風音土香

21世紀初頭、地球の片隅の
ありをりはべり いまそかり

歴史を省みて

2021-03-27 | 社会
歴史好きな人たちと話していると
たまにそれぞれ有名な武将の好き嫌いの話になる。
ただ、それらの武将が辿った人生は
現代において結果論として見ているに過ぎない。
彼らがその時々で行った行為や選択、いくさなども
結果を知っている今見るのと、
どうなるかわからないその時とでは当然判断や評価が違うわけだ。
例えば平清盛、例えば義経、例えば明智光秀、例えば石田三成
明治維新の頃だと徳川慶喜も。
後の世の評価はあくまで過去の評価であり
その時々の評価ではない。
ちょっとしたことで歴史は大きく変わったんだろうなと思う。

ところで「その誰になりたかったか」という話になると
ワタシは黙らざるを得ない。
今も名が残る武将は大概城持ちだったり大将だったり、
今でいうところの大臣や知事、少なくとも市長。
誰でもなれる立場ではない。
普通の人間なら一兵卒や農地を持つ郷兵だろう。
足軽の頭だって大した地位だ。
そんな立場で何かの判断を下せるわけがない。
自分の生殺は領袖の胸先三寸で決まってしまう。
そんなのは嫌だ。

じゃあその当時生きていたら、どんな人だったら良かったか。
百姓はいくさで農地を荒らされ、年貢を取り立てられ・・・
庄屋や肝煎だとしても代官の顔色を窺わざるを得ない。
商人も殿様から御用金を掠め取られる。
寺の住職も悪くないけど、いくさに巻き込まれがちだよね。
だったら職人がいいな。
大工や工芸職人、料理人、絵師、庭師。
道具ひとつ持って、全国どこでも生きていける。
いくさの時代や生まれながらのヒエラルキーが絶対だった時代は
世相に振り回されず、穏やかに生きる人生を送りたい。

ざっくり歴史を見ると
源平の合戦は軍事クーデター。
鎌倉時代から江戸時代までの幕府体制は軍事政権だ。
王政復古の明治維新は日本のルネッサンスだったのかもしれない。
そんな抑圧と激動の時代に生まれたかったとは思わない。
そんなことを、大河ドラマや香港、ミャンマーの動静を見ながら
ふと考えたりする。
コメント
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