カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

身だしなみ第一でなくても…

2015-07-10 | 掲示板

 身だしなみというのは大切で、ふだんから身に着けるものに気を付けて、ファッションセンスをも磨く必要がある、という話は聞く。特に仕事をするうえだとか、就活なんかでも、そういう話が漏れ伝わってくる。僕も面談はするので、時々はフムフムと思うこともあるが、しかしふだんはあんまり真面目に聞く気にはなれない。もちろんあまりにもだらしない恰好で面接に来るような人がいると、ひょっとすると落とすかもしれないが、服装だけの問題で判断するという意識は無い。それなりに必要最小限だったら良いし、気にしてても気にしてなくてもそんなに気にならないということか。もちろん僕自身はつれあいが服を準備してくれてそれを着ているので、何にも言える立場じゃないということは言えるが、そうしてそれは助かっていると感謝はするものの、だからと言ってひとがそのようにふるまうことについては、本当に重要なのかということに疑いさえ持っているという感じだ。
 理系の人に多いといわれるが、例えば寝癖をつけたままであるとか、決められた服しか着ないとかいうことを聞くと、どうでもいいことでもあるけれど、少しだけ好感度が上がるということさえある。なるほど、気にする時間が無かったのだろうな、とも思うし、同じ服ばかりでいいという潔さも、偉いなあ、と思うのかもしれない。
 もっともオバマ大統領なんかも、基本的に服装は決められたものを着るスタイルだという。これは理由がはっきりしていて、いろいろ決めることを仕事にしているので、自分のことは、特にファッションで消耗しない気遣いであろう。選択を迷うだけでやる気というものも削がれることが、科学的に分かっていることで、合理的に生きるという意味であろう。
 ファッションを磨かないというのは、つまりそういう意味がある可能性があると思う。もちろんみっともない恰好をあえてしたいとも思わないし、目立たない程度に普通にしていたいという思いはあるだろう。そのためのファッションセンスということも理解できないではない。しかし、やはり迷いたくないというのが、最大の原因だと思う。迷う時間がもったいないし、そういう自分が嫌なのだ。それよりも他に考えたいことがあるし、そのことにより時間を使いたい。それが自分自身であるし、そういう生き方をする選択ができることが、将来の自分のためになるとも思えるのだ。そうして、恐らくそういうことを考えているかもしれないダサい若者に、少なからぬ共感を持って眺めてしまうということになるかもしれない。
 まあしかし、それで仕事ができるのかというのはやはり何の関係もなさそうだ。やっぱり程度問題で、ある程度それなりに、というくらいは、普通っぽく見える必要はあるのかもしれない。
コメント
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