風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

三陸の旅

2021-03-07 | 
昨日は釜石線で花巻〜釜石、
乗り換えて三陸鉄道で釜石〜宮古へと
初めての三陸鉄道乗車の旅。
(釜石線で釜石まで行ったのも何十年ぶり)


花巻駅を使うのすら久しぶりだからねー。


快速はまゆりは旅仕様。
ベンチシートと違って車窓も楽しめる。


春の岩手路、いい季節になってきた。
車内から見れば・・・ね😅
外はまだまだ風が冷たいんだけど。


レトロな遠野駅。



釜石へは1時間半ほどだ。
JRの駅から三鉄への乗り換えはちとわかりにくい。
その理由は後述。


三鉄釜石駅前。
釜石線70周年は個人的にも思い入れが深い。
その話はそのうち書こう。


いよいよ三鉄乗車。
1両のみの各駅停車 釜石発宮古行き。


春の海はひねもすのたり、のたりかな。
水面がキラキラしていて気持ちいい。


震災翌年に来た時
鵜住居の駅は跡形もなかった。
こんなに立派になっている。


三陸鉄道は笑顔をつなぐ、ずっと・・・。



電車で宮古に降り立ったのは初めて。
これまでは車で仕事に来た経験しかないから
まちそのものに興味津々。
さっそく駅前の喫茶店で体制整えて
早めにホテルへチェックインしてからぶらぶら歩いてみた。

ところで三鉄の車窓の風景には考えさせられた。




新たに設置される高い防潮堤はまだ一部工事中。
津波被災地も順繰りに区画整理されて整地が進むが
揃って立てられた電柱や立派な道路が目立ち
新築の家はまだポツリポツリしかない。
あまりにきれいに揃いすぎて無機質な感じだ。
人の温もりが感じられるまちになるには
まだまだ時間がかかりそう。
瓦礫を撤去し、泥を排し、整地すれば復興ではない。
人々の暮らしが定着してはじめて復興だ。
10年経ったが、年数でもないだろう。
果たして「復興五輪」はこのタイミングだろうか。

ところで釜石駅のことを書いた。
JRを降車し、ホームから通路に降りると
「JR出口」「三鉄出口」が左右にあるのだが、
「三鉄出口」にはロープが張られている。
どうすれば乗り換えられるのかまったく案内がない。
「こちら三鉄」みたいな看板は数ヶ所あれど
どこもロープが張ってある。
仕方なくJRの改札に行き、
「三鉄はどこから乗ればいいですか?」と尋ねると
JRの駅員さんはひと言「そっち」と。
「一旦外に出るんですか?」と重ねて聞くと
今度は声も出さずに頷くだけだった。
いつも使ってる人なら当たり前のことでも
初めて来た人はわからないだろう。
それをさも面倒くさそうに対応するというのは
いかがなものかと思う。
一方三鉄の方は懇切丁寧だった。
要所要所に係員を配し、笑顔での案内。
ま、それでもちとホームが分かりにくかったけどね。
それはJR側と三鉄側をおざなりに区分けしている結果。
どっちかいうと、JRの方が
「以前はJRのホームだったところを使わせてやってる」
的に見えてしまう。
確かに釜石線は赤字路線なのだろうが
だからといって投げやりな対応でいいのか?
それだとますます利用者がいなくなるんじゃないのか?
実は同じことを盛岡駅でも以前感じていたから
ちょっと苦言を呈したくなった。


おりしも4/1から半年間
東北デスティネーションキャンペーンが行われる。
コロナ禍で一体どうなるのかわからないが
施策を打ち出すだけでなく
少し対応を考えた方が良いのではなかろうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする