カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

失われた人間性の修復   ブロンコ・ビリー

2015-07-11 | 映画

ブロンコ・ビリー/クイント・イーストウッド監督

 旅しながら興業で食いつないでいるサーカス一座に、親の遺産を継ぐために偽装結婚したものの、そのことに耐えられなくなった夫に逃げられたワガママな女が合流して珍騒動を起こすという物語。ちょっとゆるいロードムービーなんだが、自分勝手な暴君のようにふるまうボスに引き連れられた集団と、そこに迷い込んだような気の強い女が打ち解けていくというのが大きな流れである。皆問題があってそこのいるわけだが、むしろ問題のない人間なんていないという事実が明らかにされていき、結果的に特に問題が大きくひねていた富豪の娘の精神が解放されていくような感じである。
 サーカスと言っても芸が特にもの凄い(ある意味でトリックなしであれば凄いけれど)わけでもなくて、田舎町の退屈なところでは物珍しく人を集めることもできる程度なんだが、彼らは金を稼ぐことと同時に、慈善事業も行っているということである。心や過去に傷があるものであっても、そうしていまだにまだいろいろと問題を起こすような連中であるのだけれど、実は真のところで善良であるということなのかもしれない。
 ふと思い出したが、盗んだ金を慈善事業に寄付したとして、それはいいことなのか? という設問があった。もちろん金に色はついていないので、役立てばいいことなのかもしれないが、もともと盗まれた金は汚れているのではないかとも考えられる。悪いことが結果的に使われ方で、よいお金に変化しうるものだろうか? 答えはどうだったか忘れたけれど、恐らく宗教的には、そういう問題についてのある種の答えのようなお話ではないかとも思った。
 ともかく、飲んで喧嘩して暴れたり、その後一人は警察につかまったり、そうして結果的にテントが火事になり、金も尽きて列車襲撃をやろうとしたりと、次々に問題ばかり持ち上がっていく。なんとなく解決というか、あくまでゆるく何とかなっていくのだが、それは実は過去の行いともつながっているという感じだ。困ったことは多いけれど、実に彼らはそれで活き活きと生きているということになるんだろう。日本人にはちょっと疑問の多い生き方には違いないが、こういう価値観で生きていくというのが、彼らの大きな意味であることも見て取れるだろう。
 ちなみに監督主演のイーストウッドと同じく主演しているソンドラ・ロックは、撮影当時は付き合っていたとされ、その後破局するが、ロックは慰謝料を請求し、恐らくその金で映画監督に転身し作品を残した。まさに生きているという感じがするんだが、まあ、繰り返しになるんでいいでしょうね。
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