何故か口を割らない。容疑者の男自身も、何か訳の分からない障害を抱えていて、普通の人間ではないことは示唆されている。怪しいがそれは、障害的な偏見かもしれないという疑いも、同時に観ているものは抱くだろう。そういう中で、別の容疑者が捕まり、尋問中にミスがあり自殺してしまうのだった。
精神的に非常に恐ろしい展開である。父親の暴走も恐ろしいが、警察がいかに正攻法で捜査していても、時間的な制約の中で本当に娘たちが生きたまま見つけ出せるのは、誰にも分からない。怪しい人はいても、娘たちの姿には行きつかない。それもそのはずで、犯人は意外な人物ではあったのだ。重層的にいくつものトリックが行きかい、捜査官も父親も、確かに犯人の周辺に限りなく近づいているのだが…。
異常な人がたくさん出てくるが、もともとの邪悪な狂気のようなものが、まち自体を支配しているような展開である。普通なら家族はなす術もないのだが、家族に接触してきた邪悪な影のようなものとは、何かつながりがあったようなのだ。娘を深く愛するがゆえに踏み外して軌道を逸しているように見える父親だが、しかし、何かもう少しのところに娘の足跡のようなものを掴み損ねているだけのようにも思えてならない。警察とは距離を取らざるを得ない境遇に自ら陥りながら、自ら非常に危険な立場にさらされていくのだ。
恐ろしい映画で、さらに何ともやりきれない暴力がどんどん連鎖していく。しかし観終わってみると、少なからぬカタルシスはある。どんでん返しでハッピーということでは無いにしろ、見事な演出といっていいだろう。人間の中の邪悪なものと向き合うという意味では、気持ちが悪いだけでなく、非常に考えさせられる内容でもある。家族のいないものでも、恐らくは理解できる(したくなくても)映画なのではなかろうか。