「ジェラシー」と言う言葉を知ったのは、中学生になった頃だったと思う。
外国映画にからんで、友だちが、「ジェラシー」と言う言葉を使っているのを聞いて、果たして、それはどんな気持ちのことなのだろうと思いめぐらしていたことを覚えている。
要するに、わたしは、そのような感情をまだ知らなかったのである。
人の感情も、言葉とともに育っていくようである。
さて、デューク・ジョーダンの「ジェラシー」なるアルバム、このタンゴの名曲をどのように弾いているのだろうかと手にした。
1983年、マシュマロ・レーベルからのアルバムである。
収録曲10曲中、9曲が、デューク・ジョーダン(p)、イェスパー・ルンゴー(b)、エド・シグペン(ds)の3人で演奏されている。
10番に、クリスチャン・ヨルゲンセンのバイオリンがはいる。
1.木の葉の子守歌
2.ジェラシー~キス・オブ・スペイン
3.ドント・プレイム・ミー
4.コール・ミー・トゥ・ユア・アームス
5.スネッカースティンからの夜汽車
6.ベリー・ロール・ブルース
7.アンネリース
8.ハウ・ディープ・イズ・ジ・オーシャン
9.チョコレート・シェイク
10.オー・プリヴァーヴ
デューク・ジョーダンの生真面目そうな顔はいただけないが、そのピアノの楽しげで、哀しげな音は、カカオの多いチョコレートをかじったときのような味がする。
「ジェラシー~キス・オブ・スペイン」は、2曲がメドレーで演奏されている。
やるせなさとそこからの苦い解放感が奏でられる。
カーメン・マクレエの名前は、以前から知っているが、しっかりと聞いたことはないように思う。
何処かで耳にした歌が、気に入らなかったからだろうか。
そうだろうかと、まず、油井正一著の「CD付、ジャズ・レディス・ヴォーカル」(H2 主婦の友社)に収められていた「トゥ・クロース・フォー・カムフォート」を聞いた。
凄く迫力のある声・歌唱だと感じた。
評判の高いアルバム「ブック・オブ・バラーズ」(1958 Kapp)を聞いてみようと思った。
その前に、カーメン・マクレエの基礎知識。
1922年、ジャマイカ出身の両親のもと、ニューヨーク生まれる。
1994年に、カリフォルニア州ビバリーヒルズで逝去、74歳だった。
8歳からピアノを学び、家にはジャズのレコードがいっぱいあったと言うことだから、ある程度恵まれた環境に育ったのかも知れぬ。
16歳の時に「ドリーム・オブ・ライフ」なる曲を作る。
この曲は、なんとビリー・ホリディによって歌われ、レコーディングされることになる。
そして、それが契機で、ジャズの世界に入ることになる。
はじめの頃は、ヴォーカリストと言うより、ピアニストとして活動したそうだ。
しかし、次第にヴォーカリストとしての実力が認められるようになり、クラブ歌手として歩むことになる。
彼女は、大ホールのステージで歌うのでなく、ジャズ・クラブで、客を身近に感じながら歌うのを好んだそうだ。
ジャズ・ヴォーカリストとしてのスタイルを、そこに見いだしていたようである。
油井著では、カーメン・マクレエの項には、「ライブ・ジャズの女王」とのタイトルがつけられている。
そして、その唱法は、いかにもジャズっぽいスキャットを多用することなく、歌詞を明瞭に丁寧に歌うものであると。
客に、ささやくように歌ったと言われる。
さて、予備知識はこれくらいにして、ラブ・バラード集となっている「ブック・オブ・バラーズ」を聞こうかと思う。
収録曲は、以下の12曲。
1.バイ・マイ・セルフ
2.ザ・スリル・イズ・ゴーン
3.いつ頃から
4.ドゥ・ユー・ノウ・ホワイ
5.マイ・ロマンス
6.アズント・イット・ロマンティック(ロマンティックじゃない?)
7.楽しい恋なら
8.恋に落ちる時
9.優しくしてね
10.私には良すぎたあはた
11.エンジェル・アイズ
12.昨夜見し夢
カーメン・マクレエの歌には、隅々まで行き届いた丁寧さを感じる。
静かにジャズ・ヴォーカルを愉しもうと思ったら、カーメン・マクレエがいいのかな。
歌詞の意味が理解できたら、いいのになあと思う。