カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

田舎者の犠牲者

2015-07-03 | ことば

 僕のネイティブな発音は、いわゆる標準語みたいなものだ。怪しいが事実だから仕方がない。これには訳があって、母が僕ら子供に標準語めいたアクセントを植え付けたからである。もっとも彼女が父と所帯を持ったのは東京の蒲田らしく、その頃にいわゆる東京弁を覚えたのだろう。勝手に想像するが、田舎から上京してきた夫婦にとっては、東京弁は恐怖だったのではないか。それでそれなりに一所懸命になって言葉、特にアクセントに気を配った。僕の姉と兄がこの地で生まれ、しかし父は突然仕事を辞めて田舎に帰ることになってしまった。そうした後に僕が生まれた。ちなみに姉は現在大阪暮らしなので大阪弁。兄も一時期大阪にいたせいか、ちょっとアクセントのある大村弁を使う。僕らきょうだいは、母のそばで話をするときに、少し標準語化したアクセントになる。僕の弟や妹もそんな感じだ。比較的に僕の場合、仕事の関係もあるんだろうが、日常的に丁寧語を使っていることもあって、この時のような標準語で話す場合が一番疲れない。要するにまったくの無意識で自然に発語できるということだろう。
 しかし当然のことながら、僕はこの大村という地で育ったので大村弁も使えないわけではない。いやむしろ幼馴染などとの間では、普通に大村弁の筈なのだが、しかし正直に言うと、知っている間柄ならいいけれど、やはり完全にはネイティブではない。実は今はそんなに気にしないまでも、ある程度意識的にコントロールして慣れなければ、上手く口が回らない感覚がある。
 幼稚園の頃、初めて複数の同世代の人間が周りで同時に大村弁を話しているのを聞いてそれなりに戸惑った覚えがある。まったくというか、かなりわからないのである。特にいじめられたということは無かったかもしれないが、疎外感はあった。しかし子供だから、一人で遊んでいても自然に複数の人間が周りにまとわりついてくる。分からないなりに会話を交わし、お前はやっぱりなんか変だ、というようなことはよく言われた。しかしながら僕は独り言でも言いそうなくらいよくしゃべる人間なので、特にそれでどうということは無かったかもしれない。覚えているのは幼稚園の先生が、佐藤君みたいにきれいな言葉で話すようにしましょう、などと言うのだった。こればっかりは恥ずかしくて、やめてくれよ、と内心思っていた。
 実際の話で言うと、僕の発音は母伝来の標準語もどきに過ぎないと思う。これをきれいな言葉というような田舎の先生はどうかと思うが、彼女も当時は若かったのだろうから仕方がない。僕にはこの地が故郷だが、しかしそれは特に愛すべき故郷という感慨は無い。もちろん郷土愛というのはあるんだろうと思うが、大村人だから誇らしいというような感覚が無いのである。しかし断っておくが、だからNHKのような言葉を誇らしいなんてものも微塵もない。東京だって遠いかなたの地方に過ぎない。単に言葉による郷愁が無いだけの話なのか、これに苦労させられたことによる嫌悪がもとなのかは分からないが、なんとなく関係がありそうな気分というものがあるのである。
 結局は田舎が悪いのかな、と思ったりする。母が若いころに感じたであろう日本人の東京に対する思いや、それに対峙する地方の言葉のあり方のいびつな形に、僕自身は知らず知らず翻弄されたに過ぎないと思う。そうして郷土も東京も、ともに自分自身のアイディンティティにならなかった。
 まあ仕事があるからこの地に居ていいわけだが、どこに住もうと特にどうということは感じないのだろうとは思う。そういうニュートラルな感覚というのは、ひょっとすると少数派かもしれないな、とは思うけれど。
コメント
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