聖徳太子には、厩戸(うまやどの)皇子という名前がある。母の間人(はしひと)后が厩の戸にあたって産気づいたのでそういう名前になったとされる。(※日本書紀)
この話ですぐに気付く人もいるだろうが、イエス・キリストによく似ている。キリストは、母マリアが馬小屋で産んだことになっている。
日本書紀が編纂された8世紀初頭には、日本と中国(唐)は遣唐使を通じて交流があった。さらにその当時の唐では、いわゆるキリスト教ブームのようなことが起こり、キリスト教徒が結構いたという。首都長安にはキリスト教寺院などが存在したらしい。
これが聖徳太子の伝説は、新約聖書の影響を受けているのではないかと言われているゆえんである。決定的な証拠は無いが、専門的な研究家の間でもしばしば話題になり、ありうるとされている説である。
高句麗系の騎馬民族文化圏渡来説というのもある。馬とのかかわりのある渡来人(朝鮮系)のかかわりを示唆するものという。当時の考え方だから、いわゆる朝鮮系であることで、皇族の箔がつくということなのかもしれない。
いずれの説も決定的な証拠は無いが、当時の人の考え方を知る上では面白い。権威や伝説というものは、多くの場合は借り物なのかもしれない。それは歴史だけでなく、今でも同じようなことのようにも思えるが…。