そういえば夫婦別姓の議論の時のことを思い出したのだが、伝統的な文化の継承が崩されてしまうという反対議論があった。一見おおごとのようにも聞こえるのだが、文化の継承が結婚して名前が変わらないことでどうして崩れるのかは、やはり本当にはよく分からないのだった。仮に何かが崩れるとしても、心配している人個人に、いったい何の不利益があるのだろうか。
それというのもトランスジェンダーという人の議論を見たからだ。表だって反対しているような人はあんまり知らないが、やはりいろいろ問題は多いらしい。同性愛の結婚というのであれば、夫婦別姓と同じで、何が問題かはほとんどわからない。そうでない人に何の不利益があるのかということでも一緒だ。制度が無くても勝手に一緒に住んで、事実婚であることにも、何の関係にあることかも意識しなくてもよさそうな話である。
ところが、実際に企業が採用するというときに、例えば山田太郎さん(仮名)が実は自分が女であると主張している。だから男性トイレは使いたくないという。企業としては、現在いる女性社員の同意を得たうえで、山田太郎さんの女子トイレ使用を可能にするようにしなくてはならない、というような話だった。実際のところは、同意は得られて、しかしきめられたビルの階のトイレを山田さんは使用しているとのことだった。
これをめんどうな話とみるか、当然とみるか、というところはあるかもしれない。たぶん僕にも偏見というのは当然あるから、このような一見面倒な感じは、やはり受け入れる側に少しばかりの葛藤を生むような懸念が残らないではない。山田さんがそのようなトラスジェンダーだという同意というか理解というか啓蒙というのは、確かに必要な作業という気はするが、もっと簡単にならないのだろうか。
結局は、やはりかなり見た目を女性化させたうえで、苗字はともかく、太郎さん以外の名前がいいんじゃなかろうかとは思う。一瞬ですべてが解決とまではいかないまでも、まあ、ある程度そうであるのか、というのを、言語以外でも分かるようにできないものだろうか。会社の組織の大きさにもあると思われるけど、50人以下程度なら号令をかければ、周知も簡単だろうけど、それ以上ならこれは普通に啓蒙に時間がかかって当然だろう。
基本的には、こういうことが面倒だから、採用を見送るような場合があったら問題だということではある。だから、採用時に確認したいが、それでもあえて隠している、ということが起こりうることだろう。だいたいこれを理由に採用しないというのは明確に差別であるが、そうであるなら、やはりそれが理由で無いように、不採用にするという疑いも残る。そうして、結局やはり隠れたままであると、後からの告白があった後に、会社があわてる、ということになるんだろうか。それともずっと隠し通すという現実があるんだろうか。
こういう議論が表に出ると、やはり人はいささか慎重に話をしているようにも感じる。あまりに例が少ないというか、経験が少なすぎるのだ。
順を追って考えると、何も問題では無いようなことなんだけれど、しかし現実に目にしたり、表面に大声で出さなければ理解できなかったりするということは、現実問題としてありそうだということは分かる。以前北海道だったかのJCの理事長がカミングアウトして、仲間内で議論になったことがあったのだが、その当時は、まあ、そうですか程度にしか感じてもいなかったが、やはりそのように、公の場で発言力を持った時点で、大声を出す必要があったのかもしれない。
障害者問題なんかも似たような部分はあるが、少数者の声を伝えるということは、時々先鋭化してしまうことがある。そういうことが逆効果にならない程度に、やはり地道な啓蒙以外に道は無いのかもしれない。まだまだ不自然感が残るのであれば、このような例をたくさん積むより他に無いのではなかろうか。