カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

そもそも疲れることはあんまりしない

2016-09-01 | 雑記

 疲れてしまったらクエン酸を摂るようにして早めに休むに限るが、そもそも疲れることが多すぎる。暑いのもつかれるし、運動しても疲れるが、問題とする疲れというのは、ちょっと別のところにある。要するに精神的に疲れてつらい思いをするのがいけない。仕事なら生活の糧を得るためにある程度は仕方なく許容できるものでもあるが、それでも種類によってはひどく堪えるものがあるのは確かだ。仕事の多くは相手の欲することをやるから対価が得られるのだけれど、相手の動向ばかりを気にするのもいけない感じだ。ある程度の主導権があると、内容はハードでもそんなに疲れないという感じだろうか。要するに振り回されるようなものが疲れる。やることがある程度分かっていても苦情処理のようなものも疲れる。いろいろパターンはあるが、言われたことであっても自分なりにやれるなら何とか持ちこたえることが出来ても、これが最終的に覆されるようなことが続くと、かなりダメージが積み重なるような感覚になる。
 先行きの不安も疲れる。出口が見えないと疲れる。そもそも仕事が終わらないとつらい。それなりに集中していても、長時間は困る。集中できなかったり、断続になるのもやりきれない。〆切が遠くても、組み立て算段がととのわないままだと頭に何か引っかかっている。道筋が分からないので手を付ける前から既に疲れているかもしれない。
 まあ、いろいろあるわけだが、そう言えば本当に頭がオーバーヒートするような疲れというのがある。留学時代に現地でいろいろ友達が出来て、少しばかり勉強した成果も出て、一人である中国の友人のところに遊びに行った。いろいろ勉強を教えてもらって、多少の会話も弾んでとても気分が良かった。今日はためになったな、と満足だったのでそのままズルズル長居していると、その友人の友人という人も遊びに来た。最初は日本の友人ということで彼もゆっくり話をしてくれるので少しは分かる。調子に乗っているので、結構わかる気がする。そうするとだんだんと話が弾んで早口になってくる。調子に乗っているので少しは分かる気はする。もう流れを切れるような感じでもなくなった。そうしてこの二人は時折僕を交えながら広範囲での雑談が始まった。話題は日本のことなどとは限らない。多くは中国の問題点のようなものが多かったのではなかったか。日本人がいるので、聞いてもらおうという算段もあったのではなかったろうか。興味深い話もあるが、何しろスピードについていくのがやっとだ。ついには振り切られるような感覚になって、本当に頭痛がしてくるのだった。それでも話は終わらず、帰るとも言えず、しかし一所懸命になって何とか聞き続けようという精神力だけだった。
 この時の脳がどうなっていたのか知ることは出来ないが、帰りはどうやって帰ったのか分からないくらいに頭が疲れたという覚えがある。とにかく何も手につかず、部屋に帰ると本当にバタンと倒れてしまった。そうしてそのまま昏々と眠った。おそらくその時が初めて夢の中でも中国語が出てきたように記憶している。目覚めてもまだかすかに頭痛がしていたのではなかったか。頭って疲れるんだな、と本当に実感した。
 まあしかし若かったのでそんなことはその時くらいだったかもしれない。今はこのような体験をしなくてもちゃんと頭が疲れていると分かる。それも、もう寝てももやもやと疲れている。でもまあ、だからといってそんなに深刻にはなっていない。それは僕の防衛本能が学んだ怠けの処方なのであろう。
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