ラジオを聞いていたら、松岡修造がそばにいてくれたら(何事にもポジティブになれて)幸せになれると思う、というようなことを言っている。運転中だったが、思わずハンドルさばきを誤りそうになってしまった。
個人的な恨みは何もないが、ちょっと苦手な人というか。テレビなんかで見る分にはすでにそういう人だから仕方ないよな、という程度にしか感じていないが、まさか彼が目の前にいて「がんばろう」とか励まされたりしたら、その場にいたたまれなくなってトイレにでも逃げ出してしまうに違いないと思う。ふつう誰でもそうだろうと、勝手に思っていたのかもしれない。
しかしながら落ち着いて考えてみると、そこまで(ある種の)人々は、元気になりたいとか、ポジティブにふるまいたいというような願望を持っているのだろうか。ついついそれこそがかなり病的ではないかと思ってしまいそうになるが、しかし、元気になること自体は確かに悪いことではなさそうだ。タレントとしての松岡修造は、たぶん自分自身が生きる道としてはポジティブなキャラクターでいいのかもしれないけれど、まさか日常生活であのままだとまずいだろう。それくらいは誰でもわかっていそうなことで、さらにあのテンションが近くにいてしあわせになれるというのは、どうしても理解を超えているように思える。だからたぶん奥さんの前では少しくらいは静かなんじゃないかと思いますが、違うのだろうか。
いや、激しく落ち込んでいるときならどうか。やっぱりうるさいだろうな。でも元気になりたくて、それなりにやる気があって、そういえば試合前のような気合いを入れるようなときなら、少しだけありうるな。いや、経験もあると思う。しかし松岡修造。僕は知らない人なので邪魔にはなりそうだけれど。
もちろんギャグの入った発言ということは、少しは考えてものをいうべきかもしれない。しかしショックが大きすぎて、とても冷静になれなかったというべきだろう。それにしても僕は松岡修造を知らないまでも、実は彼には同情的な気分はあったのである。たぶん、過去には苦労したんじゃないだろうか、なんて思いながら見ていたこともあるようだ。あのような度を越したポジティブさというのは、そのような影が見えるような気がする。そうしないと何だか悲しいというか。そういうものが無いままに、ああいう人は出てこないのではないか。
そういう訳で、僕とは別世界の人ながら、やはり誰かの役にはたっておられるということなんだろう。末永くのご活躍を祈念いたします。