カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

天国への階段

2015-07-17 | 雑記

 ツェッペリンに天国への階段というのがあって、曲はいいんだが、歌詞が難解である。まあ意味なんてそんなにないのかもしれないけど、解釈はいろいろあるようだ。それはいいとして、歌詞が難解だから分からないというだけでなく、天国に階段をのぼっていくというイメージが、僕はよく分からないというのもあった。なんでまたそんなことをして、天国へ行かなければならないのか。というか、いったいどれくらいの階段になるというのか。
 ジャックの豆の木だとか、芥川の蜘蛛の糸のような感じで、空の上に一直線に伸びていったところで、恐らく天国というのはもっとはるか上というイメージはある。もっとも今は空のさらに上にいくとただのスペース、宇宙空間があるということを知っているけれど、まあ、階段なんかで上がるよりは少しだけ合理的という気もする。しかし死んだ人が例としてふわふわ浮いて、そのまま天上へ登っていく方がもっと楽だし、合理的なイメージという気もする。
 ところで天国がどんなところかというのは謎なんだが、死んだ人間がお星さまになる、というのはそれなりにポピュラーなイメージのようだ。児童文学の世界でなくとも、あんがい星を指さして、自分の亡くなった肉親をしのんだり、過去の偉人を讃えたり、というのは結構聞く話だ。実は古代エジプト文明においても、すでに王様などは死後に星になると信じられていたという。ミイラにして復活するという話との整合性はよく分からないけれど、やはり人というものが考える想像としては、理解できない話ではない。
 王の墓がピラミッドであるというのは知られた話だが、権力の誇示もあってむやみにでかいのだと思っていた。ところがこのピラミッドの大きな意味は、実は星へ通じる階段であるというのである。王様は死後、このピラミッドの階段を使って天に上り星になるというイメージらしい。いくらでかいとはいえ、ちょっと無理がありそうな話なんであるが。
 まあ、星になるにせよ天国に上るにせよ、とにかく上を目指すというようなことで死後を片付けるより無かったのかもしれない。実際のところいまだにそのように考えている人も多いことだろうし、人間の考えている単純さというのは、いつまでもあんまり変わらないものなのかもしれない。
コメント
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