カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

殺人は良くて煙はご法度

2015-07-24 | culture

 アニメ監督のブログを読んでいたら、アニメのディティールで何かと自主規制がうるさいことがある、ということが書いてあった。たとえば車の運転のシーンだと、シートベルトをちゃんと着用させるように描かなければならない。また、未成年の喫煙や飲酒なんかもご法度。さらに主人公がとっさにバイクに乗るような場面があったのだそうだが、これにヘルメットを着用していないというので、揉めたことがあったらしい。世の中にはいたるところにバカがいるものである。それもそういう人間が、あんがい現場の権限を持った人だったりする。
 それにしても殺人や暴力は描いて良くて、煙草だけがダメだとかいうのは納得できない、と書いてあった。まことにその通りで、そういう規制や思想というのは、殺人より恐ろしい暴力だ、ということに気づかない人が多いということだろう。

 タバコなんかはできるだけ描かないようになっているという話は、映画なんかでも聞いたことがあるが、それは米国のような清教徒がいるような国だからだろう、なんて思っていた。ところがすでに日本でもある程度自主規制があるようだし、放送禁止用語のような頭の悪い人しか考え付かないようなものさえある。自分が馬鹿だと人に分かるようにしているのは単に愚かだからいいのだけれど、バカでない人にも実害があるので困るわけである。
 映画や漫画の世界で不良の未成年が飲酒をしたりする表現が使えなければ、別の表現を使えばいいということなのかもしれない。じゃあマリファナ吸ったり薬に手を出したりすればいいのだろうか。アクションシーンでとっさにバイクに飛び乗ってヘルメットをつけているようでは、単にのろまな奴にしか見えないだろう。もちろん映画であればスタントマンの命を守るために撮影にはヘルメットをつけてやろうよ、というのであれば理解はできる。知らないがCGで外すことができるようなら、それでもいいのではないか。シートベルトもそれで然りである。運転中の携帯電話なんかは、「パルプ・フィクション」ではたくさん見られたものだ。今はあんがい難しいかもしれない。
 一時期ヌード場面などで芸術かどうかなどの表現の自由で揉めたような時代もあったが、しかし、このようなものは現場の権力者の知恵のなさで簡単に自主規制が出来てしまうということのようだ。そうして規制が勝手に進んで行って、そういう場面が希少になると、たまに小さい露出があれば、かえって目立って騒ぎ立てるような人間を作ってしまう。表現の世界が、ますます歪んでしまうということになるだろう。現代人というのはつくづく勝手に裸の王様をつくってしまう。これを愚かだと思わない感性というのは、何と呼べばいいのだろうか。
コメント
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